2008年10月17日 (金)

知里幸恵の「アイヌ神瑶集」

NHK[そのとき歴史が動いた」で知里幸恵の業績が詳しく報道されていた。

病をおしながらも、東京の金田一京介の研究の手助けするために上京した。、大学ノートの見開き2ページの左ページには文字のないアイヌ語の音表現をローマ字で記し、右ページには、知里自身による邦訳が、とても丁寧な字で書かれているのが、映し出された。

以前に購入してくりかえし読んだ冒頭の美しい言葉を思い出した。

           銀のしずく降る降るまわりに

                金のしずく降る降るまわりに

自然を敬い、必要なだけ自然の恵みからいただく…という精神を我々は忘れてしまっている。

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2008年6月25日 (水)

桜桃忌を過ぎて。

Myphoto_2481 四国の詩人栗原洋一さんから送っていただいたポピーがやっと花を咲かせました。

ずっと気を揉んでいたのですが、たくさん芽が出てきて、一足遅く花を楽しませてくれそうです。他に董の種も採取してくださり、そちらは、何となく芽ではないかしら…という緑の小さな葉が出てきています。

種まきが少し遅れてしまって、ほんとに気を揉んでいたのです。左は開花一号のポピーです。栗原さん、ありがとうございます。大切に育てますね。

電車通勤の合間に文庫本の太宰治を読み返している。『斜陽』は経験値の少ない田舎の中学生にとっては、上流階級に生きる人々の雰囲気が理解できずに、当時は読むのを途中で辞めてしまい、確か大学生あたりでもう一度手にしたのだが、やはり理解できず(笑)にいた。時を経て読むと、伊豆の貸家に住む母と娘の想念ややりとりの様子がとても美しい描写で書かれていて、胸が洗われるようだった。庭に現れる蛇について描かれているところなど、ひたすら素敵だった。

桜桃忌に墓前に集まる人々の様子をテレビで見て、一度は静かな時期に訪ねてみたいという気持ちになった。

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2008年3月29日 (土)

読み終わりました。

Myphoto_2242 ハイビスカス。

電車の中で『乳と卵』を読み終わった。少女の緑子が、大人の体へと変化していく自分の体への抵抗感や観察が、とても新鮮だった。

全体の文体が、現代口語、いわゆるスラングという部類の言葉が、たくさん遣われていて、こういう言葉を10年後、20年後に読んだ人たちは、どう受け取るのかなぁと思いながらも、言葉に勢いがあって、読みやすかった。

それぞれの自分の体に対する思いが描かれていたが、緑子の感性がいちばん的確に描かれていたように思う。巻子の豊胸手術への願望は、納得できないまま子どもを産んでしまう以前の自分を取り戻したい~それは若さであり、緑子に吸い取られたものを充足させたいという願望なのかもしれないが~緑子の鮮明な独白に比較すると、少々弱いかな、という感じもした。しかし、子どもを産むとはどういうことなのか、ということを巻子は理解していることがわかる。

結局、二人の関係を通じて、引き継がれていく生命への肯定が見えてくる。

姉妹の巻子や姪の緑子を思う語り手の思考や存在が黒子のように機能して、うまく二人の関係性を表すように構成されていたと思う。

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2008年3月22日 (土)

東京にも桜が咲いた、らしい。そして文豪・太宰治。

Myphoto_2170 桜開花。

朝、とても暖かくて、薄着で出かけた。電車の中で読みかけだった『人間失格』(太宰治)を読み終えた。中学生だった私が、共感したのは、主人公の徹底した自己否定と冷静な人間観察だったと思いあたった。生意気なことを書くようだが、私はすでに、あのとき人間だとか人生だとかという存在には、徹底的に失望していた。ひねていて暗い子だった。

初めて太宰治の本に出会ったのは、なぜか『グッド・バイ』で、途中で終わっていることもあって、生々しい印象しか残らなかったのだった。それで、代表作のひとつだという『人間失格』を読み、それから太宰治の小説を続けて読んだことを覚えている。情婦との関係は、ストーリー展開としての理解にとどまざる得なかったが、主人公の自我のあり方に、とても興味を持った(共感した)のだと思う。

今になって読んでみると、昭和20年代に若者に受け入れられたという『人間失格』の主人公は、60年を経た現代人からみると、漫画ではないかと思うほど、至極単純な人間に思えるのである。まぁ、だから中学生にも理解できたわけである。しかし後半にいくと凄味が増してくるし、思わず引用したくなるような素晴らしい表現も随所にあった。

あまり読書家とは言いがたいわたしだが、若い頃に読んだ作品を読み返すのも悪くないと思った。

今日は、病院に行き、その後整体に行ったら一日が過ぎてしまった。重い荷物を持ってしまい痛かった腰と膝が少し軽くなってきた。

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2007年2月 2日 (金)

安東能明氏著『死が舞い降りた』(新潮社)を読んだ

Myphoto_707 安東能明氏著『死が舞い降りた』(新潮社)を読んだ。

この小説は、第7回日本推理サスペンス大賞・優秀作に輝き、1995年に新潮社より出版された。

とにかく、面白くて、どきどきして、しかもリアルで、深い感銘を受けた。

初めから緊張感が漂い、点が線になりそして多面的な空間となって発展していくストーリーは、迫力満点だった。緊迫した情景がそのまま文体となり、読者は第3の目となり、ストーリーの展開とともに読み進めていく快感を味わうことができる。コンクリートジャングルである都市と東北の山間部の暮らしと、時間という縦軸が交差しつつ描かれ、更には、史実とも絡まっていく。

日本全国都市化している現在に生きる私たちは、ここに登場するフジオカという人物に深く惹かれることだろう。たとえば、ブナの原生林の中に立ち、その静けさの中で脈打つ生命の奥深さに感銘を受けるように。または、忘れていた古の血脈を思い起こし癒されるように。抜き差しならない関係または崇高な何者かを、目のあたりにしたときにように。この、フジオカという人物の自然との関わり方に興味を持ち、素朴さと気高さとも思える精神を愛し、最後は深い感動を受けることだろう。

・・・と、書けば書くほど、的がずれてしまいそうで怖いので、このくらいにします。

このブログを読んだ方々、是非、読んでみてください。自信を持ってお薦めします。

私は、この本を読んで、久々に、良い汗かいた、と思いました。

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2007年1月17日 (水)

安東能明氏著『螺旋宮』を読む

Myphoto_586 安東能明(あんどうよしあき)氏著『螺旋宮』を読み終えた。

不妊に悩む夫婦が、シェルターと呼ばれている地下室に入り1ヶ月すごすことで、無事子どもが授かる。その後、同じ方法で生まれた子どもが続けて死んでいることを知って、喜びは不安へと暗転していく。物語は、ある遺跡に纏わる歴史へと広がっていき・・・・・。とてもスケールの大きいサスペンスだった。謎が、古文書や遺跡へと及ぶあたりから、のめり込むように読み進めていった。そしてさらに意外な展開が待ち受けている・・・。続編を期待したくなるほど、怖くて楽しかった。

昨日、芥川賞が発表された。直木賞は受賞作なしとのことで、寂しい気持ちがした。

綿矢りさ氏、金原ひとみ氏が授賞したあたりから、文学関係の受賞者が急に若い人になってきた。文学離れを防ぐため、低迷している純文学の売り上げを伸ばすためには、大いに貢献していると思う。もちろん両氏の力量は賞賛に値するものである。

しかし、賞を目指して、長年頑張り続けている中年作家にとっては、ムカツク事態ではないだろうか。

リニューアルをして、新しい読者を獲得するのはいいが、少し偏りすぎている気がするが・・・。

ところで、昨日はココログのメンテナンスがあり、更新できなかった。

本日、昨日の分も書きましたので、そちらも読んでくださいませ♪

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2007年1月15日 (月)

安東能明氏著『螺旋宮』

Myphoto_593 安東能明氏著『螺旋宮』(徳間書店)を半分まで読み進める。話が進むに連れて、入れ子式に新たな展開がなされ、読んでいて心臓がどきどきしてくる緊張感と面白さ。これからどうなっていくのだろう・・・。また明日も続けて読もう。

空気は冷たいのに、次第に日が長くなってきて、梅の蕾が心もち膨らみ始めてきたのを発見。梅が咲くと、毎年ほっとする。寒さは、肩こりがひどくなるだけでなく、気持ちもふさぎこんでしまうので、春の兆しを感じると、自然とプラス思考      Myphoto_585  になってくる。咲くまで、あと1ヶ月はかかるだろう。

梅の匂いもまた大好き。生まれたときから嗅いでいた匂いのような、懐かしくいい匂いだと思う。

少し弱っていたラベンダーの蕾が少しだけ開き始めた。こちらも、たくさん咲いて欲しいな。梅もラベンダーも花が咲くのが待ち遠しい。

床に落ちていた赤い花2輪。

イヤリングのように可愛くて、鮮やかな赤い色。   

近頃、心が空白になると、思い出しもしなかった子ども時代や成長期、そして自分の今までのことが、ふいに頭に浮かぶことがある。

冬の陽だまりを見ながら思う。10年前よりも昨年、昨年よりも今年・・・昨日より今日の方が、幸せだと思える。そして明日はもっと幸せになっていくだろう・・・そのように感じている。      

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2007年1月 4日 (木)

『報道されないロシアの現実』を読んで

Myphoto_484 夏に買った名前の分からない赤い花。葉が茶色に変色していたので慌てて室内に移動した。

1か月も前に買ったアンナ・ポリトフスカヤ著『プーチニズム~報道されないロシアの現実』(NHK出版)をやっと読み終えた。読んでいて辛くなってしまう惨い現実が告発されていたので、読むのに体力が必要だった。ここに書かれていることが、真っ赤な嘘ではなく、かなり信憑性があるということは、著者自身が現実に、何者かによって殺害されているということで、皮肉にも証明されているのではないだろうか。

この現実は、対岸の火事ではなく、どこにでも起き得るということを予感し、背筋が寒くなった。つまり、強烈な縦型社会と、そこに介入していく金持ち層との関係や(金持ちがいけない、と言っているわけではない。)金の力で、凶悪な事件も解決できてしまうかもしれないこと、金持ちとつるむ政治家(あるいは政治家とつるむ金持ち)により現れる世界の様相等・・・・今さらながら、かもしれないが、衝撃を受けた。またそれを支えてしまうのが、我々一般人の無関心さであると、著者は強調している。

翻訳者の鍛原多恵子(かじはらたえこ)氏のあとがきを引用したい。

「著者は、今日のロシアにおける軍隊の堕落、マフィアの増長、法曹界・政界の根深い腐敗を指摘し、・・・(この先は怖くて書けませんby長田)・・・・・・・・・」

本書には、ノルド・オスト劇場占拠事件、記憶に新しい北オセチア学校占拠事件における国の対応、そこから引き起こる民族差別、などの実態が書かれている。

日々報道される内外の事件・事柄について、注意深く、自分で判断していかなければならないことを痛感した。

安心して日々すごせる?数少ない国に住む人間として、「知らない」よりも「知ることができてよかった」と思う。自身に与えられた小さな(あるいは大きいかもしれない)権利について、これからもっと大切にできるようになると思う。

民族紛争・宗教紛争の激化を、予感せざる得ない2007年の年頭。読むことによって貴重な経験ができたと思った。

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2007年1月 3日 (水)

ついつい・・・。

Myphoto_508 朝起きてTVをつけて箱根駅伝を観た。今までは、あまり関心があった方ではないのに、安東能明氏『強奪箱根駅伝』を、昨年の暮れに読んだことがきっかけとなり、俄然興味が出てきて、今年は、いつもと違い、『強奪箱根マラソン』の記述を思い出しながら、あ、ほんとに、本みたいなアナウンスの口調だ、とか、応援の車両だとか、景色とか、走者以外の映像の他に放送の内幕を想像しながら観ていた。第3刷も決定したとのことで、まだ手にしていない方は是非読んでくださいね。☆読み始めたら途中でやめられなくなる面白さです。今日は、同じく安東氏の『螺旋宮』を読みはじめた。一度、読み始めたら、ついつい、止まらなくなるのが安東氏の本。今夜の睡眠の確保のために、心を鬼にし、本を閉じた。明日のお楽しみである。

夜遅くまで起きているのは、どうも今の私の身体にはよくないらしく、特に、働きながら書く上では致命傷である。トホホ。2年前の1月頃に書き始めたのに、うまくいかない詩がある。ちょこちょこ推敲を重ねてはいるのだが、どんづまっている。これを解決しないと先に進まないような気持ちがする。明日は、朝一番にPCに向かうつもりである。

今日は、ついつい昼寝、ついついTV、という、ついつい、の一日であった。特に昼寝で見た夢は、平日の仕事に疲れきって土・日、定位置のソファで寝込みながらも、詩を書きたいのに、身体が言うことをきかないという、働いている日々のいつもの様子と焦りを再現したような夢であった。結局、少し長い休日でも同じ状態になってしまうのかと思うと、単にものぐさなのかと思ってしまい、凹んだ。

あしたこそ、何とか2年越しの詩を形にできたらいいなぁ。それから、アマゾンに『強奪箱根マラソン』の感想文をメールで送ったのにまだ出ていない。明日、それも再トライしてみたい。

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2006年12月22日 (金)

猫に仕える。そして『強奪箱根駅伝』

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巣のようにしているミュウちゃんの昼のベッドで。

以前は家のドアを開けるなり、ターッと走ってきてお迎えに出てくるミュウちゃんであるが、近頃は、お迎えがない。寒いのか体調が悪いのか、はたまた、単にご主人様の帰宅のお出迎えなど面倒だニャンと、さらに大胆になったのか。

そんなある日、家に帰ると、家中の扉という扉が猫の身体の幅程度に全て開けられていた。思いのほか長い時間飼い主が帰って来ないので、ミュウちゃんが家中探し回ったようなのだ。

少しでも私の姿が見えないとニャアーーン!!と悲鳴のような声をあげて呼ぶ。トイレやお風呂のときも、ドアの外でじっと待っている。自分がゆっくりしたいときは、勝手に居心地のいい場所を探してフー、

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フーと鼻息をたてて眠り込んでいるのに。(ミュウちゃんは鼻を煩っているので。)

あちこち私を探し回ったらしいミュウちゃんを不憫に思い、ミュウちゃーーん!!と私も大きな声を出して、行きそうな場所を探すが見つからない。やっと見つけ出した場所は、家人の物置部屋にあるダンボールの中。初めは探し回り、そのうち、偶然見つけた気に入った場所で、すっかり寝込んでいたらしい。高いところにいたので、抱いて下ろすわけにもいかず、傍に脚立を置いて降りやすいようにしておいたところ、数分後に、何事もなかったかのような顔で出てきた。もうっ、ミュウちゃんたらっ。あんまり心配させないで!!

いやはや。いつも思うことだが、どっちがご主人様だかわからない。夜寝ているときも、いつの間にかミュウちゃんはベッドのど真ん中。私はミュウちゃんの快眠の邪魔にならないように、お尻をベッドの隅に向けて「く」の字になって寝ている。

さて。うれしい話がある。

以前ご紹介した12月1日発売された安東能明『強奪箱根駅伝』(新潮社・文庫)第三刷増刷決定!!とのこと。、まだ読まれていない方は是非読んでみてください。箱根駅伝が5倍,いや10倍楽しくなります。

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2006年11月30日 (木)

安東能明氏著『強奪箱根駅伝』

昨晩は安東能明(あんどうよしあき)氏著『強奪箱根駅伝』を読み始めたら、あまりの面白さに、つい夜更かしをしてしまった。安東氏の本は、ストーリーの面白さのみならず、その緻密な取材により、とにかく、ためになる情報がいっぱい詰まっている。1冊読むと、えらく物知りになってしまうところが、すごくうれしい。お薦めです。私は彼の著書全て読破を目指しています。

今日は、いつも気になりつつも注文できなかった、平均25パーセントOFFになっている通販の化粧品やシャンプーをFAXで注文した。計算すると5500円の割引になる。明日届くということだが、何か、今からわくわくしている。しかし、何でこんなに安くなるんだろう。店頭では、きっちり正価で売られているのに・・・。

Myphoto_303 また一つ開花していたセントポーリア。

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2006年11月28日 (火)

本を買った

ミステリー作家安東能明氏の著作『強奪箱根駅伝』(文庫)、12月1日発売とあったが既に書店にあったので買った。『螺旋宮』はハードカバーだが、一緒に購入。どちらとも、ぱらぱらっとめくっただけで、わくわくする期待感を持った。

それから、今メディアを騒がせている暗殺された元ロシアのスパイが関わったというジャーナリストで10月に暗殺されたアンナ・ポトコフスカヤ著『プーチニズム』も一緒に購入。もう一冊ガルシア・マルケスの新訳書も買おうとしたが、重くなるのでやめた。

現在はル・クレジオ(村野美優氏訳)『はじまりの時』の下巻を読んでいる。自分のルーツから自叙伝にいたるまでの長編小説。

秋の長い夜を楽しく過ごせそうだ。

愛媛県在住の詩人栗原洋一さんが、ブログの感想をメールで送ってくださった。丁寧に読んでくださりありがとうございます。

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毎年、この時期になると飾っているスノウマン。

今年もいよいよ登場しました。

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2006年11月22日 (水)

小春日和

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歩いていて見かけた名前のわからない木。(欅?)

きれいに色づいている。

例のお気に入りの病院に行った。受付のフロアにはクリスマスツリーが飾られていた。もう少し豪華にしてくれたらいいのになぁ、などと思いつつ、順番を待っていた。出かけるときはいつも文庫本を持っていく。軽いしどこでも読みやすい。ちょっと流行から遅れてしまうのが悔しいが。今日は村上龍『イビサ』を持っていったのだが、どのページも、すごく過激な表現があって、隣の人に覗かれたらどうしよう・・・などと、余計な気を遣ってしまった。

今、手元にある未読の本は、詩集が4冊。2年越しで読んでいる長編小説・下巻、文庫本2冊。厳密に言えば、衝動買いしたまま積んである小説が数冊あるが、これは、よほど気が向かないと手にすることはないと思う。

帰ってきてソファに横になったとたん、いつものように眠ってしまった。気がついたら夕方のニュース番組が始まっていた。今日はすっきりした気分で目覚められたからよかった。

朝日新聞の夕刊、「時評・歌句詩」の欄に、仁平勝という俳人が、攝津幸彦という俳人の句を紹介していた。その中に、とても気に入った句を見つけたので、記事を切り取った。

それは、

            「ダリヤ焼く明日も水野鉄工所」(攝津幸彦)

という句だった。この句には、以前にもどこかで出会ったことがあり、そのときも強烈な印象をうけた。すでに他界した作者の句集『攝津幸彦全集句集』『攝津幸彦選集』の2冊が出版されたということが書かれていた。いつか是非、まとめて読んでみたい。

Myphoto_278 花屋の店先で静かに座っていた猫。

ヒマラヤンという種類だとか。目が灰色で知らない人に背中を撫ぜられても嫌がらずにドーンとしていた。

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2006年11月10日 (金)

『鬼子母神(きしもじん)』

安東能明さん著『鬼子母神』を読了した。この小説は第一回ミステリー新人賞特別賞を受賞した。2001年にはTVドラマ化されオン・エアされたということ、主人公の保健婦を黒木瞳が演じたということ等等、解説にしるされている。

この小説は「代理人によるミュンヒハウゼン症候群・MSBP」を扱っていて、とても読み応えのある話だった。著者の非常に緻密な取材を元に、がっちりストーリーが構成され進められているため、ぐいぐい引きずり込まれるように読み進んでいった。

主人公、工藤という保健婦が、三歳児検診で元看護婦の母と娘の様子を遠くから見かける場面から始まる。そのうちに工藤は、母子共に父親に虐待されているのではと疑いをもち行動的に調べ、その家族に関わってていく。

「代理人によるミュンヒハウゼン症候群」という言葉や実態をこの小説で初めて知った。自分の愛情飢餓を満たすためにわが子を次々と病気にしていくというものだそうだ。

主人公の工藤自身が、自己の愛情飢餓に気づきながら子育てをする葛藤に悩んでいることも、複線としてあり、奥深いテーマが描かれていると思った。

それにしても、保健婦という仕事のハードさ、キャパシティの広さには驚いた。私は子どもがいないので、保健婦さんという方とは一度も会ったこともなく、その存在について、正直まったくの無知であったのだが、子どもを通して各家庭と関わりあっていくという、医学的にもかなり詳しくなければならない大変な仕事であることを、恥ずかしながら初めて知った。

以前、「お気に入りの病院」について書いた私には、ドキッとする場面もあった。軽く、子どもがいたらなぁ、などとまるで夢を見るように思ったことはあったが、実は積極的に欲しいとは思わず、むしろ、私は子どもを持つことに拒否的な感情すらあった。心の隅に、もし、私が子どもを持ったら、虐待してしまうのではないか、という恐怖があったことは確かである。厳格で世間体を重んじる両親に育てられたので、「ヨソの家から~言われるよ」「~したら、みっともない」などという言葉を枕詞のように聞いていた。私にも登場人物と重なるような子ども時代の心的体験がある。

こういった心的体験をもつ人は少なくないと思う。

たとえば、暴力を振るう親に育てられた子は、家庭をもったときに、その子どもに暴力を振るうと言う通説がある。また、子どもは、痛い目に合わないとわからない、と言われた時代もあるし、今でもそういった間違えた子育て論を信じている人もいるかもしれない。

しかし誰もが必ず繰り返すわけではないであろう。

子どもへの虐待から悲惨な結末をむかえる事件は後を絶たない。虐待をしてしまう親たちの心のケアはどのようになされるのだろうか。虐待をしてしまう前に何か手立てがなされているのだろうか。知りたい。

また、虐待を繰り返さずにすんでいる親たちは、どのようにして自分の心に染み付いた痣のようなものから脱出したのだろうか。聞いてみたい気持ちになった。

とても今日的な内容の小説だった。

是非、多くの人に読んでもらいたい。もしかしたら、この小説を読んだことで、自らの心の痣のようなものから救われる親もいるかもしれない。

安東能明さんのデビュー作は、1994年第7回日本推理サスペンス大賞で優秀作をとった『死が舞い降りた』だという。これも解説に書かれていたことである。

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2006年10月29日 (日)

『ストレンジ・デイズ』

本日、村上龍『ストレンジ・デイズ』を読了した。

今までの自分に疑問をもち会社に出られなくなった40歳前後の男と20歳前後の女との哀しい純愛小説だと思った。

トラック・ドライバーであるジュンコは、観察力・洞察力に優れ、人の真似が天才的にうまい。主人公の男、反町は、彼女の稀有な才能に圧倒され、彼女を女優として世に出すことを思いつく。

ジュンコは一瞬にして、目の前にいる相手の特長を掴み、相手の、人には知られたくない内面をも表現するように、相手のしぐさを真似る。

ジュンコは自分の中にはサナダ虫のような何かがいると言う。そして、サナダ虫の存在を忘れるために深夜にトラックを運転するのだと言う。

反町は、ジュンコが生まれてから誰にも心を開いたことがないのではないかと推測する。

ジュンコのあり方は、今の小・中・高生たちには共感が得られるのではないかと思った。つまり、とっても繊細な感性のアンテナをお互いに張り合い交信し合っている関係が、現在の若い人たちの、人との交流の仕方に共通しているように思えた。

今世間を騒がせている「いじめ」の遠因には、こういった互いの心を探りあうようにして、喧嘩をしないで、穏やかに友達と付き合いたい子どもたちの、非常に繊細にならざるを得ない人との交流のあり方にもあるように思う。

それは、若い人たちのみならず、大人たちにも言えることだ。「オンリー・ワン」だの「本音トーク」だのという言葉が珍重されるのは、実生活ではそれが困難だからである。

経験知のある大人には反発力がある。子どもたちは経験知がない故、とても脆い精神で支えあい、互いのテリトリーを侵害しないように、本当に神経をすり減らしている。

人をいじめるのはいけない。大人は簡単に言う。しかし、言うばかりでなく、真剣に子どもたちの心の繊細な襞に、向き合い、大人たちこそ、もっともっと感性を鋭くしていかなければ、いじめはなくならないと思う。

主人公反町が、ジュンコを女優にするために交渉するときの過剰に神経質な心理描写は、いつも反町に対して、無表情な素振りのジュンコの心理でもあるという表裏一体の仕掛けがすごい。

村上龍の緻密な筆力に圧倒された。

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小説といえば、昨日紹介した小説家・安東能明さんは、私のPCの師匠、草もち姫様の高校時代のご友人とのこと。

草もち姫様には、このブログ開設にあたって、大変お世話になりました。

 また、いつも気にしてくださり助けていただき、本当にありがとうございます!!

写真は駅の近くで見つけた菊の寄せ植えの花壇。

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