2009年10月25日 (日)

祝・100号!!

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何という木だろう。思わずシャッターを切った。

金井雄二さんが発行されている個人詩誌『独合点』の100号がついに出た。創刊号から20年を経たとのこと。すごいですね。まさに継続は力なり、です。

拙個人詩誌『KO.KO.DAYS』は2年でやっと3冊だせたところ。紙を折ったり綴じたり、たった一人でやるので、腕に腱鞘炎のような症状が出てしまっている。。。

金井さんとは20代からのお付き合いで、この年齢になってしまうと、もう幼馴染のようなものである。当時、一緒に同人誌をやっていた山崎さんや石上さんや永田さんらとささやかなお祝いの会をした。久しぶりにお会いしたのですが、皆さん、すでに社会的には管理職とあって、それなりの貫禄を備えており、驚きました。(わたしだけヒラでした、、当然)

考えると、あれから、ん十年。一番年下の山崎夫人が「みんな食べなくなったわねぇ」と言ったのがなんだかおかしかった。

2,3時間では、なかなか語り尽くせないものがありましたが、とても懐かしいひとときでした。

今日は、明日からまた仕事の日々かと思うと、体力温存のため一日パジャマで、猫のミュウちゃんとごろごろ寝ていました。クロちゃんは、この寒い中、どこにいるのかと心配です。餌だけはいつも確実に食べていってくれています。

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2009年8月30日 (日)

8月22日に前橋文学館で鈴木志郎康さんの講演を聞いた。

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講演をする鈴木志郎康さん。

8月22日(土)は、前橋文学館で開催されている「鈴木志郎康展ー『新生都市』から『声の生地』へー極私を開く」で開かれた鈴木志郎康さんの講演「詩を書くのは楽しい。でもその後は・・・」を聞きに行った。

わかりやすくて、今、詩を書いている者にとってはとても勇気つけられるお話でした。

雑駁で、独断と偏見に満ちているかもしれませんがまとめてみました。(毎度、ご報告が送れてすみません。。。)

                    ☆ ☆ ☆

志郎康さんは、はじめに、言葉について言及され、小説では言葉に意味がついてきて、人は言葉について意味をとらないわけにはいかない、ということだった。意味が通じないときは、比喩のように受け取るとのこと。

詩という様式は、意味内容と形態とが結びついてできている。何が書いてあるのかがわからないからいいし、全体を読むと「悲しいんだな」とか「深刻なことに立ち会ってるんだな」と読者が感じるものである。

意味のわからない言葉(詩)を読むとき、受け取り手はわかってやるぞという気持ちが起きる。そこに書き手と読み手のコミュニケーションが生まれるので、言葉の遣い手はコミュニケーションの元として書いているという自覚が必要である。(書き手はやはり読み手を意識し、意味を伝えるのではない方法でもわかってもらえるように精進が必要なのだと思った)

詩のそれぞれの形式は、書く人のあり方をはっきりさせるためのものだと言っていた。(書く立場としては読み手に伝わるように詩の形式を選択しようということかな)

現在、鈴木志郎康さんが監修をされている詩の講座に参加していて、ポエトリーカフェの企画を練っている五十嵐倫子さんの詩集『色トリドリの夜』と、やはり同じ講座に参加していて、あとがきに「半径数キロの円内を行きつ戻りつしていた」と書いてある森ミキエさんの詩集『沿線植物』を挙げて、現代の書き手のあり方がここに見られると言っていた。また、ミクシィで毎日詩を公開している今井義行さんや同じくミクシィで自作詩を公開するとともに推敲の様子も公開している野村尚志さんについても言及し、現代は、戦後の「荒地派」のようにみんながひとつの方向に向かって詩を書いていた時代とは異なり、人の生きる環境や、書く人の気持ちが多様化し、ばらばらになっていて、「~派」のようにはまとめられない。コンピューターの登場によって、ブログやSNSで、個々に関わりをもつことが可能になった現代なので、それぞれが、それぞれに詩を書き発信し、個々に受け止めるられる場ができた。

ばらばらということは、可能性に満ちているということだった。(多様化し細分化された現代故、「~世代」とまとめるのは、無理なのかもしれない。うんうん。納得。たとえば箒星の尾っぽみたいに広がっていくイメージかな、そして、それは様々な可能性が生まれる状況だということだね。勇気付けられます。)

今、書いている人にとって詩があり、それぞれが詩を役立てている。

受け止める方は、わからないからおもしろいという受け止め方をして欲しい。それぞれの詩をそれぞれに受け止めて欲しい。(よろしくお願いします♪)

最後に、学校の先生が詩の授業をして生徒に意味を問うのはやめてほしい、ということだった。(ほんとですね。考えさせられます。)

                     ☆ ☆ ☆

やはり、うまくまとめられませんでした。自分なりの解釈になってしまいました。詩の歴史を振り返ると、何々派、何々時代、と区切りごとにまとめられてきたのですが、今のようにまとまらないあり方、ということが可能性に満ちているということ、そしてまとまらなくていい、という言葉は、書く身としては、とても心強く感じました。

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前橋文学館です。窓には前橋ゆかりの詩人萩原朔太郎にちなんで猫の絵がありました。

                             前橋文学館の前には広瀬川が流れていて、豊かな水量に圧倒されました。

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広瀬川沿いの遊歩道を歩くと筆塚があり、思わず手を合わせてしまいました。どうか詩のミューズが私にも燦燦と降り注ぎますように・・・!!

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011 萩原朔太郎像の隣には鈴木志郎康さんの萩原朔太郎賞受賞の記念碑がありました。

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てへっ。

23日に会場でお会いした金井雄二さんが撮ってくれました。

群馬在住の詩人金井裕美子さんにもお会いできました。金井さんとの出会いには、不思議なご縁がありました。まるで、誰かこの世の人ではない方に導かれているような…そんな出会いでした。駅まで車に乗せてくださりありがとうございました♪

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2009年8月26日 (水)

前橋文学館・鈴木志郎康展は30日までです!!

My_photo_174no3no3 北海道「風のガーデン」で写した花。

『KO.KO.DAYS』の表紙はこの花の写真です。

PCから呼び出して、出来上がった表紙を公開しようと思ったのですが、今回から一眼レフカメラの画像を使用したためか、情報量が多くて呼び出せません。やり方があるのでしょうが、まだ気がついていません。

きれいに出来上がった表紙を公開できないのは、ちょっと残念です。

『KO.KO.DAYS』早急に仕上げ、ゲストの布村さんに校正していただく予定です。

     ☆  ☆  ☆  ☆

8月22、23日は前橋文学館に行き、「鈴木志郎康展」見ました。また22日は「詩を書くのは楽しい。でもその後は・・・」のお話を、23日は「映像は撮ったら公開しよう」のお話を聞けてとても嬉しかったです。

前橋文学館「鈴木志郎康展」は8月30日までです展示品も多く鈴木志郎康さんの映像も見られます。またH氏賞受賞の頃の直筆の日記なども展示してあり、見応えがあります。

まだお出かけになってない方は是非行かれてみてください♪

じっくり見ようとしたらまる一日かかりそうですのでお時間をしっかり確保して出かけられることをお勧めします。

講演会での内容は明日書かせていただきますのでお楽しみに!!

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2009年8月16日 (日)

『KO.KO.DAYS』NO3版下作りを一日中やる。

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風のガーデン

緊張しながら『KO.KO.DAYS』NO3の版下作りを一日した。一度PCを初期化してしまったので、思わぬことが起こり、クーラーの中なのに、Tシャツがびっしょり濡れるほど冷や汗をかく。でも楽しくてわくわくする。

夜、TVのスイッチをONしたら、倉本聡氏がトーク番組に出演していた。富良野から帰ってきたばかりなので、勝手に親近感を覚える。また行きたいな、富良野。

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2009年7月27日 (月)

2月21日(土)の「遊びの会」のこと。

あれから半年近くもたってしまったのに、今でも、心の中で温かく息づいている。

凹みそうになるときに、あのときの参加者の皆さんが生き生きと心から楽しそうに詩で遊んでいる写真を見ると、新鮮な気持ちが蘇ってきて、今でも晴れ晴れとしてくる。

2月21日(土)、鈴木真理子さん主催の「遊びの会」のワークショップに参加した。テーマは「詩で遊ぼう」!ずーっと書きたかったのに、まとまった時間とエネルギーがなくて書けず、今日やっと紹介できるのが、嬉しいっ♪

詩人で映像作家の鈴木志郎康さんと詩人で小説家のねじめ正一さんがゲストだった。作家を目の前にして、それぞれの詩をもとに、いろいろ遊ばせてもらった。

私は少々遅れてしまい、ウォーミングアップの時間には出られなかったのが残念だったが、日頃馴染んでいる詩ということもあって、すぐにリラックスして参加できた。少人数で、アットホームな会の雰囲気が大好きだ。

(以下は鈴木真理子さんの「おさらいメニュー」のメールをもとに書かせていただきます。)

①いろいろな声だし

15人くらいの参加者で椅子を円にして座り、お二人の詩の中から気になるフレーズを、それぞれの読み方で声を出してリレーしていく。私はねじめさんの『ひとりぼっち爆弾』(思潮社)の登場人物である「あーちゃん」を「あー、あー、あー、あー、あーちゃんじゃないの」と言った。「あー、あー、あー、…」と「あ」を連ねて声に出したら、けっこうカタルシスがあった。母音のせいだろうか。「あ」だけにエネルギーや湧いてくる気持ちを吹き込めたような気がして、やった!って気分だった。

②シュールリアリズム的ペーパーズ、声だしバージョン

志郎康さんとねじめさんの詩を一行ごとにばらばらに切った紙が全部で300片(!)床に散らばっている。文字を見ないようにして手探りで紙片を拾い、4人1組のグループごとに発表した。。思わぬ詩の行が思わぬ方向に進んでいき、さらに、それぞれの読み方の違いがハーモニーになって、不思議な言語空間ができる。私は志郎康さんの「いたずら赤ちゃん」を引いた時に、思わず1960年代始め頃に流行した「こんにちは赤ちゃん」の歌をまねてしまい、我ながら「なに、どうしちゃったの??ふ、古い!!」と内心驚愕し、2回目は違う読み方をした(汗)。表現って、その人そのものが思わず出てしまうものなのね…。恐ろしい。。。。

③お気に入りの詩を選んでグループで表現する。

私は鈴木志郎康さんの「つり皮」(『やわらかい闇の夢』(青土社))を3人グループで読むことにした。行ごとに誰がどのように読むのか決めていった。詩については読みなれているところがあるので、他のお二人の方に対して主導権を握ってしまいそうで申し訳ない旨を伝えた。「どうぞ、どうぞ」と気持ちよく言ってくださったので、恥ずかしかったけど意見を出した。他のお二人の方もいろいろ言ってくれたので、助かった。行によって分担したり群読をしたりして工夫した。「四本の指を入れて握っている」という言葉が入っているところは群読をした。志郎康さんが「四本の指、というところがキーワードだから嬉しかった」と感想を言ってくれたので、とてもカンゲキした。(優等生ってこんな気持ちかな?)「(一緒のグループになった)ヒロヒロさんがダンスをする人なので、もっと動作が入るのかなと思ったわ」と笑顔で真理子さんが言ったのを聞いて、あ、ヒロヒロさんに遠慮させてしまったぁ…と反省した。そして、ヒロヒロさんが動作を入れるとしたらどの行でどんな動作を入れるのかなー、とあれこれ想像した。それもまた楽しく、今度は絶対動きも入れてみたいという意欲が湧いた。

④ねじめさんがソロで朗読をした。(一言、嬉しい!!)

⑤鈴木志郎康さんとねじめ正一さんのお話を聞いた。

とてもフランクに詩の話、詩人の話をしてくださった。ねじめさんが便器の上でふんどしで朗読したのは志郎康さんのアドバイスからだったという。そこから、志郎康さんの映画の中で、ねじめさんは、全裸で電車の座席に座り、詩を朗読した話などもしてくれた。また、言葉と意味についてのお話があった。朗読を聞いて作者として感じたことなども話してくださり、時間がいくらあっても足りない感じだった。私としては、鈴木志郎康さんとねじめ正一さんの2ショットを肉眼で間近に見られたことが、ほんとにほんとにカンゲキだった。

あ~、楽しかった!!!

真理子さん、志郎康さん、ねじめさん、ほんとにほんとにありがとうございました♪

「詩で遊ぼう」の詩と詩集

ねじめ正一さん8篇

『広告詩』マドラ出版1987より「マグドナルド」「国際基督教大学」「牛乳シャンプー」

『ひとりぼっち爆弾』思潮社より「もしもがないの」「壊れてないよ」「パン」「春ですね」

『あいうえおにぎり』偕成社より「あいうえおにぎり」

鈴木志郎康さん8篇

『手と手をこするとあつくなる』(ひくま出版1996より)

「手と手をこするとあつくなる」「いたずら赤ちゃん」「ひみつ」「くろい手」

『やわらかい闇の夢』青土社1974より「「つり皮」

『声の生地』書肆山田2008より「ダンスの中にむちゃくちゃに」「雨の朝の朝顔の花」

                   「蟻を水に流す」

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2009年7月 7日 (火)

昨年8月に出版した『翅音』が海埜今日子さんのHPで紹介されていました。

昨年『翅音』(はねおと)を砂子屋書房より上梓してから、早一年がた経とうとしています。

先日、海埜今日子さんが「リタ」HPの、「架け橋の動物・構築された架空の場」で、画家ピロスマニを論じつつ、拙詩集にも触れてくださっているのを発見しました。とても嬉しかったです。

海埜さん、ありがとうございます。

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2009年3月12日 (木)

鈴木志郎康さんがブログで『翅音』についてコメントしてくださいました。

Myphoto_2989 NYから一時帰国した友人にいただいたチョコレート。敷物は中村葉子さん手作りの素敵なマット。

少し暖かくなってきました。

鈴木志郎康さんが3月10日のブログで、拙詩集『翅音』(砂子屋書房)について触れてくださいました。

詩を書いているときの自分について、正確に代弁していただけたコメントを読んで、目頭が熱くなりました。

ありがとうございます!!!

今、私はある長散文詩を書いています。ベースとなるものは出来ているのですが、まだまだ推敲が必要な感じです。『KO.KO.DAYS』3号に向けて、早くなんとか仕上げたいと焦っています。。。

ところで、写真のチョコはあまりに可愛くて食べられずにいます。バックのマットは詩人で作家の中村葉子さんの手作りです。こちらも、とても素敵で、使えずに飾っています。

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2009年3月 9日 (月)

栗原洋一さんの第一詩集『吉田』が再刊されました!

Myphoto_2172 栗原洋一さんの第一詩集『吉田』が七月堂より再販されました!!

おめでとうございます!!

初版は1990年。故北村太郎さんが跋文を書いています。

再版された本の跋文は稲川方人さんが書かれています。

稲川さんは「『吉田』の詩語が80年代を必然的に経由する必要があったことであり、その思考は歴史に対峙しているということである…『吉田』はむしろ歴史的な対峙を積極的な「孤独」として選んだ少数の一冊である」と解説している。そして栗原さんとの四国での運命的な出会いにも触れている。

1990年に出版されたときに読んだ詩を、また再版という形で読ませていただいた。懐かしさが込み上げてくると同時に、初めて第一版を手にしたときと同様に詩が胸に染み入ってきて、熱い感銘を受けた。詩は変わらずに新鮮だった。詩とは、こういうものなのだ、と思った。何回読み返しても新鮮な感動を与えてくれる特別な存在のもの。

まだ、読まれていない方、是非、七月堂さんにご注文ください♪

なお、林浩平さんのブログ「饒舌三昧」3月3日の記事でも、この詩集について、詳しく読むことができますので、そちらも是非、ご訪問くださいませ。

今年に入っての素晴らしく素敵な出来事のひとつです。

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2008年11月30日 (日)

鈴木志郎康さんのお祝いの会。

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渋谷で鈴木志郎康さんの詩集『声の生地』(書肆山田)萩原朔太郎賞授賞のお祝い会があった。東急BEの詩の講座や自主講座で講師としてきていただいた頃の人たちが20人くらい集まった。早稲田大学の講義で出会い、社会人になっても先生の詩の講座に通ったという人も多い。私はちょうど20年前に、横浜で開かれた文学講座にゲストとしていらした鈴木志郎康さんに出会うことができ、東急BEの詩の教室や、そこを母体にした自主講座「卵座の会」に参加するようになった。

鈴木志郎康さんに出会えたことは私の人生の大きな転機だったと思う。新鋭詩人としてデビューしたばかりの詩人やまだデビューしていない卵たちが集まって、2か月に一度出していた同人詩誌「卵座」、体調不良のため2号までしか参加できなかったが「トビヲ」での時間は、私にとって、密度の濃い時間だった。当時世話人だった領家彰子さん宅で夜遅くまで発送作業をしたり企画を練ったりしたことを思い出す。

あれから20年も経つのに、会えば当時と同じように親しい気持ちで話せることができ、とても嬉しい。みんなが今でもこんなに仲良しでいられるのは、やはり鈴木志郎康さんの影響が大きいと思う。

正直なところ、当時、私はすでに仕事では中堅にさしかかり、髪はぼさぼさ、手はがさがさ、爪の間に黒く仕事で扱うインクが染みこんでいたりして、内心いつも恥ずかしかった。しかも私にとって渋谷は「花のお江戸」。会に参加するたびに、都会で生き生きと美しく生活している人たちに、詩以外でもずいぶん刺激を受けたと思う。直接、言葉を交わさなくても「あ、いる」と姿を認めるだけで、安心できる関係が本当に嬉しくありがたいと思っている。

後半は鈴木志郎康さんの1994年の映像『時には眼を止めて』を観た。鈴木志郎康さんの映像は、日々の自然や出来事への個人的な思索が語られていて、映像を楽しみながらその思索の迷路に入り込んでいく感じがして、心地いい。

鈴木志郎康さんの映像はhttp://www.vimeo.com/2369376をクリックしていただければ見られます。確か清水鱗造さんもブログに書かれていたかと思いますが、贅沢な時代になったものです。

尚、現在東急BE詩のセミナーは鈴木志郎康さんが監修、川口晴美さんが講師で現在も継続しています。

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2008年10月29日 (水)

いい同人詩誌は装丁もいい。

「hotel 第2章」no20 「rupure」7 「生き事」第4号 「六分儀」n°33 「独合点」95などが机に並んでいる。1日13時間くらいは仕事をしているため、満員電車のわずかな隙間を利用して読ませていただいている。角や表紙が少々痛んでしまって、申し訳ない気持ちになる。

力のこもった詩誌は、表紙もそれぞれに美しく異彩を放っていることに気付く。

気もちが表紙に現れるのだろうか。

「生き事」は松下育男さんにメールして注文した。先着5名に入ったようで、欲しいなと思っていた岩佐なをさんの可愛い銅版画を見事にゲット!嬉しい!!松下さんの「初心者のための詩の書き方」も付録にあって、またこれが、私の大好きな紙が選ばれていて、おしゃれな茶色い袋に入っていた。袋には襷のようにかっこよく紙がななめにかかっていた。{わ、素敵!と思わず声に出しました)男性ばかりの詩誌だというのに、こんな風におしゃれな詩誌作りができるんだなーと(すみません、これってセクハラ?)思いしばらく眺めていました。

内容に関しては、ゆっくりと、かたつむりの歩みで紹介させていただきますので、気長にお待ちくださいませ。

今日は、図書館で、昭和51年に講談社から出版された小中学生を対象にした『コタンの口笛』2部を借りた。1部は、小学生の時に読んだ。あまり内容は覚えていないのだが、子供ながら、なぜ、人はこんなにも同じ人間なのに先住民族をいじめ文化を奪い取るのかと思い、悔しくてならなかったので、とても印象に残っているし、またどこかでこの本に会いたいと思っていた願いが実現した。2部が出たのは知っていたかもしれないが、気に成りながら、その存在は遠いものになっていた。

黄ばんだ頁のところどころからアイヌ語で月を表す素敵な言葉が紹介されていた。美しい言葉だと思った。まだ読み始めたばかりだが、これもまた満員電車のなかの小さな空間で読みたい。空間のできそうな電車と車両がだんだんわかってきたので、それを目指して、朝はさらに早く家を出れたらいいと思っている。

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2008年10月20日 (月)

私はセックスをするように詩を書いているのかもしれない。

前回、詩を読むことは、人間の一次欲求とは一線を画していると書いた。

しかし、私は、詩をセックスをするように書いているときもあるかもしれない。食べるように詩を書くことは確実にある。ときに呼吸をするように詩を書くこともある。

それは、読むときも同じで、やはり、人によっては、詩を書くことや読むことが、人間の一次欲求に似た欲望として存在することはあるかもしれない。

詩を身近に感じている人はそうかもしれないけれど、一般的な人には、あまりあてはまらないんだろうな(笑)。

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2008年10月19日 (日)

詩は役に立つ。

先々週、神奈川新聞の文芸コンクール現代詩部門の審査員をした水野るり子さんの文章を引用させていただいたのに、詩を現実世界の労働とか報酬と簡単に、結びつけてしまい、まったく浅薄な自分に、後で激しく自己嫌悪でした。

「詩は現実の役には立たない」と水野さんが書かれたのは、もっと広い視野でのことです。後で気がつきました。あまりにも、自分の現実にひきつけて考えてしまって、もう、穴があったら入りたい!!

それで、じゃ、「詩が役に立つ」のはどういう場面か。ということです。

読む立場から考えてみました。

波長の合う詩に出会い、言葉のイメージを受け取ることで、そこに、淡い光のような空間が生まれる。たとえば、映画を観ると、今いる自分とは違った世界に入り込み、ときに主人公になったような気持ちになって、勇気が出たり、主人公の物語が直接、心に入り込んできて、幸せになったりする。ときに一緒に嘆いたりもするだろう。詩を読み感銘を受けたときも、同様な感覚を抱く。

しかし、媒体が文字のみであるとどうなのか。

文字の場合は、読むという作用によって、読者が自力で映像をつくり音楽をつくりさらに感銘を受けるといういくつかのステップが必要だ。

だから、とかくスピード重視の社会において、現代人は、すぐにこれが形になるのかならないのか、わからない状況で、いくつものステップを踏まねばならないということは、やはり、面倒なこととなってしまう。高いお金を払って、貴重な時間を費やしてまで堅苦しそうな本を手に取り、さらに読んで、楽しむまでにたどりつくのが、困難ということもある。

何回も、同じ本、同じ詩を読み返して楽しむ、という特に詩を読むときに求められる特徴は、スピード社会、生産主義の洗礼を受けた人たちには、なじみにくいものなのかもしれない。

スピード社会・成果主義の行きすぎは公害を生み、食物汚染をも許してしまうような、人間としてのプライドを忘れてしまい、利潤ばかりを追求する行為を生み出す結果に繋がってしまう。(今も、世間をにぎわせています)

この考え方から一線を画していかないと、詩の世界には入り込めない。

つまり、どっぷり資本社会に組み込まれ、忙しく働く人間にとって、詩はどうしても遠い存在となってしまう。詩を読むことには、なかなか到達できない。

では、詩はどんなときに役にたつかと言えば、前述したように、詩を読むことによって自力で受けたイメージから映像を作り、音楽をつくり、それなのに言葉がストレートに胸に伝わってくる、そんなことによって心に温かかったり哀しかったり楽しかったりというあわーい光がひろがってきて、じわーんと体に染み渡る。そんなことがおきたならば、すごく楽しくていい時間を、その詩とともに過ごせたことになる。

詩を読んで得をすることがある、というのは、こういうときだ。

現実世界から解放されて、自分だけの世界が広がったとき。詩は大いに役にたつのである。豊かになる。

そう。詩を読むことは芸術的な意味で精神が豊かになることなのだ。

で、気になっていたのは新宿眼科画廊でのワークショップ。詩の朗読会にあれだけの若い多くの人たちが集まるのは驚きだった。先行きのわからない閉ざされたような世の中で、(それは個々の心にも及び)自分の存在を確かめたい、自分を何らかの形で、「ここにいる」ことを表現したい、と思う人がたくさんいるのだと思った。そして「詩は役に立つのか」ということへ話が進んでいった。実はあのとき、少々いらついていた。色々な詩を書く人がいて、どことなく聞いたことのあるような言葉が言われていた。書くことがなぜ「ごはんが3秒はやく食べられる」という発想と結びつくのかが、私には理解できなかった。いやしたくなかったのかもしれない。

「ごはんが3秒はやく食べられる」この言葉自体が輝いていたので、詩を書くことと自然に結び付けられていった。「詩を書く・読むこと」は生きる上で位相が違う。食べることは人間の一次欲求だ。詩はそういう人間の一次欲求とは違うので、結び付けて語られてしまうのは、かなり無理があるし無謀なのだ。ワークショップとはいえ、せっかくなら、もう少し緻密に考えていったほうが、よかったかな、と思った。

それにしても、詩を書くことについて色々活発に意見が出たあの時間は貴重だったのろう。

話をもとにもどそう。

もし、会社の経営陣が芸術の理解者でない、としたら、やはり余裕のない一元的な方針を打ち立てやすいのではないだろうか。つまり、安全よりも利潤を追求し自分のみが金銭的に太る、ということを中心に考えがちになってしまうのではないかと思う。

先人の残した、または今このとき発せられている芸術を理解しようとする人なら、同じ人間が食べるものに薬物を混入したりはしない、と思ったりするのである。

つまり、詩をはじめとする、芸術は、人間の品格を高める役に立つのである。

話は飛ぶが、横浜詩人会授賞式の3次会に行った閉店間際の飲み屋で、すごくいい光景を見た。

なぜか、そこのマスターが横浜詩人会の油本達夫さんの本を手にとり、お客で来ていた若い男女のテーブルの傍に立って、読み聞かせて(朗読して)いるのである。

客の男女は、神妙に聞いていた。マスターはまるで説教を施す神父のようであった。いやもっと自然体だったかな。

詩の朗読って、こんな形もいい、と思った。ほろ酔い加減のお客さんのテーブルで、タイトルの並んだメニューを見せ、リクエストに答えて、その人たちのために読む。そんなこともしてみたいと思った。

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2008年10月13日 (月)

辻和人さんが、『翅音』の感想をHPに書いてくれました。

辻和人さんがHP・POETORY PORTの<錨>日々の雑感のコーナーで、『翅音』(はねおと)(砂子屋書房)の感想を書いてくれました。

とても嬉しいです。ありがとうございました。

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2008年10月 4日 (土)

神奈川新聞の文芸コンクール欄で水野るり子さんと北方謙三さんの文章を読んだ。

神奈川新聞10月4日の神奈川文芸コンクールの欄で、選者をした詩人水野るり子さんと小説家北方謙三さんの文章を読んだ。

水野さんの詩に対する文章は、とてもわかりやすくて、深い感動と共感を得たので、ここに、引用させていただきます。

言葉は内にひそむ(抄)  現代詩(部門審査員)  水野るり子

……詩には必ずしも書き手の人生がそのまま表れるわけではありません。が、無意識的な面も含めて、その人の生き方や個性が見えてくることがあります。表現とはそういう意味でこわいものかもしれません。逆に言えば詩は日常のレベルでの意識をこえて、より深い自己の真実に迫る方法であるともいえます。

 詩作は直接現実の役に立つ行為とはいえません。でもせっかく時間を費やして、自己自身の表現をつかもうとするならば、あえて世間と馴れ合えない(自己に正直な自分)の思いを発見し、そこから言葉をつかみとってきて欲しいと思います。詩を生み出すには、だから集中力が必要です。海の底に潜水して、何かを手に再浮上してくるように、自己の深みから手垢のついていないどきっとする表現をつかみとってくる…そんなユニークな時間が必要です。……

詩を実作していない人や詩を書き始めたばかりの人にとっては、とてもわかりやすく、また詩を書いている人にとっては、励まされるような文章だった。

水野さんの「現実には役に立つ行為ではない」というのは、詩だけでは、現実にお金を稼ぐことには繋がらないという意味だと思う。

詩を書いている私は、書かずにいられない詩ではあるのに、詩でお金を遣い果たしはするが(笑)、詩でお金は全く儲からない(笑×2)。限界のように感じている今の仕事を辞めたら、どのように生きていったらいいのだろう…という思いが常に頭をよぎっているし、余暇の大半はこの現実には役に立たない詩に向っている。なんだかくさくさしてくるわけで。

私がこの「詩は役に立たない」という言葉を、もう少し自分として整理しようと思ったのは、9月に聴きにいったクロスオーバー誌「もーあしび」の詩の同人たちの朗読会の後に行われたワークショップで、参席した若い方々から「詩は何の役に立つのか」というような意見が出て、けっこう盛り上がったことが頭にひっかかっていたからだ。(このことについては後ほどブログに書きます。)

いい詩に出会えば、繰り返し読み、いい絵や輝く宝石を見てふと心が揺れたり癒されたりときに安息を感じたりするのと同様な思いを抱き、豊かな時間や経験を得たと思うことができる。

そして詩を書くことは、まさに、水野さんの書かれている通り、

海の底に潜水して、何かを手に浮上してくるように、自己の深みから手垢のついていないどきっとする表現をつかみとってくる…」

ことだ。簡単には言えないが書くことで自分の深部に入り込み、表層意識では気がつかなかった自分の姿や可能性を、まるで釣果のように捕まえられることがある。

詩は読む人にとっても書く人にとっても、現実の稼ぎとは無関係の存在かもしれないが、詩を読んだり書いたりする人間に、精神の世界で大きな形にはならない豊かな時間や意識を与えてくれるのである。

念のため、あえて書いておくけど、水野さんの文章は、このようなことは大前提として、書かれているのである。

仕事を続ける続けないでくさくさしていた私にとって、水野さんの言葉は、大きな励ましとなった。現在のこの時点では、詩は、多くの場合、金銭とは無関係なところで繰り広げられる豊かな芸術だ。だからこそより崇高な存在なのだ。

私は、現代人みんなが崇高な精神をもつ人間になって欲しい(笑)。

そして、興味深かったのは、小説家の北方謙三さんが、やはり似たようなことを書かれていることだ。

自己を見つめる眼を(抄)   短編小説(部門審査員) 北方謙三

……全体的には、小さくまとまったものが多かった。小さくまとめるのも、たやすい技術ではなく、そういう意味で、勉強している人は多いだろう。ただ、そういうものを超えたところに、創造の醍醐味はある。技術的には駄目だが、なにか捨て難いものがある。たとえば熱気であるとか、衝動であるとか、つまり命そのものを感じさせるものを持っているのが、創造物と呼べるのではないのだろうか。技術は、書き続けていれば、いくらでも磨ける。自分を見つめる眼から出発し直してもいいのではないか、と思った。……

こちらも、書き写しながら、鳥肌が立ちました。

 

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2008年9月 4日 (木)

鈴木志郎康さん『声の生地』萩原朔太郎賞授賞!!

Myphoto_2342                                                          鈴木志郎康さんが『声の生地』(書肆山田)で萩原朔太郎賞を授賞されました。

おめでとうございます!!

昨日、帰宅して朝日新聞の朝刊を読んで知りました。

『声の生地』はいつかこのブログで紹介したい詩集でした。しかし、極私的な(志郎康さんの言葉です)内容が壮大な世界のさらなる広さと深さへと及び、とても簡単には言及できない偉大な仕事であることがわかりました。巨人、鈴木志郎康さんの言葉の凄さを、今さらながら再確認させられた詩集だったのです。記事を読んで、心からお祝いする感情が湧いてきました。

ますますのご活躍、心よりお祈り申し上げます。

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2008年8月31日 (日)

水嶋きょうこさんがブログで感想を書いてくださいました。

Myphoto_2331 水嶋きょうこさんがブログpipinera blogで、詩集『翅音』(砂子屋書房)の感想を書いてくださいました。

とても丁寧に読んでくださり、ありがとうございます。

ご興味のある方は是非、書店より注文していただけると幸せです。

ところで、昨日は鈴木真理子さん主催のワークショップ「まりトーク」に参加しました。

人とのコミュニケーションについて、自分の内面を見つめ言語化することについて、とても勉強になり楽しい会でした。

このことについては、後日、詳しく書かせていただきますにでお楽しみに!!

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2008年8月27日 (水)

谷内修三さんがブログで批評をしてくださいました。

Myphoto_2569  うみは ひろいな おおきいな♪

行ってみたいな よそのくに~♪

8月5・6日と伊豆に行きました。あわただしい行程で、かえって、疲れてしまったのでしたが、帰りの車窓から見えた海の色は、ほんとにきれでした。

谷内修三さんのブログ「詩はどこにあるのか」で、8月25日に、拙詩集『翅音』(砂子屋書房)について批評を書いてくださいましたので、そちらも読んでいただけたら幸いです。

                     ☆   ☆   ☆

今日は、一日、遠くまで出張した後に、ぎりぎり自宅最寄駅にある歯科医院の予約に間に合う。うっかり歯ブラシセットを忘れてしまい、昼食の後に歯磨きができず、歯科医院で歯ブラシを買って洗面所で磨いた。たとえ相手は歯科医師と言えども、汚れた口の中を見られるのは恥ずかしい。歯の修理は、いくつになっても苦手だ。

その後、書店に行って、注文していた詩集を受け取った。

山崎佳代子さんの『アトス、しずかな旅人』(書肆山田)である。山崎さんの詩集は出されると必ず読んでいる。今回の詩集も、表紙の絵から、とても魅力的な内容であると感じることができる。

帰宅してからバッグから出して、大事に頁をめくる。

書物の中には、とりわけ詩集には、内容も含めて宝石のように美しい本がある。この『アトス、しずかな旅人』も、やはりその種の詩集だと私は感じている。大切に読んでいこうと思っている。

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2008年8月17日 (日)

ウルりる。

Myphoto_2570no2 雨、捕まえた。

タイトルの「ウルりる」は、この前の現代詩の会のときに音大生の川津さんが、詩の感想を言うときに「うるりました」と言ったのを聞いて、そうなんだ、若い人は「うるりる」って言うんだぁ…と感心して以来、マイ・ブームです。

う、の次の「る」→「り」→「る」という語感、発音するときに口の中で舌が転がっていく感じがして、気持ちいいですね。それに、高校生のときに古典で勉強した「ら行5段活用」?(でしたっけ)みたいで、楽しいです。

新詩集『翅音』(はねおと)(砂子屋書房)について、nontanさんこと五十嵐倫子さんがブログnontan,s diaryで、とても丁寧なご感想を書いてくださいました。

五十嵐さん、心のこもったご感想をありがとうございました。うるりました。。。。。。

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鈴木志郎康さんの初期の詩を読み返した。

Myphoto_1367 エゴノキに実が成っています。

そういえば、今年は柚子の木に、いくつかの小さな実が成っているのを発見。今までは、1個収穫できれば上等だったのです。大事に育てて、冬は柚子湯に入りたいなぁ…と夢は勝手にふくらみます。

鈴木志郎康さんの詩を初期のものからゆっくり読み返しています。言葉に関しては一貫してアグレッシブでラジカルな姿勢が貫かれていて、まだ20代の頃に書かれたみずみずしい感性の詩集の中にも、言葉へと向う覚悟や情熱がただならぬ強さで貫かれているということがわかります。

今日は美容院に行きました。注文だけしてあとはあまり興味がわかない性質なので、片っ端から、読みたいけどなかなか高くて買う気になれない月刊の雑誌を読み漁り、着物の記事には特に注目して読みました。ほんとは、そういう時間も詩を読んでいたいんだけど、なんとなく、できないのです。

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2008年8月12日 (火)

新詩集『翅音(はねおと)』(砂子屋書房)が出来ました。

Myphoto_2553 第3詩集『翅音』(砂子屋書房)が出来ました!!

表紙の絵は画家の矢野静明氏の水彩画です。

詩集に載せる詩篇を読んで矢野さんが自作の絵から内容にふさわしい作品を選んで提供してくださいました。装丁は倉本修さんが手がけてくださいました。とっても素敵な本になりました。本当にありがとうございました。

今日は、旧「卵座の会」や東急BE詩の教室でお世話になった恩師・鈴木志郎康さんにお会いすることができ、直接、本をお渡しできました。

詩の話や写真の話をすることができました。仕事の愚痴も聞いていただいてしまい、申し訳なかったと思います。でも、私は、20歳の学生のような気分でお話をお伺いでき、すごく楽しくわくわくする時間でした。

貴重な時間を割いていただき、ありがとうございました。

また、砂子屋書房の田村雅之さん、高橋さん、それから病気を治してくださった平木英人先生、本当にありがとうございました。心より感謝の意を表します。

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2008年8月 2日 (土)

柴田千晶さん『セラフィタ氏』の出版記念会に行った。

Myphoto_2557 柴田千晶さん『セラフィタ氏』(思潮社)の出版記念会に出かけた。

詩集『セラフィタ氏』は歌人の藤原龍一郎氏の歌が詩の間に挿入されていて絶妙なバランスを保ちつつ詩集として製作されている。

同人誌「HOTEL」で数篇読ませていただいていたが、今回の詩集では、テーマに沿ってかなり絞り込まれていて、テーマのくっきりしたインパクトのある詩集となっている。

大都会で派遣OLとして働く女性の孤独をサスペンスタッチで抉り出すような詩集だ。詩集が届いた日に手にしたとたんに表紙の凄さに一瞬身を引きつつも、一気に読み進めた。(柴田さん、お礼が遅くなってすみません)

主人公のOLはおそらく30代をとうに超えているのだろう。情事を通して埋めようとしても決して埋めることのできない深い孤独地獄をさまよっている姿がとてもリアルに描かれている。

東電OL事件をモデルに書かれた前詩集『空室』でも、都会に生きて働く女性の孤独が鮮やかに描かれていた。

柴田さんの詩には虚構性が多く含まれていて、それが実にリアルなのだ。そこが凄い。そして、エロティックな内容にもかかわらず、文体がとても清潔なのである。

「新世界」という詩の冒頭に、

(イツカラコンナニ ヒトリニ ナッタノダロウ……?)

という行がある。実にリアルで、言い当てられた、という気がした。

お祝いの会では、次の展開への豊富も述べていた。今度はどんな女がどんな風に描かれるのだろう。楽しみだ。

蛇足ですが、私、初めて真夏に着物を着て出かけました。亡き母の残した小千谷縮みと博多帯。思った以上に涼しくて、嬉しい日となりました。

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2008年7月29日 (火)

現代詩の会、そして『花のえん』での朗読会

7月26日(土)は現代詩の会がありました。参加者は11人。それぞれの個性のよく出た作品が揃っていました。皆さん、相手の思いを尊重しつつも、仲間として、正直に批評するというスタンスがいつも貫かれている。3時間でも11人の作品を合評しあうのはかなりきつかった。

その後、『花のえん』というお店で行われる白鳥信也さん主催の朗読会に行きました。1人10分くらい。美味しい有機野菜のお料理をいただきながら、朗読を聞き合いました。

現代詩の会の人たちだけでなく、お店でこの催しを知った人や友人の友人、という方たちが誘い合ってきてくれました。白鳥さんと『フットスタンプ』で同人の小島浩二さんも来てくれました。

美味しいお料理とお酒を飲みながらの、ゆったりとリラックスしながらお互いの詩を読むというのも楽しかったです。

聴いてる方たちもとても和やかに楽しく聞いていたようでした。

喉がやたら乾くタイプの私なので(イイワケがましいですが)、ビールを別注文して、小島浩二さんと一緒に仲良く、ぐいぐい飲みました。暑い日が続いていたので、ビールはいくらでも飲めそうな日でした。あまり体にはよくないのだけど、ビールを飲むとスカッとする。(ハイ、私、立派なおじさんですから。しかも昼間の仕事関係の夜の宴会でのポジションが身についてしまっていて、ついついお酒を注ぐ係りをやってしまった。つくづくオヤジ、しかも下っ端なのである。トホホ)

Myphoto_2549 白い布に英訳された言葉とニホンゴをプロジェクターで映写した北爪さん。歓談の場になったらカウンター上の壁に映し出していました。これもまた素敵ですね。

詳しくは五十嵐倫子さんのブログnonntans daiary または北爪満喜さんのHPhttp://www1.nisiq.net/~kz-maki/にも書かれていますので、ご覧ください♪

今日は、午前中健康診断だった。採血でたくさん血を採られると、いつもとっても気持ちが萎えてしまう。仕事は無理と思い半日休んでそそくさと帰宅した。

ドアを開けると、電話が鳴っている…。砂子屋書房の田村さんからだった。今製作中の詩集『翅音(はねおと)』の見本ができたとのこと。明日の夜には受け取れるよう送ってくださるそうだ。

緊張とともにわくわくする。

 

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2008年7月21日 (月)

「ぷちっとサンサシオン』に出かけました。

Myphoto_2498 アバガンサス。球状に咲いて、まるで青い花火のよう。夏の庭に涼を呼んでくれます。

一昨日は、夫と駅で待ち合わせて、玉川高島屋のバーゲンに行った。めぼしいお店をぐるりと回って、結局はじめに行った店で、バーゲン対象外の洋服を買ってしまった。買ったものはブラウスとジーンズで、ジャケットは予定外の買い物。夫はジーンズを買っていた。久しぶりに高島屋店内南館のローストビーフのレストランで食事をした。満足感があった。

昨日は、座間市在住の画家、矢野静明さんらの主催の朗読会「ぷちっとさんさしおん」に出かけた。猛暑の中だったが、矢野宅は緑のカーテンとなる野菜などが植えられていて、風が通ると、とっても涼しいお宅。ちょっと遅れての参会だったので、外のお庭に座って聴く。気持ちのいい涼風のなかで、聴くのもとてもいい気分だった。やはり矢野さんがその場で疑問に思われたことを朗読者の金井さんにぶつけるという形式は、聴いているほうも、何が飛び出すかわからないという即興性があり、とても緊迫間があり、楽しかった。

毎回矢野静明さんの質問が鋭い。

たった800円、飲み物、お菓子つきで、こんなに楽しく刺激的なお話が聴けるなんて、すごく嬉しい。

また今回も矢野さんの素敵な水彩画が掲示されていて、とても嬉しかった。

2次会もそれぞれの自己紹介から始め、最後は、詩論へと発展。過激で刺激的な話が続き、私は興奮してしまって、昨夜はなんだか眠れなかった。とてもいい会だった。

…ということで、今日は、朝方になって、やっと眠りはじめ、今日もまたまた一日中眠ってしまった。。。

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2008年7月12日 (土)

野村尚志さんの季刊『凛』を読んだ。

Myphoto_2446 鳥と魚の不思議な組み合わせ。おおっ、カメラ目線の鯉が!?

野村尚志さんの詩を読むたびに、ぐっとくる。深くて痛い孤独や人の存在に対する問いのようなものを想起させてくれる。

『凛」14号転居では、「背中」という詩がよかった。野村さんは職業や肩書きで人を区別したりしない人だというのはずっと前から知っていたけど、他者への優しい眼差しと自己の存在への問いが、そこにはあった。

今号の『凛』15号梅雨明けでは、「打ち捨てられた雨傘」「まだ開かれていない雨傘」の2編が掲載されている。雨傘、しかもビニールの傘にさえ愛情を込めて書いている優しい詩人だ。

「打ち捨てられた雨傘」が2度捨てられる、と書かれていて繊細な感覚が痛々しくも思えた。

「打ち捨てられた雨傘」(タイトル)      野村尚志

梅雨時になると雨がよく降るので

打ち捨てられた雨傘を見ることも多くなる

このところ二本見た

一本は紺色の半開きになったもの

もう一本は透明のビニール傘で

骨が折れ骨が露わになって

道の真ん中で逆さになって開いていた

                       (一行空く)

骨が折れ骨が露わになったものの方に

より私は惹きつけられたが

打ち捨てられた雨傘は

一体の彫刻のようである

誰が捨てたのか

急に雨が止んでいらなかくなったか

おそらく捨てられたのは夜のことではないかと思う

そして昼間の街に現れたのだ

                       (一行空く)

用なきものとなった雨傘を

私は見て過ぎるだけだが

心ある人は片付けることをし

用なきものは用なきものの姿すら消し去って

正式に捨てられるのだろう

それは二度捨てられることでもある。

捨てられたビニール傘を一体の彫刻のような存在として感じている。しかし心ある人が後片付けをすることによって、それは「正式に捨てられ」「二度捨てられる」。含蓄のある行だ。

ここには詩人と世の人(心あると言われている人、あるいはそのような行動をする人)とのギャップがあり、価値の転倒がある。そこに、詩人の生きていく哀切感や物として(あるいは詩人自身)の存在について考える詩人の哀しみや疑問があるようにも感じるのである。

             

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2008年3月23日 (日)

詩集を買った。

Myphoto_2178_2  数日前に、重い荷物を持ってしまったことが響いてか、肩、腰、膝などの関節が痛くて、昨日は整体院で念入りにマッサージをしてもらった。

かなりよくなったようには思うのだが、今朝おきると、体の節々が、やはり痛くて、午前中にある英会話のレッスンも先週に引き続き休みたくなった。

キャンセルの電話をする前に、カーテンを開けたり室内を動き回ったりしているうちに気が変わり、何とか出かけることができた。

先週休んでしまったし、いつも通り予習もしていなかったので、どうしようと思っていたが、今日は、意外に内容が理解できて調子よかった。マッサージ効果かもしれない。駅の周辺で、いろいろな雑事を済ませているうちに時間が過ぎてしまった上、疲れがどっと出たので、他に予定していたことを諦めて自宅に帰って寝てしまった。

今日は、駅ビルの本屋さんに注文していた林木林さんの詩集『植星鉢(ぷらねたぷらんた)』(土曜美術社)を買った。

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2008年3月20日 (木)

現代詩の会がありました。

Myphoto_2239_2 昨年の夏に咲いたつりがねそうが、抜け殻のように、まだ「存在 」しています。

朝から冷たい雨が降っていた。現代詩の会に出かけた。3時から6時までの予定だったので2時40分くらいに、集合場所に到着すると、すでにお一人いらしていて、その後、バタバタと時間前に詩人が8人現れた。

来た順番に合評をするので、時間前にはすでに作品は10篇以上あり、3時を過ぎる頃から、さっそく読みあった。

9人の詩人の参加だったが、力作ばかりで、つくづく自分の力のなさが、身に染みた。

やはり3時間では終わらずに延長して、コーヒー1杯で4時間粘った。いつも多くの刺激を受ける。詩作は孤独な行為なだけに、私は、一歩間違うと、自分を甘やかしてしまいそうになる。きちんと言ってもらえると、はっとさせられポジティヴに書いていこうと思える。

猫のミュウちゃんが、朝に数回、水様性の便をしていたのが気になって、合評会が終わると、すぐに帰宅。ミュウちゃんは、朝のときとはうって変わって、元気になっていて、少しだけ食欲が出てきた様子だったので、ほっとした。

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2008年3月16日 (日)

川上未映子さん『先端で、さすわ さされるわ そらええわ』(青土社)を読んでいる。

Myphoto_2184_2  川上未映子さんの『先端で、さすわ さされるわ そらええわ』を読んでいる。

関西弁が入り混じりつつ書かれているせいか、神奈川からほとんど足を踏み出さないわたしには、読み始めたとき、冗長な感じがしてしまってけっこうきついと感じた。

でも、じんわりと心奪われて読み進めている。

圧倒されるのは、言葉からの開放感だ。

ふいに、

…記録映画のように少女の顔はゆっくりと一冊の分厚い帳面になり、濡れた髪の毛束の先が指のかたちになって、銀色の表紙を素早くめくり、風に飛ばされるように勢いよく頁はめくられ、半分あたりでぴたりと止まった。

         「少女はおしっこの不安を爆破、心はあせるわ」(川上未映子)より

のような言葉が出てくると、どきっとする。捲られるページの文字は緑のペンで書かれているという。湯船でおしっこをしたい女の子とその行為に対する母の戒め書かれているが、12歳の女の子のまだ子どもの思考と少女の思考が入り混じった形で書かれているところが、年若い作家とは言え、すごいと思うのである。

今は「ちょっきん、なー」の途中まで読んだ。もううっとりする。大人なのに子ども、子どもなのに大人の側面が、ほんとによく出ている。

この2作は子どもから少女になっていく気持ちのなかで、多くの女の子が、あった、あった、そんなこと、でも今となってはかっこ悪くて言えない、というようなことが、描かれていて俄然親近感をもつ。

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2008年3月15日 (土)

福田純子さんの朗読会に行きました。

Myphoto_2186no2_3 昨日は、どしゃぶりの雨の中、池尻大橋のスターポエッツギャラリーで行われた、福田純子さんの朗読会(ポエトリーヴォイスサーキット天童大人プロデュース)に出かけた。

仕事になかなか区切りがつかず、その上、窓の外はどしゃぶりの雨。それでも、「すごい」と評判の福田さんの朗読を、どうしても聴いてみたくて、難病から恢復されたというお祝いをどうしても伝えたくて(他人ごととは思えず)、遅刻しながら駆けつけた。

まるで一人芝居のようで、ほんとに面白かった。『鳩子ひとりがたり』の世界にまたたくまに引き込まれた。登場人物が生き生きと福田さんの動作や語られる言葉、聲から現れてきて、そこにくっきりとした世界が描き出されていた。噂通りのすごさだった。

帰宅してから、神奈川新聞を見ると、金井雄二さんが、文化欄で、高柳誠さん、中上哲夫さん、中村恵美さん、野木京子さんらと共に長田の名も入れてくれて、神奈川県内の詩人の朗読の状況に少し触れていたのを読んだ。それから、『フットスタンプ』15号の池田俊晴さんの詩についても書かれていた。(神奈川県内の詩とその周辺のみに絞られて書かれています)

 

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『フットスタンプ』15号を読んだ。その4

Myphoto_2208 『フットスタンプ』15号は「どすいか」を特集している。「どすいか」という言葉から受けたイメージを、白鳥さん、遠藤さん、池田さん、田辺さん、小島さんらの同人が、それぞれの手法で文章にしている。どの人もとても気合が入っていて、楽しかった。

それから、前号でゲストだった西元直子さんを迎えての座談会。肩の力が抜けていて、とても読みやすかった。緊張した誌面のなかで、ふと、ゆるやかなときが流れている。

『フットスタンプ』団の活躍が楽しみである。

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2008年3月 8日 (土)

『フットスタンプ』15号を読んだ。その3

Myphoto_1885 3か月前の空。飛行機が横切っていく。

ようやく復帰できそうな感じになってきました。

心身ともにへたばっていました。とは言え、整体や英会話には何とか行き、病院にも行き、吉田文憲さんの『銀河鉄道の夜』の講演会にも出かけたりしていました。相変わらず、何かを傷つけたり何かに傷つけられたりしていました。

…ということで、今日は、『フットスタンプ』15号の池田俊晴さん「まか Vol.2」を読んだ。

残念ながら「まかVOl、1」を手にしていないので、「まか」という言葉には何か意味があるのかないのかがわからない。たぶんない、ような気がしている。詩が「1 こめかみ」から始まって「4 火事」までパートに分けられている。

吃音風に読点がたくさん入れられていて、読んでいて切迫した感じがしてくる。そのなかで「こめかみ」のスペースで何か不穏な爆発のようなことが起こり、それがきっかけで詩の行が進められていく。詩のなかで「意味はない、/みんな、発声する」とあるように、言葉そのものの輝きを求めているようで、意味に至らずに、池田さんの言葉の感覚が語られていくという形になっている。しかし、とても素敵な読点の入れ方で、はっとさせられて新鮮さが保たれている。最後の「4 火事」だけが結論や、それまでの行への意味づけのように書かれている。「まか」というのはなんだか、ブラックホールのような、あるいは通り抜ける泉のような、感覚の通り道のようなところなのかもしれない。「燃えろ」とは、まさに池田さんのこの詩の言葉について呼びかけているようだ。力強くて繊細だった。

「まか VOL 2」の「1 こめかみ」より引用させていただきます。

まか VOL 2

1 こめかみ         池田俊晴

こめかみ、こめかみ、

くい込もうとする、

どろどろの、あおや、あかの、

いろんな、の

明滅する、

眠り、そのなかを、

響こうとする、

お、お、音、を、

こめかみ、音を、微分する、

時間、は、

裂き割れ、こな、ご、な、   

                  (一行空く)

飛び散り、

聞えてくる

光りながら、あふれる、

時間の、まかの、狭間の、

空(くう)走しり、旋回する、内向する、

きれぎれの、ノイズが、

きれ、ぎれ、の、声が、

ずっと深いところで揺れる、

欝と、ゆれる、

わたしが、触れるのではないのだ、

触れられるのだ、わたしが、

何かに、

                (一行空く)

こめかみ、こめかみ、

収縮する、

消える、

接点が点描する、無数の、

手と、足と、口と、耳と、無数の、

壁と、屋根と、窓と、

鋭く切立とうとする、都市の、

いきものの、

それぞれの頻度が、

(まか)を

しと、死と、わたしと、

ならんで走る、

               (一行空く)

こめかみ、こめかみ、

食いちぎられる、切りはなれる、

意味はない、

みんな、発声する、

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2008年2月20日 (水)

『フットスタンプ』第15号を読んだ。その2

Myphoto_2131 春めいた日でした。

白鳥信也さんの「ロビーがさびしい」。すごく楽しい詩だった。読んでいて笑みが浮かんでしまうユーモラスな詩は珍しい。白鳥さんは、そういう詩が得意な人のように思える。

はじめの2行がすでにいい。「ロビーがさみしい/なんだかロバが背を向けてせつなくいななきそうじゃないか」と言う社長の登場、というくだりから、物語を感じさせる哀切な雰囲気とロビーとロバというありえない取り合わせ。慌てて頭の中でイメージを広げようとすると、本当にロバに乗った女性がロビーに現れる。

それからコーナーに藁を敷いて葉ランと黒スグリの実を飾る。社長は気に入って、「なんだか草原にいるみたいだ、いい感じだな/そう言って、社長室のドアをぱしんとしめた。」社長はリアリストではなくロマンチストだった。「ぱしんとドアをしめる」とことで社長の存在のなさと同時に存在感を思わせる。最後の連では、本当に亀やヤギを連れた人がやってくる。「渡されると封筒ごと食べてしまうヤギもいた」という。

ユーモラスな童話のような世界なのに、読んでいて最後までどこかリアルな感じを受けてしまうのはなぜだろう。

書かれている内容が少しずつ変形されながら繰り返されていく。巧みに幼児向けの童話の手法が取り入れられている。そこに、動物を連れて現代的なロビーにやってくる人がいる。ロマンチストな社長…。形式化した人のイメージを、場所、登場人物などを小道具として使うことで、私たちの抱きやすいイメージが、いちいちひっくりかえされるのではないだろうか。「黒スグリの酸っぱさ」と読むと、」じわっと口の中が酸っぱくなってくる。

見開きだけの短い詩なのだが、書き始めたら、あれこれ思うことがあり長くなってしまった。

また明日か、明後日に…つづきます。

ちなみに、昨日のブログで触れた小樽グラスのクリスマスツリーは、私の偏愛するものの一つで、家族が出張するたびにひとつひとつ買ってきてもらった思い出がある。北爪さんの写真に、私が持っていたのと同じガラスのツリーを見て、とてもうれしかった

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2008年2月19日 (火)

『フットスタンプ』第15号を読んだ。その1

Myphoto_2166no1 メジロが桜の枝で遊んでいた。(河津にて)

『フットスタンプ』第15号を読んだ。

いつもながらに小島浩二さん、田辺武さん、遠藤誠さん、白鳥信也さん、池田俊晴さんらの同人全員の力量が充実していて、勢いのある詩誌だと感心する。

勢いのある詩誌は、読む方も、その勢いに乗って一気に読んでしまう。もちろん十分楽しめる。

今回のゲストは北爪満喜さん。招待作品の「SU I CA 移り映るから/響き」は、SU I CA から発想された近未来的なコミュニケーションのあり方や、現在のSUICAの利用の仕方から、更に飛躍して美術館でも使えるという内容になっている。そしてSUICAが言葉としても気持ちよくSUIREN  SUIZOKUKAN  SUISEUNO Oと変容していき、何らかの近未来的な通信ツールを利用していくことを(ケイタイ電話のような)、とても爽やかに書き綴られている。素敵な詩だった。

美しい小樽グラスのクリスマスツリー(コレに惚れて、私2個持ってました。2個とも猫のミュウちゃんに破壊されてしまった…) の写真の横にはやはり北爪さんの「響き」という鋭角な内面を書いた詩が掲載されている。

小島浩二さんの「次の言葉へ」詩の中で「あなた」と呼んでいる人とはどんな関係の人なのだろう。女性のような気がする。二人で演劇を観た後に、今度は自分の演劇の舞台に立っていることを意識しつつ帰路につく男の迷いのようなものを感じた。「まだ本当の出番ではないのだ」と言っているうちに、次の「独白の場面が用意されていたとしても/観客はあなたのままでいるとは限らない」。演劇を観た後に今度は自分のステージに立つということが、たぶん人生と重ねて書かれているようだ。

田辺武さんの「ぷそいど」。この題名からして不思議で何かと惹かれる。ある日突然電話がかかってきて、「相談したいという項目にチェックしてあった」ということから、はじめこそ身に覚えのないことと、引いているのだが、主人公の田辺さんは、その「相談したいこと」の言葉に触発されて、どんどん奇想天外な言葉や物語を紡ぎ出していってしまう…そして、とうとう、事務的な連絡をしてきた人を「会ってお話をしたい」と言わしめてしまうのである。会話形式で進められ、一般の認識の逆転が狙われていて面白い。それにしても「ぷそいど」って?

遠藤誠さんの「パレード」。男女の微妙な関係が実にうまく緻密に散文形式で書かれている。はじめに手首の違和感があり手に怪我を負っているのではないかという思いがあり、実は道ならぬ恋の相手の女と約束している時間である。そして二人の関係が書かれていてパレードがきてあるものを目撃することによって、手首の痛みの正体がわかるという仕組みになっているのだが、時系列の歪みが詩全体に雰囲気を与えている。

…ということで、続きは明日書かせていただきます。3日くらいかかるかもしれません。どの詩人についても、どうしても書きたくなってしまう、刺激的な詩誌だ。

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2008年2月18日 (月)

今朝方見た夢は…。

Myphoto_2152 河津には、桜だけでなく、アロエの花もたっくさーーん咲いていた。

昨日、俗世界とは離れたところで…つまり、名声とか、権威とか、関係ないところで…詩を書いていきたいと、文字にしたら、胸がすっきりした。

今朝方、また夢を見た。

自分が結婚する夢だった。

夢のなかでは、たぶんすごく若かった。というか、年齢ははじめから除外視されていた。4年前に他界した母が、今朝の夢にも元気な姿で現れた。5年も寝たきりだったのに急に元気に立ち歩けるようになったということになっている。私は、長く寝たきりだった母が、あんなに、急にしゃきしゃきと歩き回って大丈夫なのかと心配している。

全く知らない男女が出てきて、やはり同じ日に同じ会場で結婚式を挙げようとしている。二人とも、夢の中では、はっきりと顔が見えていて、何となく、自分とは全く感性の違うタイプの男女だと思い、ものすごく客観視している。

私が結婚する相手は謎だ。しかし親戚の人も数人出てきて、どの人もはしゃいでいる。真っ赤な着物を着ている叔母は、舞台で踊リ出す。

私はトイレに行く。花嫁なのに(まだ花嫁衣裳は着ていない)、一般客の人と同じトイレに並び、ようやっと用をたそうと個室に入ったら、便器が汚れていて、暗澹とした気持ちになる。

ちなみに、私の夢は、子どもの頃からカラーのことが多い。詩のなかで、何かイメージするときも具体的な色がついている。夢の中では、何かの出来事と共に、はっきりとした音楽が聞こえることがよくある。目覚めてからもメロディーをかなりはっきり覚えていて、音符で記譜しようとすればできそうなくらいだ。詩として出てくる言葉に、耳をすませて高低や強弱を聞き分けていた時代もあった。

今回の夢の中では、メロディは聞こえなかった。

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2008年2月17日 (日)

覚悟。

Myphoto_2120 庭に咲いている梅。

今朝方、悪夢を見て魘された。自分が幹事をしているパーティの会場をおさえていない。開会まで、あと30分だというのに、会場に予約を入れていないばかりか、当の会場名を忘れてしまっている。妹はすでに着物を着ている。私は、パニクって着物も着られずに慌てている。母が会場名を教えてくれる。今頃、予約の入っていない店の前で、パーティに来た人たちが騒ぎ始めているのではないかと想像する。今度は電話番号が見つからない…。

苦しい声を上げながら目が醒めた。似たような夢で二度魘された。

気がついたら2月も中旬になっていて、色々な意味で焦りを感じている。それが朝方の夢に影響したらしい。

起きて食事をすませて、英会話学校に行く。今回もまったく予習していない。けど、振り替えの人がいて2人でレッスンを受けたから、余裕があった。もう一人の人が発言している間に考えることができる。かえって勉強にもなり身につく感じだった。前回と同じカナダ人の先生で、とても親切に教えてくれた。

家族が「極楽トンボ」と言うので「地獄トンボだよ」と言う。

頭が空白になるたびに、昨日見せていただいた普後均さんの現在進行形の作品が頭に蘇る。素晴らしい作品に出会えるとはこういうことなのかと思う。いい気持ちが一緒に蘇ってくる。

4時間くらいソファでぐっすり寝てしまった。

詩を書いていないことが気になっている。今朝の悪夢もそのことがかなり関係している。詩友の一人が言ってくれた言葉を思い出した。それは、「詩壇詩人は目指さない方がいい。とたんに詩がつまらなくなる」という言葉。とても大事なことを言ってもらえた気がした。詩を書くことの根本はそういうことだと思った。俗世界とは離れたところで書いていきたいと思う。私なりに覚悟が必要だと思った。

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2008年1月29日 (火)

朗読会無事終了しました。

Myphoto_1713

この写真は以前写した羽田空港の天井です。

昨日は六本木のストライプハウスギャラリーで「第166回詩人の肉聲を聴く!ポエトリーヴォスサーキット(巡回朗読会)長田典子朗読会」があった。おかげさまで、ソロでは4回目の朗読会である。

今回は散文詩を中心に朗読した。

週の始めの上、朝は晴れていた天気が暗い曇り空となり、とても寒い日だったので、足を運んでくださる方がいるのかと、とても心配だったが、多くの方々がご来場くださった。

いつもはカジュアルな格好で朗読する私だが、今回は1月(まだ新春!)ということもあり、読む詩の内容の色彩や柄がちょうど合うと思える洋服があったので、特別にそれを着た。それは、着物をリサイクルして洋服に仕立て直した衣類や小物の小さな展示会で人目惚れをして、後先考えずに買ったもので、もとは留袖の生地を利用して仕立たものだ。

しかも、ちょうど展示されていた「動物環境会議◎誕生10周年記念イベント」のひとつである「猫のクロッチ」のエコバッグが壁に展示され、天井からも吊り下げられていて、私はとってもリリカルな、そしてコミカルな相反するようなイメージを同時に感じることができた。ちょうど朗読する詩のなかにも猫が出てきていたので、なんだか運命のような衝撃を受けた。そして、そんな不思議な空間で朗読できるなんて感動的だった。

Myphoto_2092no3_2 猫のクロッチのエコバッグが展示されている壁

散文詩のなかに登場する人物をどのように立ち上がらせるかを考えて立ち位置などを変えながら読んだ。また、いろいろな人物の登場する散文詩なので、構成も工夫した。聴きにいらしてくださった方のなかにそのことにも気がついてくれた人がいて、ほっとした思いだった。

(ミクシィでnontanさんやヨウスケさんが、感想を書いてくださっているので、読んでいただけたら嬉しいです。また、五十嵐倫子さんがブログで書いてくださっています。皆様、本当にありがとうございます。)

会場で売られていたとっても複雑な味のする美味しいチョコも購入し、昨夜と今夜はじっくりと味わいシアワセいっぱいの気持ちになった。このチョコはオーストリーでチョコの錬金術師!と称されるZotter氏オリジナルとのこと。

お忙しいなか、朗読会にいらしてくださいました方々には、心より感謝申し上げます。

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2008年1月26日 (土)

現代詩の会がありました。

Myphoto_1963 土曜日は現代詩の会がありました。

参加者は10人でした。11篇の詩が提出され、3時間では時間が足りないくらいにそれぞれの詩について、批評し合いました。

お互いを尊重しあいつつ、冷静に批評し合える会は、かなり貴重な時間です。

今回は新しく若い参加者が二人も増えました。

また新しい風が吹き込んできたという新鮮な気持ちがしました。

3時間では語りきれない詩への思いが溢れてきて、その後は2次会になり、ふたたびそこでも詩の話が続きます。

今回は、28日の朗読会へ向けて、体調管理のために、参加できずに残念でした。

次回は2月後。今から待ち遠しく思っている。

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2008年1月22日 (火)

長田典子朗読会のお知らせ

Myphoto_2030no2 ものすごく寒い日が続いています。

カイロを背中に二つ、両足の裏に貼って仕事をしています。

天気予報によると明日は関東地方も早朝より雪が降るようです。

ちょっと嬉しいけれど、明日の朝は少し早めに起きて交通機関の遅れなど、ニュースでチェックしなければならないことを考えると、ちょっと憂鬱。

目覚まし時計をしっかりセットして、今日は早めに寝なければ…などと考える。

さて、4回目のソロでの朗読会を行います。

   肉聲を武器に、詩の作者ならではの熱い朗読を聴いていただけます。

紙に印刷された文字が作者の声となって立ち上がり、空間を支配していく様を、是非是非、お楽しみください。力強い聲が、言葉が、聴いている方の心の奥まで、きっと届くことでしょう。

第166回詩人の肉聲を聴く!ポエトリーヴォイスサーキット(巡回朗読会)

         長田典子朗読会のお知らせです。

とき…  1月28日(月) 開場 19時  開演 19時30分

ところ… ストライプハウスギャラリー(六本木)

      ☆地下鉄大江戸線・日比谷線六本木3番出口

      ☆右手アマンドを右に曲がり、芋洗い坂下る

      ☆六本木中学校斜向い  ☆徒歩4分

      〒106-0032 港区六本木5-10-33  3

      TEL 03-3405-8108  FAX 03-3403-6354

      E-mail  info@striped-house.com

入場料 予約   大人2500円  学生 1500円(学生証呈示)

     当日   大人2800円   学生 1800円(学生証呈示)

※ご予約は直接会場へ、お電話かFAXでご連絡ください。

お問い合わせ先:
TENDO TAIJIN BUREAU / 北十字舎 171-0031東京都豊島区目白3-6-5
       Tel03-5982-1834, Fax03-5982-1797
       E-mail:tendotaijinbureau@mbi.nifty.com

        URL:http//universalvoice.air-nifty.com

        多くの方のご来場を、お待ちしています。

       きっと心に残る時間となることでしょう・・・。

 

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2008年1月17日 (木)

白鳥信也さんの朗読会に行きました。

Myphoto_1896_2 住宅地に続く道を思いもかけずに電車が通り抜けた。

「詩人の肉声を聴く!!ポエトリーヴィスサーキット 白鳥信也朗読会」(天童大人プロデュース)に六本木・ストライプハウスギャラリーに出かけました。仕事が長引いてしまってはらはらしましたが、何とか間に合いました。

会場に着くと間もなく白鳥さんが所属している同人詩誌『フットスタンプ』の田辺武さんや池田俊晴さんにお会いできた。今日は、きっとフットスタンプ団のどなたかにお会いできるのではないかしらん、と愛読者として、とても期待していたので、嬉しかったぁ♪。

『フットスタンプ』創刊号からすでに10年以上の時が流れているというが、いつもとても充実していて、新鮮でカッコイイ!!という思いで頁を捲らせているので、頭の中でその年月が、ふ、と飛ぶ。いつも最前線を突っ走っている詩誌なのだ。

…と思っていると、WINDS CAFE主催の川村龍俊さんにもお会いできた。突然、東京への出張が決まったとのことで、とてもうれしい想定外の出会いだった。頼まれている個人詩誌をお送りできていなくて大恐縮してしまった。

はじめに第一詩集『アングラーラングラー』(思潮社刊)をあとがきから読まれた。少し緊張されていたのか、朗読する言葉とともに緊張感が伝わってきた。自分としては読みなれていると思っていた白鳥さんの詩は実はとても深く難解でもあるのだと改めて思った。いつも仕事帰りのスーツ姿の白鳥さんしかお目にかかったことがなかったので、今日のラフなスタイルも含めて、なんだか新鮮だった。『アングラーラングラー』は釣りの話が多く、釣り好きには、大いに楽しめる詩集ではないだろうか。

次に第2詩集『ウォーター、ウォーカー』(七月堂)を朗読した。白鳥さんの詩は、すでに15,6年(いやそれ以上?)前から読ませていただいているが、一貫して水に関わる詩が多い。『ウォーター、ウォーカー』もやはり水に関する詩から始まる。しかし、こちらは、水から街の中へと意識が移行していく感じで詩集が構成されているように思う。朗読も。街の方へと移行した頃から、白鳥さんのユーモアが伝わってきて、会場が笑いに包まれた。詩を聞いて笑いが起こる、ということはめずらしい。でも奇想天外な物語の進行と現実の交差が絶妙で、聴いていて、面白くて吹き出して笑いが込み上げてきた。

参会された多くの人の心を和ませ笑いを起こしたのだから、大成功と言えるだろう。

第二詩集『ウォーター、ウォーカー』の表紙となったフレスコ画がテーブルの上に展示されていて、とっても素敵だった。

次はどんな朗読をされるのか、とても楽しみだ。

白鳥さんと同じ「現代詩の会」に参加しているため、たくさんの知り合いにも会えた。また、若い頃から同人誌の製作でお世話になっていた七月堂の編集者、知念さんと、15年ぶりくらいにお会いでき、感激した。

白鳥さんの朗読会の様子は五十嵐倫子さんの「nontan、s daiary ウエヴログ」にも書かれているので、そちらもお読みくださいね♪

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2008年1月13日 (日)

薦田愛さんの朗読会に行った。

Myphoto_2003_2 昨日、詩人の肉聲を聴く!ポエトリーヴォイスサーキット(天童大人プロデュース)の薦田愛さんの朗読会が新宿のギャラリー絵夢で行われた。

新宿中央東口から歩いてすぐのとても便利な場所だった。

薦田愛さんのソロの朗読を聴くのは、2回目である。

薦田さん自身はソロで9回目ということで、どのように変わったのかを確かめたかった。

結果は、場を踏むことが、前進に繋がるということがよくわかった。一人で、1時間を引き受けて朗読し続けるのは、とても勇気と体力のいること。薦田さんは100分を読み続けた。

読まれたのは主に第二詩集『ティリ』(七月堂刊)からだった。『ティリ』という詩集そのものが、本という次元を超えて、多くの工夫が施されているとてもスタイリッシュな詩集だ。

たとえば、「ゆるゆれるひるがえるふらここ」という詩はメビウスの輪のように細長い紙を繋げて読むとエンドレスとなる。また、「遮蔽装置」と「闇の宮」は「遮蔽装置」が内側で白い紙、「闇の宮」は外側の黒い紙に印字してあり、表裏に張り合わせ、黒い方を翻すと白い面が出るという風なつくりになっている。

このようなカラクリを和服姿の薦田さんが、ひもとくように読まれている姿が、とても絵になっていて素敵だった。

私がいちばん発見だったのは、「ティリ」という連作詩。初出一覧によると1989年12月に発行された同人詩誌『卵座』13号に掲載された詩だ。(詩が作られている過程のほんの一時を確かにともにすごし目撃していた、とりわけ懐かしく印象深い作品だった。)ティリという名で詩に登場する何者かが、朗読を聴き、はっ、と妖精であることに気がついた。今さらになって、本当に申し訳ない。薦田愛さんの詩は、きらびやかな言葉が(語彙の豊富さにはただ脱帽!!)連ねられているので、私は、そのきらびやかな雰囲気にただ圧倒されてしまっていた。

文字を視覚で読む典雅な雰囲気が、肉聲によって聴くことで、空間が、一層、くっきりと立ち上がってきたような気がして感激した。

それにしても100分間、全く聲のトーンが落ちずに朗読を続けられていた。凄い!!

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2008年1月11日 (金)

同人詩誌『豆』四号を読みました。

Myphoto_2009_sono2_2 ローズマリーの花がわっと咲いていた。

いただいて嬉しくて、大事にして仕舞いこんでしまっていて、やっと探し当てた大谷良太さん発行の同人詩誌『豆 四号』を読み始めた。

野村尚志さん、青野直枝さん、北川浩二さん、大谷良太さん、コマガネトモオさん、高澤静香さん、井上和夫さん、森悠紀さん、手塚敦史さんら、とても若くて新鋭の詩人たちの充実した詩誌である。

詩誌全体から、若くて爽やかな風が吹いてくるような気がした。若くて活きのいい才能が集まっている。

とても嬉しい気もちで読み進めた。

それぞれが、違う個性をもっている。そして、どの詩人も,手を抜くことなく詩誌つくりのための真摯な姿勢で詩作を行って、個性あるいい詩を書いているということが、好感を持てたのと同時に、とても魅力的な詩誌となっている。

今日は、大谷良太さんの「狂れる」を引用させていただきたい。

狂れる         大谷良太

風貌が低く、

呼び入れていた

夕刻だった

草の繊維で手を切り、

あえいだ

(さらに深くいかねばならない…)

足下の砂が崩れた

スニーカーが片方打ち捨てられている

見えない連れのために、私は

胸に火を擦った

いなくなってしまう前に

無くなってしまう前に

鉄塔の影が浮かんだ

ここを超えていく

風のセスナの明るい

軽い音を選び

世界は暗転していく…

私は「おう」と叫びもんどりうった

壊れていくのなら、はじめに

私から壊れていこう

夕刻の坂を転げ落ちていこう

夏から秋へ、

春から夏へ

不安のように飛び交う蚊を

連れよ、叩き殺せ浮かぶ影がじりじり暮れる

長い転生が始まる

筆者された本の

黒い頁を契り噛む…

「殴るなら殴れ」と私は

民衆に怒鳴っていたのだ

自分に対して暴力的なくらいに辛い気持ちが押し寄せていて、胸にマッチを擦って会いたい人のことを考え姿を思い浮かべたりしているのかもしれない。鉄塔が目に入ったことで詩が急速に展開していく。思う人はやはり遠くにいる。「世界は暗転していく」「長い転生が始まる」「『殴るなら殴れ』と私は」「民衆に怒鳴っていた」…、なんという自虐的な詩だろう。切り込むような辛い気持ちが迫ってくる。

村尚志さんの「動作」森悠紀さんの「小路」手塚敦史さんの「鈴、ひとつ」もとても、完成度の高い詩だと思った。

これからも、紹介させていただきたい詩誌だ。

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2008年1月 9日 (水)

齋藤恵美子さんの『最後の椅子』『ラジオと背中』(ともに思潮社)を読んだ。

Myphoto_2024 齋藤恵美子さんの『最後の椅子』『ラジオと背中』(ともに思潮社)を読んだ。

『最後の椅子』は老人施設で働く人が、そこに入所している老人に対して温かい眼差しを向けながら、様々な生き様や思いを、とても鮮明に描写し、自分の思いや位置と重ねつつ、書かれている。

『ラジオと背中』は、父母を中心に第二次世界大戦の頃を生きた人々について、語られている。

何が凄いって、齋藤さんは、まだお若い女性なのに、まるで、そのときを生き、目撃した人のように、(まるで、当時の人々に魂が乗り移ったかのように、あるいは乗り移られたかのように)書かれていることが、凄い、のである。

そして連を分けることなく今現在を生きる若い女性、または人間としての思いが重ねて書かれていて自然に行が進んでいく。

『ラジオと背中』の「しゃがむ女」という詩を引用させていただきたい。

しゃがむ女                  齋藤恵美子

中町の家の庭の

金網張りの小屋に立つと

霧のなかで

鶏が、さっと散らばる気配がした

                       (一行空く)

納屋のむこうの栽培農家の林の土に椎茸の

菌をはらんだ榾木が三列

互いちがいに、組まれてあって

(キノコのように、湧く、しずかに湧く、という、現れ方)

月夜にとりわけよくひらくのを

めくれば傘も、手に光った

                         (一行空く)

ブロック塀に据えつけられた、ごみ集積所の前にしゃがみ

放尿する隣町の、女の姿を

見かけたのは

裸の尻の、むっくらとした弾力さえも、目に残るのは

(あれも、月夜の、湧く、しずかに湧く、という、現れなのか)

しゃがんで、何かを産ませるみたいな

野性の尻の、眩しさだった

                         (一行空く)

ニゴケを、まばらに生やす黒い地面の人肌の

流れに湯気をのぼらせながら

ひかりながら、染み込むと

振り向かせた白い顔と、白い尻が、いちどに見え

戦争未亡人なんですよ

絣の背中がつぶやいて

あたしだけ、まだ生きのびて、湯気まで立てて、泣くんですよ

細い、水の舌先みたいな、女の尿が

かなしかった

悲しみが流れる土を、そのとき、はじめて

見たと思った

とても巧みで美しく鮮やかな詩だと思った。女性の視点、というよりも、むしろ男の視線のようなものを感じさせる詩だ。

「鶏」「きのこ」「菌」という繁茂する、繁栄していくものを感じさせる言葉が出てきてから「(湧く、しずかに湧く、という、現れ方)」と、直感的な言葉がうまく重なっている。そこから、夜に放尿する女の尻や背中を見かけるのである。女の描写がとても肉感的で鮮やかである。「あたしだけ、まだ生きのびて、湯気まで立てて、泣くんですよ」と、女の心情を見事に言い当てている。

戦争が終わってからだいぶたって生まれた齋藤さんに、当時を経験した人の魂が乗り移ったかのようだ。そのように思わせる齋藤さんの感性は、とても特別なものだと思う。

幼い頃の思い出を書いた詩も、そこから社会性を帯びた詩へと広がって行く。

齋藤さんが、どのようにして、このような視線を獲得したのか、一度、お聞きしたいと思った。

この『ラジオと背中』は昨年度地球賞を授賞している。

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2008年1月 7日 (月)

中 正敏さんの『星ではない』のあとがき

Myphoto_2018 とても寒かった。体の芯から冷えてしまって、お昼休みに仕事場からコンビニに走って温かいおでんを買った。他におにぎり2個、プリン。カップスープも買ったが、これは、明日の昼食に回した(笑)。

3時ごろになると胃腸の調子が悪くなり、吐き気もしてきた。しかし今日中にどうしてもやっておかねばならないことがあったので、震えながらいつも通り残業。それでも今日ははやく帰宅できた。

昨年の夏にいただいた中正敏さんの『星ではない』(詩人会議出版)のあとがきがとても心に残ったので、引用させていただきます。

ありがとう

長く生かせて貰い

いのちのありがたさを思う

ひとはそれぞれ安らかに

仲よく暮らしていたい

たれもいつかおさらばするとしても

他者の荒れた手で乱されてはならない

詩集『星ではない』は、一読しただけなので、また次の機会に詳しく触れさせていただきたいと思っています。

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2008年1月 6日 (日)

温かい日だった。

Myphoto_2012 温かい日でした。

『something 6』をお送りした吉田文憲さんから、お手紙が届きました。とても嬉しくなり励まされました。本当にありがとうございました。

吉田さんは、昨年の『現代詩手帖』年鑑のアンケートでは、個人詩誌『KO.KO.DAYS』の「モスコーミュール」を選んでくださいました。実は、昨年の12月、本屋さんで買った『現代詩手帖』の入った袋を手に提げながら、家に帰る道々、嬉しくてありがたくて感激して、涙がぼろぼろ出てきました。同じく年鑑のアンケートで田野倉康一さんが『KO.KO.DAYS』NO1のゲスト栗原洋一さんの「神さびゆかむ」を選んでくださっていました。詩誌展望では森川雅美さんが『KO.KO.DAYS』を「センスのいい詩誌」と評してくださいました。『KO.KO.DAYS』NO2のゲスト鈴木志郎康さんの詩に誰も触れてなかったのは不満でした。でも、あまりに大きい人なので、言わずもがな、なのかと思いました。読んでくださり、気にかけてくださり、ありがとうございました。心より御礼申し上げます。

今日は、少し写真を撮りました。それから、古い詩を数編、推敲しようと思って打ち直していました。

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2008年1月 5日 (土)

『部分 35』を読みました。

家の裏でまた蕾を見つけました。Myphoto_2004_2   

三井喬子さん発行の『部分 35』を読みました。

寄稿されている福田純子(大木潤子さん改め)さんは、現代医学では直らないと言われているという(以下太字は 「失われた言葉を求めて」 本文より引用)

「シックハウス症候群」が 重症化して「科学物質過敏症」となるにとどまらず更に「電磁波過敏症候群」を併発  

という病になり、辛い症状から狂おしいほどの悲鳴のような言葉が発せられている。ぐいぐいと引き込まれ、発症した方がどれほどの苦悩を強いられるかが、ほんの一端ではあるが、知ることができた。

このまま首都圏近辺にいたら私の脳は焼かれて縮んで、乾いた梅干みたいになってしまうたぶん私は誰だかもわからなくなって人間ではないなにか別の生き物になってしまう危機を感じて忘れもしない二〇〇三年六月六日、北里大学病院の診察の際に私が今ボロボロになっているのは自宅から五十メートルほどのところに立っているPHSアンテナのせいであると証明書を書いてください訴訟をしたいんですと先生に頼んで断られ、わあわあわあわあ声を上げてさめざめと泣いてからよろよろと診察室を出て、

この後、待合室で会った人のお父さんが経営しているという携帯圏外の温泉宿に避難することになる。

壮絶な闘病記が記されていた。しかし、病を克服し客観視することは、またものすごいエネルギーのいることだ。

今は克服されているとのこと。心からご恢復おめでとうございますと伝えたい。

三井喬子さんは「アンブレラ」「現場」「わすれもの」「傘」を書かれている。こちらは日常に潜む狂気を表現されている。「アンブレラ」を引用させていただきます。

アンブレラ                   三井喬子

お忙しいところ申し訳ありませんアンブレラ

降ってます降ってますアンブレラ

天使さんが降ってますアンブレラ

白い小さな形だけれど

当たると痛いアンブレラ

                         (一行空く)

今日はどちらへお出かけですか

何ならお供をいたします。

嫌なら畳んで杖にどうぞ。

偶然ではなく

計画したのでもなく降ってきたので

いささかの疑問もなくお供します。

アンブレラ

アンブレラ

右ですか

お家は左ですぞアンブレラ

                             (一行空く)

ブラブラブラと参りましょうか。

落ちてくる天使さんが転がって

舗道に落ちてかわいそう。

拾って歩くには多すぎて

真っ白な道ですアンブレラ

冷たい道ですアンブレラ

帰りたくなければ

それはそれでもいいですが

どちらへ

どちらへ行きますかアンブレラ

重たい後悔を載せたまま手すりを越える。

まだ張り出しがある

アンブレラアンブレラ

天使さんはもう消えちゃった。

踏み出せば

たった一歩だアンブレラ

定められていることではありますが

落ちてみますかアンブレラ

鈍色の

その世界の底に。

                           

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詩誌『続 左岸  sagan31』を読みました。

Myphoto_1985_2新井啓子さん、広岡曜子さん、山口賀代子 さんらによる同人詩誌『左岸』が12年ぶりに再開されたとのことです。

詩誌作りへの、とても丁寧な姿勢が、美しい詩誌から伝わってきます。一人3篇づつ詩を発表されていて、どの詩も力作で、読み応えがありました。どの詩も好きで迷ってしまうのですが、あえて言うとするならば、新井啓子さんの「ゼルフィス」、蝶の飛翔がひらがなで実に妖艶な感じで表現されていて言葉ならではの力だと感じさせてくれました。広岡曜子さんの「南禅寺界隈」、思春期の少女の不安がか細い足で平泳ぎをする様から、伝わってきました。山口賀代子さんの「臨終」、最終行の「おもう 死ぬことがしあわせとおもえるときもあるのだと」という言葉が胸に重くのしかかってきました。

広岡曜子さんの「潜り戸」(連作「京都」)を引用させていただきます。

潜り戸           広岡曜子

おいでやす

ようお越しやした

                            (一行空く)

低い姿勢で

腰をかがめて

入る

                             (一行空く)

中庭のほうから

湿気が流れ

黒い石造りの鹿がこっちを見ている

                             (一行空く)

羊歯や

椿や 苔に混じって

                             (一行空く)

深く 音羽の水も流れているはずなのだが

町屋のおじいさんは

奥座敷に座ったままで

ようこちゃん、あんたの小指、細いさかい耳かきになるわ

にやにや笑っている

最近はろくろ遊び

形のととのわない緑色の魚の皿が

ときどきは座敷を泳いでいる

                               (一行空く)

祇園のそばの

旧家では

潜り戸(くぐりんど)を潜って

長い時間を ひょいと越えていく

                                (一行空く)

あかない蔵には

いまも古い雛人形が そろって眠っているらしい

                                (一行空く)

降り積もった湿気もいっしょに

人形の

深く切れ込んだ目と

真っ白な胸のはだけるところまで

 簡潔な言葉から、京都の土地柄や人との繋がりが余すところなく伝わってくる。

 

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2007年12月31日 (月)

野村尚志さん季刊『凛』を読んだ。

Myphoto_1977  センリョウは何とか無事でした。いつもの年より赤い実をたくさんつけてくれました。

今日になって、にわかに焦って、掃除をした。すごいことになっていた。

夕方になってやっと掃除(決して大掃除ではなく)が終わって、何となく気が済んだ、という感じ。これで、やっと新年が迎えられる。

1日しか、違わないのにね。なんで、掃除をするのかな。ま、節目だしね。

…という訳で、今日は野村尚志さんの季刊『凛 12号 冬』より、詩を引用させていただきます。

野村さんの詩を読むと、ストレートに胸に伝わってきます。ただ、ストレート、というのではなく、必ず、心に「灯」のようなものを灯してくれます。今日は、今年の一番最後の日。ああだ、こうだ、言いません。とてもいい詩です。読んでくださいね。

波                  野村尚志

眠るとわたしは目を閉じていて

波の彼方に行っているかも知れない

波にさらわれて

眠っているあいだ

海の彼方で

暗い骨になっているかも知れない

北風が吹く季節になった

荒れる海を見ながら

眠りをそんなふうに考えていた

畑のなかを

城址へ向かう途中

荒れる海

寒そうな曇り空

  野村尚志さんは、今、沖縄で暮らしています。

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2007年12月28日 (金)

廿楽順治さんの『たかくおよぐや』(思潮社)を読んだ。

Myphoto_1960 廿楽順治(つづらじゅんじ)さんの『たかくおよぐや』(思潮社)を読んだ。

言葉の飛躍が大きく、飛躍そのものを楽しむことができる詩集だ。

パロディもふんだんにつかわれていて、ふっと笑わせてくれる。

私がいちばん可笑しかったのは、「化身」という詩の「みんなちがって/みんなきもちわるい」。これって、どこかの学校の教室の黒板の上に貼ってある「みんなちがって/みんないい」(有名な人の言葉らしい)のパロディではないかと思うと、可笑しくなって笑ってしまった。

80年代の頃に出版された詩集をリアルタイムで読んだ人ではないだろうか。言葉について、扱い方をとてもよく心得ている詩人だ。

「押上」「曳船」「野比」等の地名や商店名等、固有名詞から想を得て書かれている詩も多い。荒川洋治さんの初期の詩が少し頭をかすめた。でも、廿楽さんの場合は、地図を見て詩を書く、というのではなく、きっと実際にその駅を通って、詩を想起したように思える。今まで触れた多くの詩を一度体内で完全に消化してから、しっかりと自分の位置と言葉で産み出されている。

(ちなみに押上で京成線に乗り代えると、曳船駅がある。私には、少々馴染みのある駅名なので、つい…余計なことを書きました。)

廿楽さんの視線は、家族や日常の出来事や思い出と繋がっていて、雰囲気を掴みかけるとするりするりと手の中をイメージがすり抜けていって、難解で手強い。なのに、そこが楽しくて、どんどん読み進めてしまう…。廿楽順治さんの『たかくおよぐや』はそんな詩集だった。「オリオン座」という詩を引用させていただきます。

オリオン座          廿楽順治

かけのぼっていった その息が

ひとりではなく

急にふたり、さんにんへとひろがった

ぬけやがったな)

学校の屋上

で てのひらはあつめられ燃やされるのだ

あれが なににみえますか

星座の授業である

げたみたいなつらして

(おれたちにつばをかけてくるおっさん)

がすがかかって

くらくて よごれている

なんにんものうすいウォッカの息

それでも

権利としてあれは夜の空なのです

せんせい

だれがきらいですか

(平泳ぎがまだできなくて)

ドアをあけると

ざあっと ひかりの骨があふれる

わたしはその海辺で

(何年がすぎたのか)

あるはずもない神社の階段をあがっていった

はれつしても ひとはもうひからない

小学校の屋上で星座の観察をしている。下駄のような顔の形をしたおっさんの先生はつばをかけて説明している。先生にはあまりいい感情を抱いていないのか、「くらくて うすよごれている」「ウォッカの息」と行が飛躍する。子どもの権利についてあまり考えないらしい先生に対して「権利としてあれは夜の空なのです」と言う。子どもの自分たちにも権利はあったのだ、という思いが「せんせい/だれがきらいですか」という行に飛躍する。そこから「平泳ぎがまだできなくて」が出てくる。「ドアをあけると」からは「ざぁっと」時間を越えて現在の自分の思いが強くなる。「はれつしても もうひとはひからない」と子どもの頃を懐かしく思い出す。

「学校」「星座」「がす」「ひかりの骨」「海辺」などのキーワードによって、まるで、宮澤賢治さんの「銀河鉄道の夜」のような透明感、美しく切ない思いが胸に迫ってくる。

廿楽順治さんは、とても巧みな詩人だ。

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2007年12月27日 (木)

佐藤恵さんの『きおくだま』(七月堂刊)を読んだ。

Myphoto_1959 2006年9月6日に七月堂より発刊された佐藤恵さんの『きおくだま』を読んだ。

とても筆力のある詩人だと思った。美しい叙情的な詩が24篇収められている127ページの詩集で、とても読み応えがある。

巻頭の方は、ご自身の生い立ちに纏わる思い出が語られていて、次第に、抽象的な思考へと詩の内容が移行している。

一篇、一篇の詩を大事にわが子を慈しむように、言葉が根気よく連ねられている。そして言葉と同様に、登場する命への深くて優しい愛情が、手織物を織るように、丁寧に書かれている。言葉にばらつきがない。

風葬」という誰かの遺言のような詩は、とくにテーマがはっきりしていて秀逸だ。長いので全文紹介できないのは残念だが、初めの1連だけ引用させていただきます。

「わたしが死んだら、わたしの好きな歌をうたってね。

それだけでじゅうぶんだから。

あとは焼くだけのものを、大勢で囲んで眺めたりしないでね。

どうせお別れのことばも言えないし

なにより、もう、それには聞こえないんじゃないかしら。」

で、始まる詩は、その後を要約させていただくと、自分の焼かれたものを遠慮なく崩して灰にして持ち帰り、砂浜の浜茄子の根元に撒いて欲しい。風に流され波うちぎわに飛ばされてすっかりなくなってしまっても、のこされたあなたたちは、思い煩うことなく生きていって欲しい…と語られている。そして、私は、自分の死体も、このようにしていただけたらな、などと思った。

悲嘆にくれるわけでなく、冷静に、優しく、語られていて、想いが美しい。

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2007年12月26日 (水)

『something 6』が届いた。

Myphoto_1957 昨日、受け取るはずだったが、私が不在であったために、本日になって、『something 6』(鈴木ユリイカさん責任編集)をやっと手に出来た。出来上がりをとても楽しみにしていたのですごく嬉しい。とても綺麗な装丁だ。

今号も、日本の詩人だけでなく、韓国の詩人金恵順(キム・ヘスン)さん、パリ生まれだというエレン・フライスさんなどが参加して、広がりと可能性を感じる詩誌となっている。

1999年に書かれたという鈴木ユリイカさんの「光源氏たち」は、読み応えがあって、鋭く的確な表現に感動した。

棚沢永子さんのエッセイは、時代の目撃者としての軌跡が書かれているように思った。

声をかけてくださり、ありがとうございます。また、お世話になりました。心より御礼申し上げます。

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2007年12月21日 (金)

中村恵美さんの朗読会に行った。

Myphoto_1944_2第153回詩人の聲を聴く!ポエトリーヴォイスサーキットの中村恵美さんの朗読会」(天童大人プロデュース)を聞きに京橋のギャルリー東京ユマニテに行った。

中村恵美さんの朗読を聴かせていただくのは2回目である。ポエトリーヴォイスサーキットでの中村さんの朗読を聴かせていただくのは2回めだ。

前回も、澄んだとても綺麗な声、よく伸びる声で、聴きやすくて、言葉の呼吸がとても素敵だと思った。

今回、聴かせていただいて、とても聲のヴォリューム感や厚みのようなものがついていたと思った。回数を重ねられている実績が、聲に表れていると感じた。凄いなぁ。

原爆について書かれた詩を朗読された。中村さんのような、詩を書く人たちの中で言われる所謂、「言葉派」の、しかも若い詩人が、こういうことについて書くのは、すごくいいことだと思った。現代詩の世界は脱戦後詩という暗黙のスローガンがあり、そういうことには触れなかった世代もある。また、史実について、現場に立ち会わなかった世代が、詩のなかでそこに触れ叙事詩を超えた詩とするのは、とても高度なことなのだ。

最後に読まれた長編詩は、聞いていて、気持ちがよく、私が好きな詩だ。

途中、今日はもう大丈夫かな…と安心しつつもミネラルウォーターと飴を持参していったのだが、申し訳ないことに、また咳込んでしまった。ほんの少しの体温の変化や外気の変化で、すぐに咳込んでしまうのは子どもの頃からのことだが、今年の3月くらいから酷くなって、8月頃には収まっていたのだが。今日はカイロを貼るのを忘れたのがいけなかったみたいだ。全く情けない。

昨日は、ここで薦田愛さんが朗読した。とても行きたかったのだけど頭痛と寒気と確実に咳込みそうな雰囲気だったので行けなくて、すごく残念だった。

回数を重ねている詩人の聲は着実に凄味を増していると実感した。聲に凄味が増すと、当然、詩が詩人の聲を通してストレートに伝わってきて、詩の強さも増すと思う。

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2007年12月19日 (水)

布村浩一さんの『大きな窓』(詩学社)を読んだ。

Myphoto_1942 布村浩一さんの『大きな窓』(詩学社)は2002年に発行され、すでに5年の年月が経過している。

ようやく2007年の今になって、その詩集を手にしたという私だが、時を越えて胸に突き刺さってくるような、痛い熱が伝わってきた。

詩集の主人公の男性はとても孤独だ。しかしまた、シニカルに世界を突き放している観察者でもある。

ここには、孤独に耐え孤独を乗り越えようとし、そして孤独を味わおうとする男の姿がある。 孤独とどう付き合おうとするのかが詩の主人公のテーマのように思えた。物や人を数えたり、看板を見たりしながら、孤独の数を数え、孤独の姿と向き合っている。

うまく生き延びるためには、体に重くのしかかってくるような孤独とは、うまく付き合っていかねばならない。うまく付き合うスキルを学ぶより他はないのだ。

この詩集の主人公は、窓から外を眺めるように世界を捉える。孤独と付き合う。まだうまく付き合えているとは言えない。若くて痛々しい孤独が展開している。

タイゾー・フルカワさんのスニーカー(に見えました)の絵がぴったりの詩集だった。

展開される言葉が鮮やかで鋭くて、軋むような思いが、鋭角に胸にかすり傷を残すような詩集だった。それから、たとえば「雨」という詩で、「バーァ雨が降り出して」と、「バーァ」プラス「雨が降り出して」という風に、言葉が接続されていて、助詞が省かれている。切迫した無垢の魂に触れたような新鮮さがあった。この行は、初めてこの詩集を手にしてから、通勤途中の横断歩道を渡るとき、電車がホームに入ってくるとき、ことあるごとに、独りの私の胸の中で変換されつつも蘇った。

「今日は終わる」という詩を引用させていただきます。

今日は終わる             布村浩一

「助けて」という二つの声が響いて

九月の三ばんめ目の週が終わる

一つは抑えた声で

一つは小さく響く声で

                          (一行空く)

だれもがふつうの人になって

その後が埋まっていない

これからはぼくはあなたに興味を持たない

はなれていく歩行のなかで

どうしたらあなたに関心を持ちつづけられるだろう

いい仕事なんてほんとはどうでもいいような気がする

見ているうちにあなたは視界から遠ざかり

もう会わない

たぶん

                        (一行空く)

七十の照明がともって

とてもきれいだ

だれもが特別な人ではないこの街で

ぼくは激しく太ったり 激しくやせたりして

特別なことをしようとする

大通りで うつむく歩く人にも

激しく太った跡がある

でも どうしたらあなたに関心が持てるのかわからない

                        (一行空く)

暮れはじめる街を

車が通りすぎる

そのライトを目で追う

                       (一行空く)

ここでやめる

全部が見える場所から遠ざかれば

一つの標識が 一つの家が

一つの明かりのついた道がみえてくる

影にはいってしまえば

ぼくは街の出来事の一つになって

今日は終わる

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2007年12月18日 (火)

朗読会でした。

Myphoto_1916 ミッドタウンでコーヒーを飲みました。

朗読会でした。近頃、人身事故が多くて電車が遅れがちなので、早めに行きました。時間が少しあるので、ミッドタウンまで行ってコーヒーを飲みました。

でも、緊張で気持ちが高ぶってしまっているので、少しも落ち着かず、朗読する予定の詩を少しでも目を通そうと思うのですが、今回は、全く頭に入らず、時間ばかりが過ぎてしまいました。

クリスマスのイリュミネーションが、とても綺麗で、あちらこちらで記念写真をとっている人がいました。私にとっては、週の始めの方で、普通ならこの時間(夜)は家にいるのに、沢山の人でにぎわっていて、世の中、いろいろな人がいるんだなぁ…と、つくづく(小学生のように)思ったのでした。

それから、足早にストライプハウスギャラリーに行きました。時間は6時50分くらいになってしまっていました。

今回は、布村浩一さん、水嶋きょうこさん、齋藤恵美子さんが来てくださいました。全員詩人だったので、朗読する内容を少し変更して朗読してみました。何も話さないつもりだったのですが、アドリブでしどろもどろになりつつ拙い話もしてしまいました(汗)。

黒田寿男さんの絵がとても素敵で、その絵の前で朗読できたことを光栄に思います。

今回がポエとリーヴォイスサーキットの150回目だったことがすごく幸運で嬉しく思いました。(私は何故か5の倍数が好きです。)

寒い中、足を運んでくださった方々には心から感謝申し上げます。本当にありがとうございました。

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2007年12月17日 (月)

明日は朗読会です。

Myphoto_1881 いよいよ明日は朗読会。

帰宅してから、何かと気になっていたことを片付けた。朗読会とは、全く関係のないことばかりなのだが、旅行の前とか、何か特別なことがあるとき、いつも儀式のように、散らかった新聞を片付けたり、気になっていた事務処理をしたりしないと落ち着かない。

小学生が明日の遠足の準備をするかのように、持ち物の点検もした(笑)。

ご興味のある方は是非、足をお運びくださいませ。

場所:六本木・ストライプハウスギャラリー 港区六本木5-10-33-3F

   TEL 03-3405-8108  FAX03-3403-6354

時間:19時開場 19時30分開演

料金:大人  予約2500円  当日2800円  

    学生  予約1500円  当日1800円(学生証呈示)

※予約はストライプハウスギャラリーに直接、お電話、またはFAXでご連絡ください。

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2007年12月16日 (日)

『ひょうたん』34が届いた。

Myphoto_1890夕べ夜中に目が醒めた。まずいっ!!と思い、再び眠る努力をした。結局、お昼頃まで眠っていた。

午後になって中国気功整体に行った。「ハイ、特等席どうぞ!!」と言われ一番奥のベッドに行くように言われた。上半身脱ぐので、ラッキー!!と思っていたら、なんと見学者がいた。

先生がいろいろ、説明していて、結局80分間、ほとんどうつ伏せの状態だが、見学の女

Myphoto_1911 性に見られていた。先生はいつもより、ちょっと張り切っている様子だったが、こっちは、いつ厭と言おうか気を揉んでいた。でも、言い出せなかった。いつもより丁寧な感じなので、ま、いいか、とオバサンは居直ったわけである。体は軽くなったが、肩と首は、すぐに硬くなってしまった。やっぱり見られていたのがいけなかったような気がする。イチオウ羞恥心は健在、であった(笑)。

2日後に朗読会を控えているので、夫に夕食の用意を頼んだ。っていうか、ウチはいつも夫がいるときには、彼が食事を作る。温かい鍋だったので、すごく嬉しかった。夫に、「あなたが包丁を持っているのを(料理するのを)、もう1年くらい見ていない」と言われた。何を大袈裟な!!と思ったが、まぁ、近いものがある。

『ひょうたん』34号が出来上がって届いていた。相沢律子さんのクリスマス・ツリーの絵がとっても素敵だ。今号も充実している。

朗読会についてあれこれ考え、迷っていたが、ようやく決まったので安心した。

12月18日(火)、第150回ポエトリーヴォイスサーキット(天童大人プロデュース)・長田典子朗読会を、六本木のストライプハウスギャラリーにて(19時開場、19時半開演)行います。先着10名様に、『ひょうたん』34号をプレゼントします。

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2007年12月14日 (金)

金井雄二さんの朗読会に行った。

Myphoto_1878 夜のサトイモ畑。

ギャルリー東京ユマニテ(京橋)で行われた金井雄二さんの朗読会(第149回ポエトリーヴォイスサーキット・天童大人プロデュース)に行った。

今回は10月に発行された『にぎる。』(思潮社)1冊の表紙から裏表紙までに書き記されている活字すべてを1時間で読みきった。

詩集丸ごと1冊を聲に出すというアグレッシブな試みであった。

金井雄二さんの詩は、家族への愛情やエピソードを書いた詩が多くて、読んで癒される人が多いのではないだろうか。今回の『にぎる。』も家族が登場する詩が多いが、生々しい性の詩も多い。短い言葉で端的に捉えられているので、男性の読者だったら、わかるなぁ…という人が多いだろう。私は、金井さんと20代前半からの知り合いなので、会えば、お互い、へらへら軽口を叩いている。そのせいか、日頃、決して口にはしない金井さんの内心を聲にして聴いてしまうと(詩なのだから、虚構であるのに)、面食らってしまって、ひどく生々しく感じて、なんだか、読んでいる金井さんの顔が見られなくなってしまうのである。

今回も、やはり同じだった。まるで、実の弟や兄が、いきなり真顔でセックスの話を自分に向かって始めてしまうように感じてしまい、客観視できないのである。金井さん、ごめんなさい。。。。

参加者の大方の評判はいいようであった。

ちょっと、早口だったかな、などと、突っ込みたくなるのも、やはり、詩じゃないところで、若い頃に、一緒に遊びに出かけたり、会ってお茶を飲んだりしていたせいだ(もちろん4,5人で)。ほんと、ごめんなさい。

多くの人が聞きに来ていて、2次会にも11人もの人が参加したのだから、今回の朗読会は成功であり盛況であったと言えるのではないだろうか。

広瀬弓さんやいつもコメントをくださるバードさんこと大鹿理恵さんなど、相模原の詩人の会の方々もいらしていた。群馬からいらした詩人もいた。同人誌『ひょうたん』でお世話になっている水嶋きょうこさんと偶然会えて心強かった。水嶋さんが、斉藤恵美子さんを紹介してくださり、意気投合し(私だけが思っているかもしれませんが)帰りの電車でもずっとお話できたことが、とてもうれしかった。水島さん、ありがとう。金井さんのブログでときどき言葉?を交わす鈍行列車さんこと岡村さんとも再会でき、とても楽しい夜となった。

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2007年12月13日 (木)

葉書発送。そして朗読会。

Myphoto_1873 もうすぐ、なくなってしまう住宅地のなかの小さな森。

朗読会の案内状の葉書をやっとのことでプリントアウトして発送している。

また、今回も余裕のないことになってしまった。

明日は、金井雄二さんの朗読会が、ギャラリー東京ユマニテで19時よりあります。ご興味のある方はどうぞ。

福田純子さん(大木潤子さん改め)が、12日に朗読会をされた。『鳩子ひとりがたり』読まれたとのこと。とても興味があって行きたかったが、仕事の都合で行けなくて残念だった。

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2007年12月10日 (月)

長田典子朗読会のお知らせ。

Myphoto_1867 第150回詩人の肉聲を聴く!ポエトリーヴォイスサーキット(巡回朗読会)(天童大人プロデュース

長田典子朗読会のお知らせです。

寒い日が続いています。12月18日(火)に朗読会を行います。第二詩集『おりこうさんのキャシィ』(書肆山田)から、まだ朗読していない作品を中心に行います。

お時間、ご興味がありましたら、是非、足をお運びくださいませ。

とき;12月18日(火) 開場 19時 開演 19時30分

ところ;ストライプハウスギャラリー(六本木)

☆地下鉄大江戸線・日比谷線六本木3番出口。☆右手アマンドを右に曲がり、芋洗い坂下る☆六本木中学校斜向い。☆徒歩4分。

〒106-0032 東京都港区六本木5-10-33-3F

TEL 03-3405-8108 FAX 03-3403-6354

入場料 ;予約大人2500円 学生1500円(学生証呈示)

      当日大人2800円 学生1800円(学生証呈示)

☆予約は直接会場へお電話かFAXでご連絡ください☆

ソロでの朗読会は、3回目となります。どうぞ、ご期待くださいませ。

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2007年12月 3日 (月)

詩を推敲する。

Myphoto_1829 いきなりカーテンと戯れ始める。

風邪で体中が痛くて重くて、宙に浮いているような気がして、仕事を早退した。

夕方、ぐっすり眠り、少々、恢復してきたと思う。

だいぶ以前に書いた詩を再びプリントアウトしたり、推敲したりし始めた。

どういう風にしたら、まとまっていくか考え出すと、やっぱりわからなくて、依然、問題が解決できていないことに気付く。

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2007年11月28日 (水)

野木京子さんの朗読会に行きました。

Myphoto_1857 第136回詩人の肉聲を聴く!ポエリーヴォイスサーキット野木京子さんの朗読を聴きたいと思って、夕方、大急ぎで電車に飛び乗り、六本木のストライプハウスギャラリーに行きました。(天童大人プロデュース)

何とか時間に間に合い、ほっとしました。おとといあたりから、また喉を痛めてしまって咳が出るようになっていたので、ストライプハウスギャラリーのある芋洗い坂の途中の薬局で、飴を買い、マスクを買い、そして明日からの日常のために貼るカイロを買い、完全装備で会場の椅子に座りました。

野木さんは、詩集の題名に使われた「ヒムル」という言葉について書いた文章を読まれた後に、最新詩集『ヒムル、割れた野原』の前半部分を朗読された。

友人の死のこと、兄の骨のこと、などが書かれていて、実際はすでにこの世にない人々が、川の流れや西日の差す窓から見えるブランコの揺れとともに、心にあるいは外部的に蘇って、交信するような内容の詩が、とても心に残った。これらの詩は本の活字を通しても強烈に心に焼きついていたが、作者の肉聲によって、さらに詩が有機的に表れるように感じた。

兄の骨壺に水が入ってしまったので、父母が水を出し、陽にあてて乾かすというところは、とても心を揺さぶった。人は骨となっても、遺族にとっては生前のその人であるのだ。墓を移転するために堀り返したというような説明をされていて、家族にとって、尋常ではない出来事が起きていたのが暗示されている。

聲に出されて読むと、独特のリズムのある詩だったのだと気がついた。読まれるときの言葉のリズムの多くが、たん、たん、たん、タタタタ、という風な感じが多かった。詩の間に説明されていた語調も同様だったので、これは野木さんご自身の体のリズムなのだと感じた。とても清潔な感じの読み方だった。

1時間が、あっという間に過ぎてしまい、もっと聴きたいという気分だった。それだけ、よかったということである。

御本人の野木さんは、「活字を読むなんて考えられないと思っていた。実際に朗読して思ったことは、出来上がってしまった詩集は既に死体のように感じる、が、再びそれらの詩に息が吹き返され、書いたときの気持ちが蘇ってきた…」というような朗読してよかったことなど的確に何点か述べられていた。その通りだと思った。

もう一度、『ヒムル、割れた野原』を読み返してみようと思った。

今日は、野木さんの会で、吉田文憲さん、佐藤恵さん、金井雄二さんなどとお会いし、言葉を交わすことができ、とても嬉しかった。

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2007年11月27日 (火)

明日28日は野木京子さんの朗読会です。

Myphoto_1855 明日11月28日(水)は野木京子さんの朗読会があります。

第136回詩人の肉聲を聴く!ポエトリーヴォイスサーキット(天童大人プデュース)

    ~野木京子朗読会~

11月28日(水)19時開場19時30分開演 

場所 ストライプハウスギャラリー(六本木)

料金 大人、予約2500円・当日2800円。 学生、予約1500円・当日1800円(学生証呈示)

予約は直接ストライプハウスギャラリーにTELかFAXでお願いします。詳しくはYOKOSION BLOG 11月18日の記事をご覧くださいませ♪

野木京子さんは『ヒムル、割れた野原』で本年度H氏賞を授賞されました。

仕事でバテていなければ、私も是非行ってみたいと思っています。詩人による自作詩朗読は、とても聴き応えがあると思います。お時間のある方、ご興味のある方は、是非、お出かけくださいね。。

    

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2007年11月25日 (日)

詩を書いた。

Myphoto_1850 土曜日にデパートの屋上で写した。

遅めに起きた。3連休も今日で終わりかと思うと焦ってしまった。やらねばならないことが沢山ある。

昨日、WINDS CAFEを主催していらっしゃる川村龍俊さんがピアノ演奏家の後藤國彦さんと11月3日に行った『目から耳へ ピアノの朗読+詩の演奏』のCDが届き、今日それを聴かせていただいた。ご本人は詩を書かれないということで、色々な詩人の詩を朗読されていた。滑舌も速さもよく、とても聴き応えのあるものだった。後藤國彦さんのピアノもとても素敵で、詩の内容と楽曲がスパイラルに絡み合いながら進行していく感じがとてもよかった。

自作を朗読するのとは、また違って、他者の視点で作品を読み込み朗読されている感じもよく伝わってきた。自分の朗読についても考えるいい機会になった。一度、自分の朗読している姿や音声を録音するなり録画するなりして自分で客観視する必要がありそうだ。

川村さん、ありがとうございました♪行けなくてとても残念でした。

午後になって、書きかけの詩を書いた。近頃キモい詩を書くのが快感になってしまい、また一つキモい詩を書いてしまった。。。。

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2007年11月12日 (月)

まど・みちおさん「コオロギ」

Myphoto_1556 ユリの花。

今日は、まど・みちおさんの詩をまた紹介したくなりました。

いろいろな童謡になった詩を書いているまどさんですが、とても美しい抒情詩もたくさん書かれています。

今日紹介させていただくのは、「コオロギ」という詩です。

美しい情景が心に浮かびます。

コオロギ       まど・みちお

くさの 中で

コオロギが ないている

                   (1行空く)

こんこんと わきつづける

いずみのように

                   (1行空く)

ああ

手に すくいたい

                   (1行空く)

そのまま 手に

たたえていたい

                    (1行空く)

小さな空が  おりてきて

ほほずりするのをまって

                      (1行空く)

それから そっと

もとに かえしたい

コオロギの鳴き声から美しい情景が喚起されています。作者の繊細で小さな命をいつくしむ優しい言葉に心が洗われるようです。最後の2連がまたすばらしいです。手に掬っているのは、「こんこんとわきつづける泉のような」コオロギの鳴き声。それを、そっと手に掬い、小さな空が頬ずりするのをまって、そっともとにかえす、という詩。

小さな空というのは、夜空に浮かぶ月明かりかもしれないし、もっと精神性の高い神のような存在なのかもしれない。美しい鳴き声は天の祝福を受けて、やさしくそっともとに戻される…深読みでしょうかね。でも、私にはそのような情景が浮かびます。比喩とか情景描写とかを卓越した美しい詩となっていると思います。

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2007年11月 3日 (土)

岩佐なをさんの『しましまの』(思潮社)を読んだ。

Myphoto_1798 昨日は岩佐なをさんの『しましまの』(思潮社)について書きたいと思っていたのに、体調不良でできなかったので、今日、再挑戦?することにした。

岩佐さんの詩は、江戸情緒のようなものが、そこはかとなく香るように感じる。

今回は、その江戸情緒のような雰囲気の中を、ゆらゆらと心地よく、散歩し、読了してから、あれっ!?と思い読み返す、ということをした。

というのは、語り部の正体が、意図的にはぐらかされているのである。

多くの詩集は、作者と同一ではないにしても、語り部がいて、主体のようなものの存在を何となく感じつつ、読んでいるが、この『しましまの』の語り部は、どこまでも正体不明なのである。

なぜかと考えてみると、語り部そのものがヒトではないせいではないかと思いあたった。この世にいない物の怪のような存在が語っているような不思議な本だった。そしてその物の怪のような存在は時空を超えたり、行によって、詩の上での現実の語り部と交差したり分離したりする不思議さが、とてもスリリングだ。

って言うと、小ムズカシイ本のように思われるかもしれないが、実は、すいすいと、物語と雰囲気に浸りつつ読み進められる、楽しみながら、読み進めさせられてしまう。とても巧みだ。

また、ここで、成されているのは、立体と平面そして時間の交差なのだ。視線(そう、語り部のひとつは「視線」だと言えるかもしれない)が、立体や平面を時間を外側から見たり、立体や平面の内側に侵入したりして語りだし、実は大変実験的な詩集なのだった。

「雨日記」という詩を紹介させていただきます。

雨日記               岩佐なを

と、記せば字面で想うとおく

蜀の桟橋から見る雲行と

三峡にたちこめる雨靄の帯

うす墨をたらふく吸った筆を握って

寂れた町の凹んだ地形の底で

気配の雨を聴いている

和紙ににじんでゆく追想

たらしこみといっても

異性を勾かして撫でさするわけではなく

筆先でくすぐるいたずらでもなく

もはやにじんでしまったひとを此岸へ

ひきよせる技法

湿気った夜更けにだけ描く絵日記へは

色彩を極力抑えながら

とけかかった輪郭の

虚ろなひとを

筆づかいで招き入れる

ひと夜にひとり

一枚づつ濡らして

いつか自分がその絵日記の中で

傘をさしてにがわらい

                    岩佐なを『しましまの』(思潮社)より

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2007年11月 1日 (木)

白鳥信也さんの『ウォーター、ウォーカー』(七月堂)を読んだ。

Myphoto_1796 同人詩誌『フットスタンプ』やボーダーレス誌『もーあしび』を主催していらっしゃる白鳥信也さんの第二詩集『ウォーター、ウォーカー』(七月堂)を再読した。

サラリーマンとして忙しく働いているらしい詩人が、通勤途中や会議のさなかに、ふいに、意識が、日常から違う世界へと飛び越えていき、思いもよらない展開になっているところが、とても楽しい。働いている人の、ちょっと哀しく情けないような日常から、ユーモアが溢れるような物語への展開が痛快で面白い。そしてその皮膚感覚のようなものが気持ちよく、読んでいて、とても共感する。

行から行への展開もとても吟味されていて、心地いい。うまいなぁ、と感じる。ふむ、このように行は展開していくのだと、膝を打ちたくなる。

巻頭の「あっ」という詩。詩集のはじめにふさわしい、とてもいい詩だ。雨が降り始めて、「水の毛皮」をまとっていると感じ、「そうすると/からだの内側から呼応するものがある/身体は水だもの」…という風に展開していって、「水平線が好きだった/西瓜の汁も」とトランプのカードをすばやくきるように、言葉も、さっさっと展開していく。そして、今度は、身体にまとわり付いていた水が「あ」と「つぶやいて/はがれていく」。水が生きているなぁ、と感じる。

「どんぐり」という詩では、商店街に自転車を停めようとして見つからないことから始まって、幸運なことに置く場所ができたことで、かしわでを打ちたくなったところから、明治時代の人間のような気分になって呟いた言葉が主にキーワードとなって詩が展開していく。

開けゴマ→ぱしんぱしん(これは、かしわでを打つ音)→ややや これは不思議→そしてマグドナルドの店内でどんぐりを見つける→どんぐりと言えば山猫だ→これはキッカイな→(喫茶店に入り)キューバとつぶやく…という風に展開し、なんというか思いもしない方向に話が進行していく。

なんと言っても、普段はサラリーマンとして社会に適応して真面目に働いているらしい男性が、悪戯小僧のように、幕末から明治時代を生きたような人の気持ちになって、目の前に起きる出来事を、スクリーンを観るかのように(つまり、他者となって、又はタイムトラベラーの視線で)語っていくところが、新鮮だ。そしてどこか哀愁を帯びているのだ。

全文を紹介しようと、ほぼ書き写したところで気が変わった。なんと言っても、白鳥さんの長文詩は、直接、書物で読んでこそ楽しいような気がしたから。(もちろん、御本人の朗読も聞いてみたいものです!)

蒲田駅が疾走(そして失踪)してしまう「しっそうする蒲田」も、とても楽しい展開となっている。

…というわけで、読んでみたい方は、是非、『ウォーター、ウォーカー』を七月堂さんへご注文くださいね♪

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2007年10月30日 (火)

金井雄二さんの『にぎる』(思潮社)を読んだ。

Myphoto_1791 金井雄二さんの『にぎる』(思潮社刊)

8月25日に発行された金井雄二さんの『にぎる』を読んだ。矢野静明さんの絵が、作品の雰囲気にとてもよくあっている。

全体的に、中年の(と詩のなかに書いてある)男の生きている心情が書かれているが、日常を、気負わずに生きている普通の人の普通の生き方に発見される、優しくささやかな生の有り様が、心の揺れが幅が、温かく書かれている。

9月に朗読会で聴いた詩が多くあったが、文字で読むとまた違った印象で立ち上がってきたので驚いた。

ぼくのゆるやかな時       金井雄二

雑木林の

ほっこりとまあるく空いた

ため息のような場所に

中年の男がひとり

(それはとりもなおさずぼくのことですよ)

倒れている樹の上に座って

空を見上げている

まわりをとりかこむ樹の

高い枝と葉っぱが

空をめぐっている風のせいで

揺れる

男はゆっくり

枝を見、葉を見、風を見る

そうしてサイダーなんかを一口飲む

(ビールだと酔って眠ってしまうから)

たまに妻以外の女性のことなど

想ってみたりしながら

やわらかい指で

風をつかまえるのが好きだ

ちょっぴり疲れた男には

そんなささいな時間が

少しあるだけで

いいのよ

                            (『にぎる』(思潮社)より)

最後の「~いいのよ」という脱力した感じが、読む人にも、ほっとする感じを与える。なんで風を捕まえる手が、「やわらかい指」なんだろう…と、思ったが、ゆったりした時間で過ごす男の指は、こんなとき、普段の武骨な指とちがって、光や澄んだ空気を浴びて、きっと柔らかい感じになっているのだ。

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2007年10月29日 (月)

伊藤比呂美さんにサインをしてもらった。

Myphoto_1795_2 朗読する伊藤比呂美さん。

『第135回ポエトリーヴォイスサーキット  伊藤比呂美 朗読会』(於・ギャルリー東京ユマニテ天童大人さんプロデュース)に行った。

伊藤さんは、今年6月1日に講談社より発売され、,第15回(2007年度)萩原朔太郎賞を授賞した『とげ抜き 新巣鴨地蔵縁起』を中心に読まれ、『コヨーテ・ソング』(スイッチ・パブリッシング刊)からも1篇の詩を読まれた。

22日のブログで書いたとおり、私は『とげ抜き 新巣鴨地蔵縁起』を読み出したら、中身の濃さと面白さに、読む手が止まらなくなり、毎夜、この本を読むのを楽しみにしながら、家に帰り、読み続け、ついに、伊藤さんの言霊にとりつかれたかのような状態になっていた。つまり、いつも心に浮かぶ言葉が、この詩集の口調になってしまい、口をつく言葉も、間違いなく、この口調になってしまいそうになっていて、しかも、ものすごくハイな気分になっていた。『とげ抜き 新巣鴨地蔵縁起』は、圧倒的な言葉の力、エネルギーに満ち満ち溢れている。

伊藤さんの身体から生に溢れる言葉は自然で、そしてエネルギーがあり、聴きに来た人に全く媚びていなかった。1時間が、30分にも感じられないほど、短く感じ、楽しかった。存在そのものがすでに圧倒的な人なのだ。

朗読が終わってから、並んでサインをしてもらった。80年代に、伊藤さんの詩集に出会い、今を生きる若い女性の生き様を読み、圧倒され、そして共感し、かねてから一人ごそごそと詩のようなものを細々と書いていた私は、是非とも、このような現代詩を書きたいと思ったのだ。伊藤比呂美さんは、時代の寵児として映っていた。第一詩集からのファンである。

その伊藤さん御本人の姿を、目の前に見ることができた今日は、凄い記念的な日だった。あ~、この人が、あの伊藤比呂美さんなのだという思いが、がぁあああ、と頭を占領していたわけである。写真は御本人の許可を得て公開させていただいています♪(つまり、直接、お話ししたということです。きゃ~!!!!!)

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2007年10月28日 (日)

佐川亜紀さん『死者を再び孕む夢』(詩学社 1990年)を再読した。

Myphoto_1784_2

台風一過。

佐川亜紀さん『死者を孕む夢』を再読した。この詩集は1990年に詩学社より発行され、小熊秀雄賞を授賞した。

どうしても読んでみたくて、夏の横浜詩人会でお会いした時に、作者にじきじきにお願いして送っていただいた。

私が育ったまちの近くにある相模湖ダムの歴史に触れられている詩がその詩集にあることを知っていた。

子どもの頃、ダムのことで、「工事現場から人が落ちてもかまわずに、上からコンクリートを流し込まれたそうだよ」と大人から繰り返し聞かされていたのであった。それが事実かどうかは不明だが、似たようなことは起きていたのだろうと感じていた。

『死者を再び孕む夢』のなかには、1941年に朝鮮半島から強制連行されてきて相模湖ダムで厳しい労働に従事させられた人々のことや、人として当たり前の感情をもち、陰ながらささやかに支えたことで、警察に捕らえられ拷問された人の話も書かれている。

Myphoto_1792 『死者を再び孕む夢』

とても貴重な詩集をご恵贈いただき、佐川亜紀さんには心から感謝申し上げます。

幼い頃の仲良しの一人に、キヨ子ちゃんという朝鮮半島出身の子がいた。道を隔てた向いの家の子だったので、ものすごく仲がよかった。遊ぶときは、いつも二人きりだった。お互いの家に上がりこんで遊んだから、子ども心に、何らかの事情があることは体で感じていた。お父さん、お母さんの生まれた国が日本じゃないこと、母国からの手紙を読むたびに、キヨ子ちゃんのお父さんは、いつも涙を流すこと、など、秘密を打ち明けるように家族に話すと「そんなことを気にしてはいけない。仲良くしなければいけない」と怒られた。あのときの家族の言葉は今でもありがたく感じる。

キヨ子ちゃんの家も我が家もやがて引っ越すことになった。我が家よりも半年前に引っ越したキヨ子ちゃんが、綺麗な民族衣装を着て、坂道の途中で立っていたよ、と家族から聞いて、哀しくて仕方なかった。キヨ子ちゃんは民族学校に入学したようだった。すごく遠くに行ってしまったんだと感じて、涙があふれたのを覚えている。そしてそのことを思い出すと今でも涙が出そうになる。

キヨ子ちゃんのお父さんと相模湖ダムとの関係はなかったかもしれないけれど、私には見過ごすことができない話だ。

佐川亜紀さんの、『死者を孕む夢』は第二次世界大戦や民族の問題に触れている。端正で冷静な眼差しと確かな筆致。そこに、取材された歴史的事実を織り交ぜて、詩として強く立ち上がってくる。

あざ            佐川亜紀

私が幼い頃

背中に小さなあざがあって

その位置も形も

南の国で死んだ

母の兄であった一青年に

そっくりだと

祖母にも母にも言われた

私が生まれた部屋には

彼が遺した

クリーム色の

繊細なばらの絵があって

彼はその繊細さを断ち切るように

パレットを割って出征した

祖母の御赤飯を帰って食べたい

と 便りに書いたが

帰って来たのは石けん一個

石けんに御赤飯を供えた

だから 彼は悲しい人だった 

けれど

彼がその細かった指で

南の国の人を

撃ち 盗み 辱しめ 殺した

かもしれないと 知ったのは

私が彼の死んだ歳になった頃だ

あざはいつの間にか消えていったが

                (一行空く)

彼が死んだ国では

川のほとりに戦争記念館があって

一つの言葉が刻まれている

「許そう しかし忘れまい」

                (一行空く)

許されようとも  しないのに

許されようとするのは  恐ろしい

忘れることを  はばからないのに

忘れまいとされるのは  恐ろしい

                (一行空く)

一度も会うことのなかった

一青年と同じあざが私にもあって

私の生に

一つの形を与え

時のつながりと

人のつながりと

考えさせたことに

今  気づく

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2007年10月26日 (金)

うさぎ。

Myphoto_1767 中村葉子さんからいただいたお花。毎日、眺めては楽しんでいます。

夕方になるにしたがって、雨足が強くなってきた。1週間ぶりに整体に行く。

カーテンで仕切られた隣のベッドから「い、痛いっ…うう…おぉ…」などの呻き声が聞こえてきた。まだ初心者の人らしい。「ここを、我慢すると、楽になりますよぉ」と励まされながらも、呻き声が断続的に聞こえてきて、申し訳ないと思いながらも、笑いをこらえていた。

自分も、初めの2回くらいまでは、痛くて同様に、っていうか、たぶん、もっとデカイ声で、おおー!!!とか、わめいていたわけである。周囲のことなど、まったく気にかける余裕もなかった。今では、すごく体が軽くなり、爽快に日々すごすことができている。マッサージは、気持ちがよくて眠たくなる。

お隣の男性も、整体が終わると、すっきりしたように明るい声で会計を済ませて帰っていった。

今日は、まど・みちおさんの「うさぎ」という詩を紹介します。

うさぎ         まど・みちお

うさぎに うまれて

うれしい うさぎ

はねても

はねても

はねても

はねても

うさぎで なくなりゃしない

うさぎに うまれて

うれしい うさぎ

とんでも

とんでも

とんでも

とんでも

くさはら なくなりゃしない

生まれて嬉しい、という気持ちが、ひろーーい宇宙に広がっていくような温かい詩です。まどさんの詩には、挙げたらきりがないほど、やさしくて、内面には強靭な魂のこもった詩がたくさんあります。

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2007年10月25日 (木)

アリ。

Myphoto_1763 今宵の月。

たくさん好きな詩があるけれど、まど・みちおさんの詩も大好きな詩人の一人だ。意外!私が!?と思う方もいるかもしれないけれど。

今日、出身の小学校の校歌の作詞が、まど・みちおさんだという人に出会った。

思わず「歌って!」とリクエストすると、恥ずかしそうに小声で歌ってくれた。これが、すごくよかった。子どもの気持ちがそこにある、という風な歌詞で、権威の塊のような言葉はどこにもない。「小学生の頃は、何だか恥ずかしかったけど、今はすごく自慢。絶対、忘れない歌」と言っていた。そうでしょうなぁ。

そこで、まどさんの、数ある詩の中の私の好きな詩の一つを、今日は紹介したい。

アリ               まど・みちお

アリは

あんまり 小さいので

からだは ないように見える

いのちだけが はだかで

きらきらと

はたらいているように見える

ほんの そっとでも

さわったら

火花が とびちりそうに…

ああ、綺麗だなぁ…と思う。ひらがなばかりで、幼児でも読めそうな詩なのに、豊かなイメージが広がる。明日は、「うさぎ」という詩を紹介しちゃおうかな。

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2007年10月22日 (月)

伊藤比呂美さんの『とげ抜き 新巣鴨地蔵縁起』を読み始めた。

Myphoto_1759 秋色に染まった花屋さん。

横浜駅の方に出かける用事があってダイヤモンド地下街で迷ってしまった。

以前はよく彷徨したのに、すっかり様変わりしてしまい、方向感覚を失いつつ歩いていたら、昔、よく立ち寄った有隣堂の前に出た。

あ、と思い、考える前に体が勝手に歩きだしていた。

雑誌のコーナーの後に詩歌の棚に行くと、伊藤比呂美さんの『とげ抜き 新巣鴨地蔵縁起』(講談社)が平積みになっていて、ストライプハウスギャラリーの塚原さんや、ポエトリーサーキットのプロデュースをしている天童さんがすごくよかったと言っていたのを思い出した。値段を見ると1700円と、詩集としては、お安い価格ではないか。衝動買いをして電車の中で読み始めたら、もうすごい力に引き込まれてしまって、降りる駅を間違えそうなほどだった。まだ、読み始めたばかりだが、本当に面白くてページをめくる手が止まらない。

ところで、今日、ビルから外に出たら、中学生くらいの女の子が5,6人、円陣を組むようにして足もとに鞄を置き、互いの携帯を見せ合って楽しそうにしていた。白いソックスをはいた足の円陣と鞄の転がっている様がすごく絵になっていて、白いソックスの足と鞄をデジカメで写したいなぁ、と思ったが、恥ずかしくて写せなかった。1歩間違えるとこれは、問題だものね。写真を撮る皆さんはこういうときどういう風にするのかな。声をかけて許可を得るのも恥ずかしくてできなかった。やっぱり、許可を得て写させてもらうのかな?

20日の「第131回ポエトリーヴォイスサーキット」の朗読会の感想を布村浩一さんと金井雄二さんがブログで書いてくださいました。ありがとうございます♪

それから辻和人さんが『KO,KO,DAYS』NO2のゲスト、鈴木志郎康さんの詩の感想をHPで書いてくださいました。感謝!感謝!!です☆嬉しいな♪

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2007年10月20日 (土)

「131回ポエトリーヴォイスサーキット 長田典子朗読会」無事終わりました。

Photo 『詩人たちの肉聲を聴く!第131回ポエトリーヴォイスサーキット 長田典子朗読会』(天童大人さんプロデュース)が無事?に終了した。

会場にいらしてくださった方々、本当にありがとうございました。心より御礼申し上げます。また、天童さん、ストライプハウスギャラリーの塚原さんには、毎回、一方ならぬお世話になり、心より感謝申し上げます。

今回は、開催中の『堀越千秋陶展~人を思えば~』の温かい土の香りの匂い立つ様な作品に囲まれながら朗読でき、とても幸せだった。

1992年の第一詩集『夜に白鳥が剥がれる』(書肆山田刊)を中心に朗読した。第一詩集を出してからすでに15年も経過してしまったことに自分でも驚く。そして、15年前の詩集が、この2007年の六本木の夜に、どれだけ通用するのかが、今回の課題の一つとなった。

1990年代当時は、まだワープロ主流の時代で、視覚の問題も大いに意識しつつ、心に立ち現れる言葉の強弱や高低、テンポなどにこだわって書いた詩を聲に出して朗読できるのは、とても嬉しく、夢がひとつ叶った、と言えることだった。

実際に人前で読むことを意識してみると、意外にも、当時の詩を書いているときの言葉への思いがあまりブレずに立ち上がってきたのは、発見でもありうれしかった。朗読したのは、「真空地帯」「山椒魚」「影(絵)遊び」「森番」「緑の耳」「黄金の(ユリの)玉座」「「<王>」の7編で、初めに詩集の最後に書いた詩論「夜に白鳥が剥がれるー言葉の光空間論」の一部を紹介してから読み始めた。そして、『おりこうさんのキャシィ』より「Burst Into Blossom」、『KO,KO,DAYS』NO2の新作「モスコーミュール~赤い色は伸びて広がる」を読んだ。

第一詩集を朗読するのは、予想外に緊張してしまったので、すごく心配だったが、終わってからストライプハウスギャラリーの塚原さんはじめ数名の方が、前回よりも今回の方が良かったと言ってくださったので、ほっとした。

次回は12月18日(火)「第151回ポエトリーヴォイスサーキット」に参加します。場所は、同じく六本木・ストライプハウスギャラリーです。

PCの師匠でこのブログ設立のときに、教えていただいた草もち姫様こと田村さんが、前回の朗読会に引き続き、来てくださり、ブログに書いてくださった。現代詩にあまり関わりを持たない方が詩の朗読会を話題にしてくださるのは、極めて珍しく貴重なことだ。ああ、でもでも、草もち姫様、ギャラリーのご好意で、場所を提供していただき、椅子などもお借りしているわけなのです。そのご好意なしでは、成立しない会なので、何卒、ご理解を…(ぺこり)。

草もち姫様は、幼稚園から高校まで同級生だったというミステリー作家安東能明さんのHPも監修している。

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2007年10月19日 (金)

明日は、いよいよ朗読会です。

Myphoto_1727 羽田空港。

いよいよ明日は、六本木・ストライプハウスギャラリーにて19時30分から、「第131回ポエトリーヴォイスサーキット長田典子 朗読会」です。明日に備えて、今日は皇宮中国気功整体院に行って、体をほぐしていただきました。

夜になったら、急にどきどきしてきました。

明日は、前回とは、まったく違った朗読になるような気がしているのですが、聴いてくださる方はどうなのだろう…などと考えつつPCを立ち上げました。いずれにしても、ストライプ・ハウスギャラリーに響く声は、やはり私であるに違いないのです。

北爪満喜さんがHPで『KO.KO.DAYS』NO2のゲスト鈴木志郎康さんの詩の感想を書いてくださいましたので、是非、そちらも、お読みください♪北爪さん、ありがとうございます♪

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2007年10月13日 (土)

岩佐なをさんの新詩集『しましまの』

Myphoto_1732_2   小さい秋みーつけた♪木のてっぺんの方の黄色くなった葉が闇に浮かんでいた。

朝、出掛けに郵便受けを見たら、大きな封筒が入っていた。うれしくて、すぐに開封する。岩佐なをさんの新詩集『しましまの』(思潮社)だった。版画家でもある岩佐さんの素敵な絵がぱぁっと目に飛び込んできて、出勤の電車の中で読もうとバッグに入れようとしてやめた。あわただしい朝の時間に、大事な本を読むなんてもったいないし、いためてもいけないと思ったから。

帰宅して、中をめくると文字列を見ただけで、いい詩が並んでいることがわかる。秋の夜長に大切に読もうと思っている。

岩佐さん、ありがとうございます。

横浜詩人会、詩誌『ひょうたん』でお世話になっている村野美優さんからメールがあって、私の詩「モスコーミュール」の赤は命の力のようなものだと言ってくれた。すごく嬉しかった。

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2007年10月12日 (金)

結局…。

Myphoto_562 結局、今週は、ブログが日記に終始してしまったのが、我ながら不満だ。

今日は、10月20日(土)にストライプハウスギャラリーでやる第131回巡回朗読会(天童大人氏プロデュース)のチラシの印刷をした。綺麗な紙を使ったのだけど、私のデザイン(…というほどのものでもないのです)が、貧弱なので、少々、気が引けつつも、封筒のサイズに合わせて、折った。

明日は土曜日だし、宛名書きをして、郵便局に持って行っても、相手方に届くのは早くて16日の火曜日になってしまう。せっかく土曜日に朗読できるのに…これでは、人が来てくれないのでは…と焦っている。どうしよう…。焦りまくっている。

午後、ずっと行けなかった漢方薬局に行き、薬を調合してもらい、その他、欲しい・必要な薬を買った。明日の朝は急に寒くなるというので、用心しなければならない。

夕方、黒い雲が空を覆うのを見て、体調のことが不安になる。

『KO.KO.DAYS』NO2の感想を何人かの方が寄せてくださった。温かい眼差しで、丁寧に読んでくださり、とても嬉しく思う。私の詩「モスコーミュール」に「赤い色が伸びて広がる」とあり、舞台がどうもモスクワ(一度も行ったことはないが)らしいと読めるので、イデオロギーに関係した詩かと、誤解されて読まれてしまうのではないかと心配だったが、そうは読まれていなかったようで、正直ほっとした。

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2007年10月 6日 (土)

朗読会のお知らせ・そしてブログお休みのお知らせ。

Myphoto_1047 いつもご訪問くださりありがとうございます。

明日から数日ブログをお休みします。

残念ながら、私は行けないのですが、朗読会のお知らせです。

一緒に現代詩の会に参加されている北爪満喜さんや五十嵐倫子さんや辻和人さん、白鳥信也さんらによる『モーアシビ』10号記念朗読会が、10月8日にありますので、興味のある方はお出かけください♪

えぇっと、10月20日(土)にストライプハウスギャラリー(六本木)にて行われる長田典子の朗読会の方もよろしくお願いします(汗)。

今日も仕事だった。帰りに、珍しく、「どこかでコーヒー飲まない?」と誘ってくれた人がいたけど、あまりに疲れてお付き合いできなかった。帰宅したらソファに横になったとたん、3時間くらい爆睡してしまった。このごろ、関東地方で地震が起きているが、爆睡しているので、全く気がつかない。いいんだか悪いんだか…。。。

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2007年10月 5日 (金)

寝不足。そして締め切りに向けて。

Myphoto_1477  いろいろとあり、寝不足だ。

今日は、仕事帰りに皇宮気功整体院に行った。疲れきっていたので、マッサージをしていただいた後は、心地よくて眠くて、歩くのが面倒くさくなるくらいだった。

ビルを出たら雨があがっていた。

「ひょうたん」締め切りに向けて、頭の中にあるイメージを、詩にするにはどういう風にしたらいいのかなぁ…と考えながら歩いた。

いつもは、初めに言葉がやってくることが多いのだけど、今回は、イメージとはっきりした登場人物が先に浮かんだ。

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2007年10月 4日 (木)

KO,KO,DAYS NO 2 発送中です。

Photo_2 個人詩誌『KO.KO.DAYS』NO.2を、少しずつ発送しています。

表紙の写真は水族館 で写した水母です。

水母を見ているとほんとに飽きないで、いつまでも水槽にへばりついてしまいます。癒されますね。

山形・鶴岡市の水族館では、大発生したクラゲを材料にしたクラゲアイスクリームが大人気とか(汗)。

今日は涼しくなったとは言え、少し動くと汗ばむような日でした。10月とは思えない気温でした。湿度がやや低い感じだったから、まぁ許せるという感じかな。

10月20日(土)に六本木のストライプハウスギャラリーで行う朗読会に向けて喉の調子を整えていかねばと思っています。

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2007年10月 2日 (火)

10月20日の朗読会のお知らせ。

Myphoto_1706 お気に入りの美容院その3

☆朗読会のお知らせ☆

「詩人たちの聲を聴く!ポエトリーヴォイスサーキット(巡回朗読会) 第131回 長田典子 朗読会」を行います。

…第一詩集『夜に白鳥が剥がれる』から…

日時  10月20日(土)19時30分から1時間余り

場所  ストライプハウスギャラリー(六本木)

TEL 03-3405-8108

        FAX 03-3403-6354

料金 予約 大人2500円 学生1500円(学生証呈示)

    当日 大人2800円 学生1800円(学生証呈示)

予約は直接ギャラリーか北十字舎へお電話かFAXでお申し込みください。

プロデュース 天童大人 Tendo Taijin Bureau/北十字舎

                〒171-0031

                東京都豊島区目白3-6-5

                TEL 03-5982-1834

                FAX 03-5982-1797

     ☆ 詩や朗読に興味のある方は是非いらしてくださいませ。☆

※10月2日の毎日新聞・夕刊にポエトリーヴォイスサーキットの記事が掲載されたようで   す。

   

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2007年10月 1日 (月)

遅くなってしまった『KO.KO.DAYS』NO.2の発送。そして朗読会。

Myphoto_1658 2週間くらい前に写した夕焼け。

公開まで、ちょっと間があいてしまいました。

夜の8時近くに銀行に振込みに走っていったら、みんな同じような黒のスーツを身に纏った若い男女が30~40人は集まっていた。行こうとしていた銀行から出てきて、何やら名残を惜しんでいるようだった。よく見ると、若者たちは所謂リクルートスーツで身を固めたいた。それにしても、黒の軍団である。女性は靴の形まで、ほとんど一緒だった。すごく異様な光景だった。

自宅に帰って、深夜のTVニュースを見ると、今日、内定式のあった会社が多かったとのこと。彼ら・彼女らも内定式の後だったわけか。

黒装束の集団は、皆、一様に笑顔だったが、黒で身を固めるというのは、これからがんじがらめの社会の中に身をおくことが、暗示されているかのように思えた。なんだかんだと言ったって縦型社会だし、個人の個性など、とうてい発揮できない会社が多いんじゃないかな。だって、初めから、すでにそういう格好を暗に要求してくるわけだし、着ていく方もきっと、はみでるのは、まずい、という意識の流れからなんだろうな。

帰宅してはっとしたらすでに10時を回っていて、ようやく『KO.KO.DAYS』NO2の封筒詰めが終わろうとしている。8月下旬から今まで、あまりにもやらなければならない仕事に振り回され、発送作業がすごく遅くなってしまった。明日、第一陣を発送できそうです。長らくお待たせしてしまいましたゲストに鈴木志郎康さんを迎え、とっても素敵な詩誌つくりができました♪、

☆お知らせ☆

10月20日(土)に六本木・ストライプハウスギャラリーで、19時30分から朗読会を行います。土曜日ですので、お時間のある方はぜひお越しくださいませ♪

ありがたいことに、『スーハ!』のブログでも野木京子さんが話題にしてくださいました。

10月20日(土)は第一詩集『夜に白鳥が剥がれる』(書肆山田)を中心に朗読したいと考えていますのでお楽しみに!!

土曜日なので、沢山の方に聴きにいらしていただきたいです♪

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2007年9月28日 (金)

福井桂子さんのこと。

Myphoto_1695_2 今夜8時の月。路上から写す。

スーハ!02』の野木京子さんから、2日前の26日の記事にコメントをいただいた。

特集として組まれていた福井桂子さんが、奇しくもその日に亡くなられたということ。

この日、私は、眠くなってしまって、ブログには日記を書こうかな、と思っていたのでけれど、何故か、どうしても『スーハ!02』についてブログに書かなければいけないような気がしたのである。いただいて、内容が充実していて、楽しくて、一気に読ませていただいた。しかし、ブログに書くとなると、自分が属する詩のジャンルなので、緊張してしまって、簡単には書けないような気がしていた。でも、たとえ、どんなに疲れて眠くても、その晩は書きたいという不思議な気持ちに突き動かされたのである。申し訳ないくらい雑駁な感想になってしまい身が縮む思いだが、今になって思えば公開させていただいてよかった。

福井桂子さんの特集でのインタビューは、野木京子さんと、佐藤恵さんによりなされている。吉田文憲さんが協力されていてインタビューの途中から吉田さんも登場している。

青森・八戸生まれの福井さんは幼い頃、3歳には、すでに深い孤独を感じていたとのこと。それほど幼い頃の記憶がはっきりしているのは、並はずれた鋭い感性の持ち主である証拠に他ならない。詩を書くこと、文学に携わることは、すでにその頃から運命づけられていたのかもしれない。

興味深く、印象に残るお話の中のひとつに座敷わらしの話が出て、「…ざしきわらしに会われたことがあるのでしょうか。」という野木さんの質問に対して、福井さんが、さらっと、「東北の人は、みんな、会ったことがあるんじゃないかという感じがするんですよ。あ、いた、いた、という感じがね。」と応えられているのが、とても印象的だった。

友人にやはり八戸在住の人がいて、座敷わらしが出るので有名な旅館があり、子ども2人と、その部屋に泊まったという話を、ついこの前聞いたばかりだった。子どもたちは、座敷わらしの強い気配を感じて、「こわいよー」と友人にしがみついてきたとのこと。

また福井桂子さんが詩「アネモネ 薄みどりの朝の光をあびて りすさん!りすさん!」を特別寄稿されている。こちらの詩にもとても惹かれた。

心よりご冥福をお祈りいたします。

『スーハ!02』のブログにKO.KO.DYSにリンクを張ってくださいました。ありがとうございます。私もそういう風にしたいのですが、やり方がわかりません。あくまでもタダで登録しているせいでしょうか?

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2007年9月26日 (水)

『スーハ!02』

Myphoto_1694 昨晩11時過ぎの月。(手振れで今回は二重になってしまいました。テヘッ。)

『スーハ!02』はとても魅力的な詩誌だ。若い書き手が揃っていてフレッシュな感覚がみなぎっている。

野木京子さんの「蟲のあかり」は、生きるとはどういうことかを問い、自分が生き抜くために、小さき物(時に弱者)を見殺しにしているのではないかという恐怖と不安と肯定という複雑な感覚が描かれている。小さな蟲たちの存在に気付く感性の持ち主だからこそ書ける詩だ。

福井桂子氏へのインタビュー(吉田文憲さん・協力)も、丁寧で、誠意が感じられる。詩人の生い立ちや環境を知ることによって、作品への理解を深めていくかたちになっている。

細かい丁寧な仕事の積み重ねの結果、心のこもった詩誌になっていて、とても好感をもち、楽しく読み進めることができた。

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2007年9月16日 (日)

現代詩の会に行きました。

Myphoto_1672 現代詩の会の一コマ

昨日、疲れているのに早起きしてしまったから、今日の朝は意識してゆっくり寝ていたら、昼の12時近くになっていた。慌てて起きて、個人詩誌『KO.KO.DAYS』NO2の残りの印刷をした。あまり機能は変わらないけれど、やはり新しい印刷機は調子よく、作業がスムーズに進んだ。その後、折込作業をした。

綴じる時間もあったが、現代詩の会が夕方からあったため、気持ちが急いてやるといいことはないと思って、作業はストップした。

外を見たら明るい日差しの下でのハイビスカスが色鮮やかに咲いていたので写真を撮った。

Myphoto_1667 今日の現代詩の会は、いつもの場所がとれずに、渋谷の喫茶店で行われた。五十嵐倫子さん、川口晴美さん、北爪満喜さん、木葉揺さん、薦田愛さん、白鳥信也さん、辻和人さん、中村葉子さん、森ミキエさん、山本洋介さん、らが集まった。喫茶店のオーナーのご好意で、7時半閉店のころを、8時まで場所を提供してくださった。本当にありがたかった。

だいぶ前の『卵座の会』そしてその後の『現代詩の会』の後は、必ず寄って11時頃まで詩の話をしていた喫茶店だったので、とても懐かしかった。コーヒーが美味しくて小さいケーキがついて600円弱と安いことや、いまどきの渋谷なのに、静かな大人の雰囲気がいい。近頃は7時半で閉店ということで寂しい限りだ。現代詩の会は一時、3年間くらい中断し、再び7年くらい前から始まった。

提出された作品に対して、相手を尊重しながら誠実に感想を述べ合う雰囲気がとてもいいと思っている。

今日の渋谷はお祭りだった。3時間、詩の合評会をした後に、時間のある人はどこかで2次会をしましょうということになって、居酒屋で軽くアルコールを飲みながら、詩の話や今の自分の状況など、お互いにゆっくり話すことができ、いい時間だった。

みんな、互いのブログやHPをしっかり読んでいるところは、同じ道を目指す者たちの結束力の強さかもしれない。ブログやHPに書いてある内容が、前置きなく話題になり、私のブログも読んでくださっていて、すごく嬉しくて感動した。

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2007年9月 9日 (日)

ない頭を使った。

Myphoto_1505 金沢八景島シーパラダイスのメリーゴーラウンドの屋根の上にあった。

日曜日ももうすぐ終わってしまう。。。。

今日は鈴木ユリイカさん責任編集の『somethng 6』のためのエッセイを考えていた。夜になってようやくメールで編集の棚沢永子さんに原稿を送ることができた。

midnight press の「なにぬねの?」について鈴木志郎康さんや松下育男さんのブログで知り入会手続きをした。PCには弱いのに大丈夫かなぁ…どきどきする。

ちょっと頭痛がする。ない頭をたまにつかったのがいけなかったみたい

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2007年9月 7日 (金)

金井雄二さんの朗読会に行った。

Myphoto_1656 金井さんの朗読会。ご本人の許可を得ています。

夕方、京橋へ向かう途中、田園都市線に乗って二子玉川駅の手前で、電車の窓から川を見た。多摩川はかなり増水していて大河となっていた。それでも、朝よりも水が引いているのだろう。玉川高島屋側にある公園は、半分くらい地面が見えていた。

自然の大きさ、人間の不遜な生活態度を改めて見せつけられた気もちがした。

金井雄二さんの朗読会は、お人柄が反映されるような和気あいあいとした雰囲気の場となった。予定では新詩集が出版されているはずということだったが、残念ながらまだ未完というととで、表紙を見せてくれた。朗読には慣れているという印象だった。聲に、抑揚、強弱などをつけて工夫されていた。

新詩集は、矢野静明さんの素敵な絵が表紙ということで羨ましいかぎりである。矢野さんから綺麗な『ベッド』という青い絵の葉書をいただいた。嬉しくて、さっそく書棚に飾った。金井さんのブログで存じ上げている鈍行列車さんにもお会いできた。野木京子さんや布村浩一さんにもお会いでき、とても嬉しかった。ずっと、詩人の集まるような会は何だか怖くて出かけられなかった私だったが、少しずつ、怖くなくなった。これは進歩と言えるのだろうか。

なんと言っても、びっくりしたのは、この朗読会で、高校時代、確か3年間同じクラスで、一緒に神戸・姫路に卒業旅行にも行った相川さんに会ったことだ。20年くらい音信が途絶えていた。金井さんの友人だったとのこと。なんと言う素敵な偶然だろう。

朗読会が終わった後、数人でビールで乾杯した。その後東京駅に向かった。恥ずかしながら、東京駅を外側から見たのは初めてだった私(笑)。「東京駅」という文字のまぶしかったこと…(笑×2)。

このところ、仕事場で人間扱いされてない気がして気分がふさいでいたのだが、今晩は、ようやく人間に戻れた気がした。

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2007年9月 6日 (木)

明日は金井さんの朗読会です。

Myphoto_1530_2 マリーゴールドもそろそろ終わりでしょうか…。

一日激しく雨が降っていた、帰宅の頃には風も加わって、スーパーの紙袋は破れかかってえらいことになった。

帰宅してから、むしょうに飲みたくなったザクロジュースをぐびぐびと飲んで、普通に食事をした後、買ってきたおせんべいを食べ始めたら止まらなくなって、袋ごと全部食べてしまった。

ソファに横になったら、3時間眠ってしまって。あわてて入浴した。ここのところ睡眠不足が続いていることは確かだ。

さて、明日は金井雄二さんの朗読会が京橋のギャルリー東京ユマニテで行われます。金井さんの詩が朗読会でどのように輝いていくのか楽しみだ。仕事の都合がついたら行きたいと思っている。

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2007年9月 4日 (火)

野村尚志さん季刊『凛』

Myphoto_1392 沖縄在住の野村尚志さんの詩は、日常のさりげない場面を、濁りのない視線で掬い上げて詩にしているところに、いつも惹かれる。

季刊『凛』については、あちらこちらで話題になっているようだ。「引越」という詩は、私もいいと思った。

亡くなった人と夢の中でなら言葉が届く…というところが、哀しさが胸に迫ってくるようだった。『凛』に載せられたもう一篇の詩「雨滴」という詩も短い詩のなかに、作者の状況や心境がよく表れていると思った。その上感情に溺れることなく書かれているところが、すごく爽やかで、かえって新鮮だ。出てきた言葉に引き摺られることなく書かれているところがいい。だから、作者の視点が鮮やかに表現されるという結果になっている。野村さんの詩を読むと、いつも泣きたくなったり、新鮮な感動を覚えるのは、そういう言葉への意識が詩を鮮やかに立ち上がらせているからなのかもしれない。

・・・・・

今日もまた、プリンターが動かなくなってしまった。困った…。新しいのを買うべきかなぁ。だいぶ酷使しているのだけど、もうちょっと働いて欲しいなぁ。

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2007年9月 3日 (月)

白鳥信也さんの新詩集が届いた。

Myphoto_1503 真夏に写した名前のわからない花。

白鳥信也さんが七月堂より『ウォーター、ウオーカー』を出された。

とても綺麗な表紙に白鳥さんの詩にぴったりの詩集のタイトル。ページを捲ると、力強い言葉が、行が目に飛び込んできた。

大事に読むことにしようと思う。

それにしても、皆さん、お忙しいのに、せっせと、地道に詩集を出されるので、凄いなぁ、と思って、焦る。私も何とか出したいと思っているが、何だかまとめる時間が捻出できないのが悩みである。でも、何とか近いうちに…とは考えているのだが…。

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2007年9月 2日 (日)

『KO,KO,DAYS』 NO 2、再製作中です。

Myphoto_1652

中国気功整体院でいただいた喉にいいという漢方薬を飲みました。お湯に木の実のような物を入れると次第にもずくのようになるみたいです。写真はその途中です。

先週の月曜日に、ゲストで原稿をお願いしていた鈴木志郎康さんから、『KO,KO,DAYS』にミスプリがあったというメールをいただいた。

私のような者からの依頼を、快諾してくださった鈴木志郎康さんに、その大きなお気持ちに対して、大変申し訳ないことをしてしまい、心苦しくて、胸が潰れる思いがした。本当に、すみませんでした。。。。。。。。!!!!!!

元原稿とは違う箇所が2箇所あった。鈴木志郎康さんの詩は言うまでもなく素晴らしいので、迷わず再製作を決断。現在進行中。今日は印刷と折込をしているうちに一日が終わってしまった。発行日は元から9月10日としていたのではあるが、一日も早く、読んでいただきたい思いで、張り切って、製作している。

表紙・裏表紙合わせて24ページあり、手づくりとは言え、手ごたえのある詩誌になっている。待ってくださっている方々、もう少し、お待ちくださいませ♪お楽しみに☆

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2007年8月31日 (金)

ザクロと詩…。

Myphoto_1646 ザクロがたわわに実っていた。

今朝方、右足の筋肉がつってしまって、苦しかった。急に涼しくなったせいかもしれない。

仕事場では、人の視線や言葉が、体に刺さってくるような気がして、気分がふさぐ。ちょっと油断して見えない着ぐるみを着ないで出勤してしまったのかもしれない。この天候の影響もあるのかもしれないと思った。

仕事の後で、薦田愛さんの朗読会に出かけるつもりでいたのだが、時間的にかなり無理なことになってしまった上、午後、少し咳込んでしまったので、行けなかった。。朗読が回数を重ねられることで、どんな風に変化していくのか目撃したかったから、すごく残念。

帰宅してからソファでごろっとなっていたら、今度は左足がつったので、一生懸命摩っていたら直ったからよかった。明日、中国整体と漢方薬局に出かける予定なので、あまり不安にはなっていない。

佐川亜紀さんにお願いしていた詩集『死者を再び孕む夢』が届いた。とても重いテーマで、以前から読みたかった詩集だったので、手に出来て嬉しい。

坂井信夫さんから実力のある書き手の揃った同人詩誌『索通信①』をいただいた。うめだけんさくさんから長島三芳さんの「雨の中の赤いポスト」が掲載されている『伏流水』も届いている。時々、ポストの中に詩集や同人詩誌が入っている茶封筒を発見すると、わくわくすると同時に、大切な詩集、同人詩誌を私のような者に送ってくださる方がいるなんて…と、手を合わせて拝みたくなる。ありがとうございます。

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2007年8月27日 (月)

神奈川新聞に私の詩が載りました。

Myphoto_1599_4 猫のミュウちゃんの脚も写っています。今日の「木もれ日 」は藤沢周さんだった。

藤沢様、猫のミュウちゃんに悪気はないのでお許しください。とても共感できる楽しい文章でした。

夕方になって、私の詩が載る予定の神奈川新聞の「食卓の詩」の欄を確認した。日頃、詩を読まない人も気軽に読める詩で、テーマは食卓、10行程度、ということだった。10行の詩は初めて書いた。タイトルは「ヘヴンリー・ブルー」。

「ヘヴンリー・ブルー」  長田典子

東の窓から明るい手が伸びて

当たり前のように一日が始まる

トースト、バター、コーヒー、天気予報

でも今年は並ばない

穫りたてのトマト、キュウリ、オクラ、

今朝 青い朝顔が四つ咲いた

お、は、よ、う、と音符のように連なって

トースト、バター、コーヒー、天気予報

おかあさぁーん、行ってきまーす!

空を斜めに見上げながら駅に向かう

神奈川新聞を確認してから、オナガの巣が気になって見に行った。なんと急に大きくなった、という感じで一羽が巣の端に立っている。他の子はどうしたのだろう…と思って、枝を少し揺らしたら、巣の端に立っていた雛が驚いて、落ちてしまった。慌てて追いかけて手で掬いあげるようにして巣に戻したが、雛は慌ててしまって、枝の高い所に行ってしまった。他の雛たちの姿は見えなかった。

一度、家に入ったものの、やはり気になって、また見に行くと、ひな壇の上にある裏の家の奥さんが心配そうにフェンスに留まった雛を見つめている。声をかけて、雛を向かえに行った。フェンスに手を差し伸べて、手で包みながら巣に戻した。近くで母鳥が餌を加えて甲高い声で鳴いていた。私が余計なことをしたから…と思い、こっちも泣きたくなってしまった。

それから、数分して、再び巣を覗きに行った。一羽、巣にいるが、後ろの家に受け取りに行った子ではないような気がした。あの子はもっと小さかった。オナガが低空飛行をしながら甲高い声で鋭角に折り返し家の屋根の周辺を飛んでいた。

雛の皆さんはみんな、無事に帰巣できたのだろうか…そして、あの子は…。胸が潰れる思い。

『KO,KO,DAYS』NO2の発送はもう少し時間がかかります。もう少しだけお待ちくださいませ♪

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2007年8月26日 (日)

ヨコハマポエトリーリーディングⅢに行った。

1595_2 宮沢賢治の『春と修羅』をラップ風に読む今村さん。(肖像権保護のため、写真は加工を加えています。)

日の出町のドルフィーで開催された「ヨコハマポエトリーリーディングⅢ」に出かけた。

ゲストの、末期癌と闘いながら詩の朗読で活動を続ける田川紀久雄さんの渾身の弾き語りは、圧巻だった。死を目前にしてから、薬缶の湯が出ることすらも新鮮だという闘病のなかで感じる生きることを再認識していく心情を振り絞るように声、言葉に出すなかで、「もっと詩を書きたい」という言葉が胸にズシンと滲みた。

横浜詩人会の詩人たちも、それぞれも持ち味がよく出ていて、とてもいい会だった。

オープンマイクで、今村さんという若い人が宮沢賢治の『春と修羅』の詩をリズミカルにラップ風に読んでいて、びっくりしたと同時にとても新鮮だった。

私は、『KO.KO.DAYS』NO.1で発表した「また来てね」という詩を読んだ。自分の中には波のようなリズムを感じていて、それを表現したかったのだが、5分以内という時間制限を守ることに必死だったので、焦ってしまって、あまりうまく読めなかったのは、少し後悔が残った。

金井雄二さんのブログのコメントで存じ上げていたバードさんにお会いできた!!バードさんは詩人だった!!

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2007年8月24日 (金)

個人詩誌『KO.KO.DAYS』完成!!

Myphoto_1578

外灯が線香花火のように灯っていた。

午後から甥の賢勇が来てくれた。19歳かと思っていたら、まだ18歳とのこと。今年大学に入ったばかりで、まだ誕生日を迎えていなかった。若いなぁ…。

…と言うわけで、若い労働力をフルに生かして、『KO,KO,DAYS』NO,2の製本と封筒詰めを手伝ってくれた。

おかげで大方の作業が終了した。なかなかよくできた甥である。賢勇、ありがとう&またよろしくね♪

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2007年8月22日 (水)

甥が助っ人に来てくれた。

Myphoto_1580_2 折り込み作業中!! (写真は19歳の甥の仕事ぶりです)

個人詩誌『KO.KO.DAYS』NO.2を製作中である。

ここのところ印刷機の調子があまりよくなく、この1か月で2回修理に出した。

昨晩は、印刷機をリビングに移動したところ、猫のミュウちゃんが、はしゃいでしまって、上を跳びこそうとして失敗してコードに体当たり。ソケットの部分がかなりひしゃげてしまって、冷や汗が出た。ペンチを探したが、すぐに見つからなかったので、指で何とか原型に近い角度にして延長コードに接続してみたら、何とか繋がったので、胸をなでおろした。

今日は、甥が午後から助っ人に来てくれた。ラッキー!!とっても几帳面に印刷済みの紙を折ってくれて助かった。

夜になって、印刷機が用紙を送らなくなったため、作業を中断した。甥を駅まで車で送り、帰宅してから再び印刷機を点検。用紙を送るゴムのような場所が少しずれていたので、指先を突っ込んで何とか戻したら、やっと用紙を送り始めた。んたく、とことん手工業的な私である。

金曜日にまた甥が手伝いに来てくれるとのこと。ありがたい。頼りにしてるよ~♪

オナガの巣では、雛が孵っていた。まだ目も開いていないが、音がすると母鳥が来たのかと首を伸ばして口を開ける。バッタのような黄緑色のものを母鳥が雛の口に入れようと何度か試しながら最後はささっと上手に雛の口の中に収めた。こういう光景を見ると、今度は他の雛の餌を母鳥が捕まえられるのか気をもんでしまう。浴室の窓からそうっと覗いている。

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2007年8月18日 (土)

『ロルカと二七年世代の詩人たち』(土曜美術社)

Myphoto_1577

昨日の夕焼け。

アルトゥロ・ラネモダ編著、鼓 直/細野豊編訳『ロルカと二七年世代の詩人たち』を細野豊さんが送ってくださった。

帯にはスペインの詩が「ガルシア=ロルカ以外はほとんど知られていない日本の現状を打破しなければならないという使命感に突き動かされて始まった」と書かれている。

限られた国の文学のみに触れていることに気がつく。大事に楽しみに読みたい。

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2007年8月12日 (日)

『KO,KO,DAYS NO 2』編集中。

Myphoto_1389 暑い日が続いています。

カメやアザラシの写真を見ても思ったことだが、水族館の水槽の中の生き物も、しっかりニンゲンを見ている。カメラと視線が合っている。

ニンゲンって、なんて残酷な生き物なのだろう…。

『KO.KO.DAYS  NO.2』を、編集している。

PC術が未熟なため手こずっているが、やっと表紙が決まった。時間がかかって緊張するけど、やっていて喜びを感じる。

また高柳誠さんの『アダムズ兄弟商会カタログ第23集』を読み返した。昨日聴いた聲が文字を通して蘇ってきた。

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2007年8月11日 (土)

高柳誠さんの朗読会に行った。

Myphoto_1565 1989年に出版された高柳誠さんの『アダムズ兄弟商会カタログ第23集』(書肆山田刊)

「詩人の肉聲を聴く!ポエトリーヴォイスサーキット第100回 」の高柳誠さんの朗読会に行った。

今日は、1989年に出版された『アダムズ兄弟商会カタログ第23集』を朗読された。

この詩集は、私にとっても思い出深い詩集である。中を開くと、きらきらした文字が言葉が零れ落ちてくるように感じて、何回読み返したことだろう。しかし何回読んでも当時の私にとっては難解であった。でもこの世界にとても憧れた。

第一詩集を出すときに書肆山田の編集者の大泉さんに、「どんな本を作りたいですか」と聞かれたときに、間髪を入れずに「高柳さんの『アダムズ兄弟商会カタログ…』!!」と言ったのを覚えている。私の『夜に白鳥が剥がれる(この、剥、は違う字なのだけれど手書き入力パッドでいくら検索してもでてこない)』は、版型、文字の大きさなど、『アダムズ兄弟商会カタログ第23集』を参考にして作ったのである。その思い出の詩集を、よりによって作者の朗読で聴けるとは夢にも思っていなかった。今日、行って、初めて知った。そして、読まれた詩を言葉を、懐かしく、とても嬉しい気持ちで聴いていた。

とても深みのある聲の朗読だった。私は高柳さんに初めてお会いすることができとても嬉しくて幸せだった。そしてMyphoto_1559 作者の肉聲による詩の朗読がいかに大切かを感じた。

もっと多くの詩人が自作詩を肉聲で読んでくれたらなぁと思った。

朗読会の帰り道、カメラを持ちながら色々な夜の風景を撮った。左の写真は、私の好きな夜の風景のひとつ。

ちょっと危ないオバサン風(笑)だったかもしれない。

寂しい自動販売機。

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2007年8月10日 (金)

高貝弘也さんの朗読会に行った。

Myphoto_1452 ぬいぐるみと仲良し・その2

六本木のストライプハウスギャラリーで行われた、詩人・高貝弘也さんの朗読会に行った。

今日は、『生の谺』より読まれた。漢字の多い高貝さんの詩は、目で読むととても読み応えがあり、色々なイメージが湧いてくるという感想をもっていた。

高貝さんの詩を読む聲は、高くて、よく通る声で、文字のみから受けていたイメージとはまた別の、よりナチュラルなカタチで耳に入ってきて、驚いた。

特に大きい聲を出すというわけではなく、体に生まれた言葉をありのままに聲に出しているようだった。でも、聲はしっかり響いていた。聲と詩に感動した。

そして再び、書物に戻り『生の谺』を読み返すと、今度は高貝さんの聲が文字とともに響いてきた。聞いていて、とても気持ちがよかった。詩誌『詩と思想』で触れられていた、高貝さんが、TV番組のために多摩川の川べりで風の音や水の流れる音とともに詩を読まれたということがとても納得できた。また海外での朗読会で、高貝さんの聲に反響するように大勢の人が順に聲を出していったという試みもとても理解できたような気がした。

時間があっという間に過ぎてしまった。肉筆のイラストと文字のコピー(限定10枚)に直接彩色・サインされたA4サイズの作品をゲットできた。嬉しいっ!!!(これは部屋の壁に飾ります。)

次回、高貝弘也さんの朗読会は9月12日(水)ギャルリー東京ユマニテで行われます。

明日8月11日(土)の「詩人たちの肉聲を聴く!ポエトリーヴォイスサーキット第100回!!」は高柳誠さんで、同じくストライプハウスギャラリーで19時30分より(開場19時)行われます。

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2007年8月 7日 (火)

大谷良太さんの『ひなたやみ』(ふらんす堂)を読んだ。

Myphoto_1499 アジサイもいよいよ終わりです。

びっくりした。夕方、思いついて人跡未踏状態になっている家の裏側の木に水をあげていたら、突然「キュイーー!!」という鋭い鳴き声とともにオナガらしき灰色の鳥が飛び立っていった。まだ何かいる!!と恐る恐る近づいて見ると、ちょうど私の頭の高さあたりの枝に巣が出来ていた!!

数日前?いやもっとずっと前のことか、近くを対のオナガが飛んでいるのを見ていた。

暗くなる頃、洗濯物を干しながら、空のどこかでオナガの声が響くのを聞いて胸が痛んだ。大丈夫かなぁ、また戻ってくれるといいんだけど…。巣の中に卵があるのか確かめたかったが、戻ってこないきっかけになってはいけないと思って我慢した。

『オナガ夫妻殿、あそこは安全地帯です。どうか戻ってきてください。可愛い雛を育ててくださいませ。』

昨年度の横浜詩人会賞を授賞した大谷良太さんの第二詩集『ひなたやみ』(ふらんす堂)を読んだ。今読んでいる本があるので、それが読み終わったらと思っていたのだが、読み始めたら最後まで読みきってしまった。

瑞々しい切実感が胸に迫ってきて、たとえば、初恋をしたときのような青春の痛みのような苦しさで胸がいっぱいになった。「うっとうしかった」というタイトルの優れた詩を紹介させていただきたい。

「うっとうしかった」     大谷良太

きれいな骨だった

と彼女は手紙で言った

炉から出てきたとき

とても輝いていたの

生前のあの人と

まるで違って、ね

たくさん雨が降った

それでなくても

うっとうしかった

ときどき引き出しを開けては

筆跡を読み返した

何度も泣いたし、

夜中に叫んで目覚めたりもした

あの人の思い出がまだ

整理できていないの、ぷつんて

切れたままなのよ

ベランダに鳩が

巣を作り

ひなを育てた

室外機の上で

クルックルッと首を回し

何かを問うようだった

きれいだった

あの人の骨、壺の中へ

あの人のすべて壺の中へ、それから

私は静かにふたをするの、

回線をつなぐから

待ってて。

生前はうっとうしいと思っていた人が骨になった姿を見て、手紙の主である彼女は、その人の存在の大きさを意識し、気持ちの整理がつかずに、激しく悲しんだり泣いたりしている。本当はその人の存在の大きさについて、彼女は生前から知っていたはずなのだが、自分の気持ちに蓋をしていたのだろう。そして骨壷に蓋をするという行為が自分の気持ちの蓋を開けるというようにねじれていく。→「回線をつなぐから/待ってて。」は、更に、彼女がこの詩の語り手への回線をつなぐようにと展開している。つまり、亡き人から生きた人へと意識を移行していくためには、「回線をつなぐ」という手段をわざわざ選択しなければならないほど喪失感と悲しみに混乱しているような心境に陥っているというように私には読めた。

それから、この詩は、語り手と手紙の主である彼女の語りが二重構造になっているとも読めてくる。

亡き人を思って悲しんで手紙を書いてくる彼女の存在自体、書き手である語り手は、「うっとうしい」と感じているのではないだろうか。そして「回線をつなぐから/待ってて」と言っているのは書き手が彼女に呼びかけているのではないか。彼女と自分が、詩の中で二重になってねじれている構造が、この詩にこめられた思いをより鮮やかに浮き立たせている。とも思う。

身近な人を失った彼女の複雑な気持ちが、短い行に鮮やかに表現されている。そして彼女の亡き人とのうまくコミュニケートできなかった繊細な気持ちは、書き手の感じている彼女との関係や社会での生きにくさや繊細さと繋がっていくようにも思えた。

とてもいい詩集だと思った。何回も読み返していくと思う。

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2007年8月 6日 (月)

夏本番。

Myphoto_1524 蝉と目が合った。

なんだかんだと夏の休暇は終わってしまった。

今日から仕事をしている。

あまりに暑いので、マズイと思いつつ、自動販売機で冷たいジュースを買ってしまった。しかし、少し持ち歩いているうちにすぐに生ぬるくなってしまったので問題なし。小さいペットボトルに入れていったコーヒーは、すぐに飲み終わってしまった。

電車の中で吉田文憲さんの本を夢中で読む。家に帰ってから、ここ数日かかっていた次号『ひょうたん』の原稿の校正を、やっと終わらせることができた。相沢育男さま、いつもありがとうございます。(ぺこん)

今日からは全面的に『KO.KO.DAYS』に集中する。

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2007年8月 5日 (日)

『something 5』を再読した。

Myphoto_1472 水族館シリーズから

昨晩は、今日早起きしようと思って12時頃にはベッドに入った。しかーし!実際に、起き上がったのは、昼の12時であった。

その後がすごかった。(…と自分で自分を褒めてあげたい!!)

食事の後、掃除、洗濯(手洗いも含め)、アイロンかけ…と、けっこう頑張った。その後、昨日に続けて夕食も簡単にだが作ることができた。こんな普通のことかもしれないことが私にとっては珍しいことなのだ。いつもだったら一つできればよくて、その後は寝込む…という状態だから。体にエネルギーがみなぎっていた一日だった。中国気功整体のおかげか、それとも漢方薬が早くも効き始めたのか、やる気に満ちていた一日で、久々に満足した。

鈴木ユリイカさんが責任編集されている『something 5』をじっくり再読した。

封を開いたら、びっくりするような美しい写真の装丁である。高良留美子さん、韓国の詩人、金 宣祐(キム ソンウ)さんをはじめ、25名の女性の詩人たちの詩とエッセイが掲載され、鈴木ユリイカさんご自身が解説された石川逸子さん、白石かずこさん、川口晴美さん 渡辺めぐみさんらの詩が載せられている別冊も付いていて、すごく読み応えのある詩誌だった。本として細かい配慮がされているので読んでいて幸せな気持ちになれた。

今日は、その後、ふと思いついて、昨日触れた例のポールオールセン、デザイン(レプリカ)の卓上ランプを修理しようと思って解体?し始めた途端、ガシャッという破壊音と共に、素焼きのガラスの傘を割ってしまった。ちょっと泣きそうになったが、家族に手伝ってもらい、気を取り直して、セロテープで割れたところを貼り付けた(笑)。

ま、ケ・セラ・セラ、で行きましょう!!

そういえば、今日、不思議なことがあった。電話で知人と話しているときに、仕事やめて詩だけ書いていたいなぁ…というような話をしていたら、頭の少し横の方から男の人?のような声で、「やめちゃえ、やめちゃえ、」という架空の声が聞こえた。啓示だろうか。でも…。クスン。(…の中身はご想像くださいませ)

ちょっと舞い上がって、ずっと前に買っちゃったんですが、これ、正直、見栄えのよさに比べて、あんまり実用的じゃないです。秋の読書をテーマにした女性雑誌でよく採り上げられているのですが…このデザインの卓上ランプはお薦めできません。

Myphoto_1551 Myphoto_1552 Myphoto_1553

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2007年8月 4日 (土)

吉田文憲さんの『宮沢賢治 怪しい文字の世界 』と『櫻尺』第30を読む。

Myphoto_1541Myphoto_1539

かかりつけの病院にあるポール・オールセンのデザインのライト。     

朝慌てて起きて、かかりつけの病院に行った。予約の時間に少し遅れてしまったので、だいぶ待たされるのかなと思い、持って行った吉田文憲さん著『宮沢賢治 怪しい文字の物語』を夢中になって読んでいた。以外に待ち時間は少なかった。この本を読み終わるまでは、まだまだ時間がかかりそうだ。

会計をするときに、思い切って、「このライトを写させていただいていいですか」 と聞くと快諾してくれたので、やっとこのライトをブログでもアップできた。

病院だけど、心なごむ工夫が随所にされていて 、ちらっと写っているような感じのいい版画がたくさん飾られている。このライトを見るたびに私は見とれている。我が家にもオールセン、デザインの小さい卓上ライトがあるが、今、故障したままになっている。 

待たされなかったとは言え、3時間以上はたっぷりいた。

それから鈴木東海子さん主催の『櫻尺』30号(号は難しい字なのですが、何故か文字パットが隠れてしまって見つからないのでこの字で失礼させていただきます)を再読した。現在の詩の書き手が揃っていて、詩の雑誌として非常にレベルが高い雑誌だ。読んでいて、それぞれの作者の力量に引き込まれていって飽きない。一言、凄い。

今日は、その後、部屋の掃除を半分した。明日は、あと半分の掃除をしたい。

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2007年8月 2日 (木)

天童大人さんの朗読会に行った。

Myphoto_1523 夜風に揺れるサトイモ?の葉。

夏季休暇中であるにもかかわらず、やらなければならないことを思い出して仕事場に出かけた。

すぐに終えて家に帰り、今日も中国気功整体院に行った。

今朝方、ふたたび咳込んでいた。

少し油断してしまって、絶対飲んではいけないと言われていた冷たいものを昨晩と今朝飲んでしまっていた。健康のために、と冷やした野菜ジュースを飲んだのであったが、これが悪かったようだ。

整体を受けながらも少し咳き込んだ。冷たいものを口にしたことを伝えると、まだ首のあたりが冷たいからこの1年は冷たいものは絶対飲まないくらいの気持ちでいて、と言われた。

自宅で少しうとうとしてから、ポエトリーヴォイスサーキットのプデュースをしてくださっている天童大人さんの朗読会(於・ギャルリー東京ユマニテ)に出かけた。

午前中よりも、さらに気温が上がっていて、外は蒸し風呂のようだった。歩いて駅に着いたとたん、喉が渇いて我慢ができなくて、温かいお茶の入った水筒を持ってくればよかったなぁと後悔しつつ、冷たいドリンクを買って、ちょっと、喉を潤した。朗読中に咳込んではいけないと思って飴を沢山用意した。

天童さんの朗読会は、1時間きっかりという感じで終わった。その間、まったく退屈することがなかった。朗読の間にされた話も興味深い内容であったし、やはり「キッキ・マニトゥ」を読むときの聲が凄かった。下を向いていて聞いていたのに、はっとして、前を見た。

しかし、私は、ちょっと咳き込んでしまって申し訳なかった。電車の中でもショールを羽織って体をガードしていたのだが、少しずつ室温が上がっていったことに喉が反応してしまったようだ。飴を2つ口に入れて、それから持っていた既に生ぬるくなっていたジュースを飲んだら収まってくれたのでほっとした。

中国気功整体院の先生の話によると、この咳は体の冷えからきているという。たしかに、私は、この7,8年、冷房平気症のような感じで、どんなに電車の中が冷え込んでいようと素足にノースリーブでいたし、他の場でも似たような行動をしていた。しかも水を飲むときは絶対に氷を入れないと飲んだ気がしない、という日々だった。今日は外は異常に蒸し暑かったのに、電車に入ると冷房がきつくて、すぐにショールを羽織った。何となく体が正常な感覚に戻っているのかなと思った。

明日は、教えていただいた漢方薬局に行く。それから、またしても仕事場に用事があり行かねばならない。休みは明日で終わる(涙)。

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2007年7月31日 (火)

六本木の中心で放送禁止用語を叫ぶ!!朗読会無事終了。

Photo 朗読会の様子です。

昨日7月30日(月)に六本木のストライプハウスギャラリーで、「第96回 詩人の肉声を聴く!ポエトリーサーキット(巡回朗読会)長田典子朗読会」を行った。

午前中、雷雨が酷くて電車が止まるのではないかと心配した。午後になって雨が止んだが、天気予報では翌日の朝まで雷雨が続くと言っていたので、落ち着かなくて、六本木には4時過ぎには着いていた。

一度、ストライプハウスギャラリーに顔を出して、持って行った本を預かっていただき、アマンド(田舎者である)で、本を開き音声を出さないようにして口を開き、練習のようなことをしていた。

天童さんと6時45分にギャラリーで待ち合わせをしていたので6時30分くらいになってギャラリーに行くと既に天童さんはいらっしゃっていた。

開場7時までの30分間で、少し会場で発声練習をしていたりしていた他にも、バタバタと何かしていたのだが、今は全く思い出せない(緊張していました)。

ご来場くださった方々、本当にありがとうございました!!!!

PCの師匠、草もち姫様関係の方々、詩の朗読会は、初体験だったかと思います。ありがとうございました!!!!!

時間になって、天童さんに紹介されて出て行って声を発したはいいが、人がいるだけで、全く聲の感じが違うので驚いた。地声はかなり大きい方なので、あまり心配していなかったが、実際は、それ以上にかなり大きい声を出して朗読した。

結局『おりこうさんのキャシィ』(書肆山田刊)から数編読み、次回の予告として『夜に白鳥が剥がれる』(書肆山田刊)から1篇読んで1時間30分以上読んでいた。96回のリーディングの中で最長記録第2位と言うことであった(お、お恥ずかしい…汗×2)。

「聲は大きすぎませんでしたか?」と天童さんとギャラリーの方にうかがうと、ちょうどよかったということだったので安心した。天童さんが「外に出て聞いてみたら、階段の下まで聞こえた」と言っていた。「案外、聲が出るんだね」と言ってくれたので少しほっとした。

他者を意識してソロで聲を出してみて、自分で単に自作を音読しつつ推敲していたときとは違った作品の側面が見えてきたのは収穫だった。バックミュージックや映像などの助けを借りることなく、自分を今までとはまた違った厳しいところに追い詰めたときに、初めて自作について気がつくことがあることも体感できた。

いい経験をさせていただき、また次回への闘志?のようなものが湧いてきた。

帰りに急にビールが飲みたくなって、天童さんを誘って少し飲んだ。(だ、大胆である。)

家に帰ったら、必ず開くPCなのに、物凄く珍しいことに昨日はバタッと寝てしまった。

夏の休暇をとっていたので、今日は、午前中にゆっくり起きてメールを確かめると、鈴木志郎康さんにお願いしていた『KO.KO.DAYS  NO. 2』の為の感動的な原稿が、昨日のメールで届いていた。嬉しいっ!!

そうです。次号『KO.KO.DAYS』のゲストは鈴木志郎康さんです!!ご期待くださいませ!!

五十嵐倫子さんがブログで朗読会のことを書いてくれています。ありがとうございます。

またミステリー作家の安東さんの掲示板に草もち姫様が朗読会についてお知らせを出してくださり、いらしてくださった「神田後輩」さんともお会いし、衝撃的?な出会いがありました♪

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2007年7月14日 (土)

中村恵美さんの朗読会に行った。

Myphoto_176  六本木のストライプハウスギャラリーで行われた、「第91回 詩人の声を聴く!ポエトリーヴォイスサーキット」の中村恵美さんの朗読会に行った。

六本木ヒルズも東京ミッドタウンも行ったことがなかったが、六本木の駅に降りたとたんハレの区域六本木のパワーがみなぎっていた。

すでに4回目という中村さんの声は澄んでいて、とても綺麗な声だった。

人前という孤独な場所で沈黙の間をつくるのは大変だろうと思うのに、とても上手に間を生かしながら、歌うように朗読されていた。

中村恵美さんの『十字路』(書肆山田刊)は、私の好きな詩集の中の1冊だ。ポルトガルが大好きということもあって、天正少年使節に触れた詩が特に気に入っている。彼らが投宿したという教会がそのままリスボンの坂の上にあり、ああ、この坂を彼らも上ったのだな…と感慨深く、坂道の下方に見えるテージョ川を眺めた記憶がある。

せっかく生きた詩人を目の前にしながら朗読を聴くという機会なのだが、美しい詩人の顔に見とれているうちに、言葉を逃してしまいそうで、ときどき素敵な中村さんの表情や姿に目をやりつつ、意識を言葉に集中させるようにして聴いた。

広い空間を連想させるような詩と、伸びやかで澄んだ聲がぴったりで、聴いていて心地よかった。

ストライプハウスギャラリーは、とても素敵な空間だった。今は「ヨシカワゴエモン スポンジオブジェ展」が開催されていて、スポンジで作られた羽の生えたイグアナや亀のような不思議なオブジェ(ものすごく私好みだった!!)が浮かんだ空間から都会の夜景が見え、今日、行きたかったのに行けなかった人は、ちょっともったいなかったなぁ…と思った次第。昨日は、この場所で、高貝弘也さんも朗読された。こちらも是非、行ってみたかった。

六本木中学校の門の向かいに位置するというわかりやすい場所。なんと言っても、今の日本でいちばん新しくて活気ついているという感じのする場所で、詩の朗読会なんて、何て素敵なことだろう…と思いながら帰宅した。

7月30日(月)19時30分より1時間あまり、私もストライプハウスギャラリーで朗読します!心に残る会となりますよう計画しています♪

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2007年7月13日 (金)

作業中!!

Myphoto_1291 現実は、7月13日ですが、12日の日記として更新します。

朗読会の封筒宛名書きと、お手紙を書く作業に没頭していた。

半分くらい終わったところで、夜中の1時になりそうな時間だった。

また体調を崩すとやばいなぁ、と思って、嫌だけど、途中でやめて寝た。

天気予報では台風が近づいているといっている

7月30日(月)ストライプハウスギャラリー(六本木)で朗読会を行います。

お時間のある方、ご興味のある方、是非いらしてくださいませ。

楽しい会となるようがんばります!!

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2007年7月11日 (水)

案内作成中!!

Myphoto_1418 ギボウシの蕾です。

ようやく梅雨らしくなってきた。秋冬春の雨は好きだが、6月7月のじとじと降る雨はあまり好きではない。何よりも湿気が嫌いだ。

7月30日(月)の六本木ストライプハウスギャラリーで行う朗読会(第96回詩人の肉聲を聴く!ポエトリーヴォイスサーキット)の案内を、頑張って作成中!!

この頃にはきっと梅雨も明けていることでしょうね。

ずっと、ソロの朗読会をやってみたいと思っていたので、自分でも、すごく楽しみ☆

お時間のある方、ご都合のつく方、是非いらしてくださいね♪

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2007年7月 9日 (月)

中村葉子さんの『夜、ながい電車に乗って』(ポプラ社刊)を読んだ。

Myphoto_1412 いただいたお花は順調です。

昨日書けなかった中村葉子さんの2006年3月に発行された詩集『夜、ながい電車に乗って』(ポプラ社刊)について、書きます。

この詩集も、所謂、詩の専門雑誌「現代詩手帖」や「詩学」に登場するような詩人たちが思い浮かべる詩集とは、対象にする読者層が全く違うように思った。

ターゲットは、たぶん10代前半から20代の若い人たちで、詩を読みなれていない人でも、手にとって、欲しくなるような作りになっている。もしかしたら、自分の心を代弁するように書かれているこの本を、恋人や友達へのプレゼントするために購入する人もいるかもしれない。

中村さん自身が写したという写真がとても素敵だ。日本の都会の写真もあるが、多くは、日本ではないようだが(たぶん以前住まわれていたアメリカだと思うのだが)日本にもありそうな風景の写真に、直球で心に入ってくるような素敵な詩の言葉が数行ちりばめるように入っている。交互に、長い詩がまとまって入っている。そこがいい。ページをめくりつつ、違う世界にすぅっと自分を導いてくれる綺麗で素敵な、そして自己投影できる切実な言葉による空間が用意されている。

私は、「マヨさんの話」という、飼っていた猫が行方不明になってしまったときのお母さんのことや、「父と将棋」という病気で入院したお父さんと将棋を指した思い出を書いた詩がしみじみしていていいと思った。

「口ずさむ」では、詩の主人公が口ずさむのが、詩壇と呼ばれるような場所で大きな存在である長谷川龍生さんの詩で、主人公の位置について、いい意味で、へぇっという驚きとともに、想像できるようになっている。

そこで、考えてしまうのが商業と詩について。その可能性について。日本においては、そこの折り合いがついていない。純文学として詩集を出すのなら、自費出版しないで詩集を出せる詩人はどのくらいいるのだろうか。10人もいるのかどうか?私にはわからない。

だから、中村葉子さんは、ご自身の詩がこのような形で、出版社の企画によって、本になることを、どう受け止めているのかが気になる。

私は、これもある。と応援したい。

でも、中村葉子さんは、純文学としての視点から出発した詩集も、当然ながら出せる方だ。

昨日、触れさせていただいた『泣くと本当に涙が出る』のなかにも、多くの文学的価値の高い優れた作品があった。

それに、今、このようなことを書いている私も、実は、何がいいのかよくわからない。今は、これもありだし、それもありだと思っている。

中村さん、いろいろな形があっていいと思いますよ。だから、これからもいろいろチャレンジしてくださいね♪詩も小説も♪(×2)

閑話休題。

今日は、驚くことがあった。

昨晩も夜中に酷く気分が悪くなって咳き込み、朝も起き上がれず、仕事を休んだのであった。夕方になって、やっとの思いで近くにあって行き易いが全く信用していないAという病院へ行った。咳止めぐらいならそこでいいと思ったので。そして処方箋をもらいやはりAという薬局に行って薬をもらった。

家に帰り、いつもは、すぐに薬を飲むせっかちな性分なのだが、今回は、とにかくパジャマに着替えたくて、我慢していたら電話がなった。薬局からで、始めはよくわからなかったのだが、どうやら薬を1種類、渡し忘れたというのだ。私は、いつも通っている信頼しているが、行くと待たされて1日がかりになってしまう病院の呼吸器の専門の先生が、明日A病院にくるというので、明日も病院に行くつもりだったため、「では、今ある薬だけ飲み、明日またいただきます。」と応えた。

何回か受け答えしているうちに「近いので、今すぐに直接、お宅までお薬を持っていきます」ということだった。待ちながら、何気なく薬の袋を見たら、なんと明らかに知らない人の名前のついた3週間分の薬が入っていた。まさか、こんなミスが、自分の身の上に起きるとは予想だにしていなかったので、ものずごく驚いた。

すぐに薬局に電話して、代わりにこんな薬が入っていました、と言うと、ちょうど探していたモノと言う。完全に薬局のミスであった。

そのすぐ後に、私が飲むべき薬が届いた。しかし…。恐ろしい話である。

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2007年7月 8日 (日)

中村葉子さんの詩集を2冊読んだ。

Myphoto_1402 だいぶ前に斜め横から写した写真を公開しました。これは、そのとき真上から写した写真です。

1週間も前に中村葉子さんの詩集について書きたいと予告したにもかかわらず今日になってしまい、期待していた方々、ほんとにごめんなさい。そしてお待たせしました。

まず、出版された順番に、2004年10月に発行された『泣くと本当に涙が出る』(ポプラ社刊)について書きたい。

閉塞的と言われる詩の世界から飛び出して、普段あまり詩に関心を持たない人も読みたくなるような工夫がされていた。トップの短い詩と2番目の散文詩を読むことによって、著者の中村葉子さんと言う人がどういう方なのかわかり、同じ立場の若者たちの心を掴むような形になっている。何度でも読み返したくなる魅力のある詩集だ。

全篇を読ませていただいて、切なくて痛々しい感じが心に残った。そして、詩や詩の中の出来事が、まるでこれは自分のことではないかと思えるほど共感できた。そして世界に違和感を感じて生きているのは自分だけじゃないんだと勇気付けられた。

たとえば、2篇目の詩「的」では、1週間勤めてやめたバイト先からバイト代が支払われないので、電話をしたらバイト先の社会人(=大人)からむげに扱われたこと。自分もバイトで理不尽な目にあったことが何度かあったので、このエピソードが詩集全体をリアルなものと感じてページを捲っていった。

すると「冬の果て」では、主人公が冬の東北地方を旅をしていると、海沿いの閑散とした港で、死んだばかりのコアラを見つけて抱く、という詩で、リアルな空間とありえない出来事とのせめぎあいに出会う。本当は「生きているカードが二枚」という切実な状況なのに「あきらかにワシントン条約に違反している」と冷静に分析し、読んでいて切実なのに楽しくて癒される不思議な空間を提供しているのである。いい詩だと思う。

この詩集はⅣ部に区切られている。

私がいちばん好きな箇所はⅡ部だった。…というより、いつも読み慣れているような詩集を頭の隅にイメージして読み進めてしまっているので、安心して読めるパートだったのかもしれない。

アキレス[1]~[4]がよかった。ものすごく孤独な詩だ(全篇、孤独なのだが、特に)。

特に、[2]と[3]がよかった。

[2]

こころの底から笑ったのはいつだったのだろう と

考えながら

プールに飛び込んだ

その時

物心が付いた

校舎の白い壁にしがみついて

セミが死ぬまで鳴いている

[3]

勝手口から三河屋が

「毎度」と言って勝手にドアを開けて入ってきた

「とりあえず今日はまにあってます」

私の声がした

私は驚いて

どこまでも走って逃げた

孤独で自分の存在さえが遠くなっている状態が理屈なしに伝わってくる。読んでいて泣きたくなる。

表題作となった「泣くと本当に涙がでる」は、この詩集のなかでいちばんいい。

詩集『泣くと本当に涙が出る』は読んでいて、泣きたくなる。泣いて自分の涙が温かいのに気がつく。それで初めて自分にも体温があって、生きていていいんだと思わせてくれる。

詩人はいつも思う。どうしたら詩集が売れるのか、どうしたら詩人以外の人が自分の詩を読んでくれるのか、と。

この詩集は、その問いに答えてくれるような本であった。

本当は、『夜、長い電車に乗って』(ポプラ社刊)についても書きたかったのですが、長くなってしまったので、明日、書きます。お楽しみに!!

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2007年7月 4日 (水)

梅雨本番。

Myphoto_1415   

大きく育ったアジサイの花(木?)を見つけました。

雨とアジサイはよく似合います。でも梅雨の合間の晴れた日、しかも風のある日に大輪のアジサイの花が風に揺れるのを見るのがすきです。実に優雅に、ゆっくりと、花の塊が揺れて、気持ちがほんわかしてきます。

樋口えみこさんより『生まれて』、弓田弓子さんより『ベケットが少し動いた』、廿楽順治さんより詩誌『ガーネット VOL.52』をいただきました。大事に、ゆっくりと読ませていただきます。ありがとうございました。

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2007年6月30日 (土)

お知らせ。

お知らせです。

『詩人の声を聴く!ヴォイスポエトリーサーキット(巡回朗読会)

            ==== 第96回 長田典子 』のお知らせ

日時 :7月30日(月)入場19:00 開演19:30

場所: ストライプハウスギャラリー (六本木) TEL : 03-3405-8108

入場料:予約 大人2500円 学生1500円(学生証呈示)

     当日 大人2800円 学生1800円(学生証呈示)

プロデュース:天童大人(TEL03-5982-1834 FAX03-5982-1797)

お時間のある方、興味のある方は是非いらしてくださいませ。お待ちしております♪

Myphoto_1395_3以前、動物園でキツネを見たときの写真。

昨日から、また背中に背後霊でもいるかのように(笑)、肩こりが酷く、今日の夕方、またマッサージをしてもらいに出かけた。今夜は深く眠れることだろう。

              

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2007年6月29日 (金)

薦田愛さんの朗読会に行った。

Myphoto_1367 エゴノキに実がなっていた。色々な鳥が実をお目当てに飛んで来るようだ。

京橋のギャルリー東京ユマニテで行われた「詩人の声を聴く!ポエトリーヴォイスサーキット(巡回朗読会)第86回」の薦田愛さんの朗読会に出かけた。

一人の詩人の声だけで、1時間以上にも及ぶ朗読会が行われるというのが、とても魅力的な企画だ。

薦田愛さんはすでに4回目となるということであるが、私はずっと体調を崩し出向けなかった。今回やっと思いがかなって出かけられた佳き日であった

最新詩集『流離縁起』では、多くの詩が架空の場所で展開されるストーリー性が強い上に、言葉を厳選しつつ、言葉の流れを強く意識して書かれていた。清音だけで書いたという離れ業としか思えない凄い詩もある。

期待通り、舞台の上で、詩人が自作の中の登場人物を演じているという風に感じられ、詩人の体が逆転する装置となるという仕掛けを目撃することができた。

最新詩集『流離縁起』の装丁の雰囲気や題名からもわかるように、集中の詩の数編は、古典の物語から想を得て書かれていたり、着物を着た女性が走って誰かを追っていく詩があったりと、日本的な雰囲気の強い詩集である。

薦田さんは、白地に綺麗なうねった縦の縞模様の絽の着物と、それにぴったりの帯という姿で登場し、時に後ろ向きに、時に客席の椅子に座る、歩く、など、空間を自由に生かし、役者さんのように仕草を工夫し朗読していた。

しかし1時間という時間をよどみなく発声し続けるのは、かなりのエネルギーを要するのだろうなぁ…と思って聴いていた。とても高くてよく通るいい声だった。

自分が勝手に思い込んで心内で発音していたのと違う作者自身のアクセントや発音にぶつかるたびにドキッとして、立ち止まり、作者との距離を測ることになったりした。

朗読するとは、書くことと、人前で朗読することとの間に、表現上の空間が生まれ、そこで、作者が朗読するその場で、詩が新しい形となって更に反転・拡大・または変成していくのではないか、詩の朗読の特性がそこにあると、現段階の私は思っている。

途中、私は咳き込んでしまってとても申し訳なかった。あわてて会場の裏の方に逃げ込むと主催者の天童大人さんが、お水を出してくださり助けていただいた。

その後、薦田さんと、可成屋『書画の楽しみ』編集長の田中亮さん、詩人・絵本作家の林 木林(はやしきりん)さんと、近くの居酒屋で歓談した。田中さん、林さんは、初めてお会いする方だったが、薦田さんを通して不思議なご縁ができ嬉しく思った。

お知らせ。

第96回目のポエトリーヴォイスサーキット(六本木・ストライプハウスギャラリー)で、私も朗読させていただくことになりました!!詳しくは、後日、改めてお知らせさせていただきます♪

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2007年6月27日 (水)

楽しみな詩の朗読会。

Myphoto_1396 出かけたときに写した名前のわからない花です。

梅雨とは思えないほど暑くて天気のいい日だった。

家に帰ると、昨日・今日と続けて詩の朗読会の案内が届いていた。嬉しい。

薦田愛さんが6月29日(金)に京橋のギャルリーユマニテで、中村恵美さんが7月14日(土)に六本木のストライプハウスギャラリーで朗読会をなさるとのこと。

活字として読んだ詩が、作者の肉声を通してどんな風に立ち上がってくるのだろうか。楽しみだ。

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2007年6月25日 (月)

葉っぱの中から葉っぱが…

Myphoto_1365 なんと言う植物だろう。葉から葉が生まれているような不思議な構造。

蒸し暑い日だった。朝、降っていた雨が昼頃には止んだ。

今夜こそは詩を書こうと思って、久しぶりに禁断のリポビタンDを飲んでしまった。と言ってもあまり元気はでてこないまま、眠気に襲われつつブログの記事作成画面を立ち上げた。

土日あんなに眠ったのに、昼間も欠伸ばかりがでてしまった。

自宅に戻り、お風呂上りに何気なくTVを観ていたら、内容とは関係なく、何だか仕事をやめたい気持ちになってしまった。ま、これは、定期的に波のようにやってくる気分なので、またきたな…と言う感じで気分転換に氷を入れた水を飲む。

デジカメの写真をチェックしていたら、上の写真が目に入った。不思議な構造をしている。

なんだか、詩を書くときの思考に似ているような気がする。湧いてくる形の無い感情があって、そこから言葉が思いつく。そこから、言葉がまた生まれていく…。この植物のように言葉が生まれてくれればいいのだけれど…。

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2007年6月24日 (日)

『フットスタンプ』14号を読んで。

Myphoto_1370  クレマチスの花の跡。

クレマチスの花が終わったら、このようにならない前に剪定しなければいけないらしい。しかし、私は、花が終わった後のこの状態が好きだ。何とも言えない侘び・さびのようなものを感じる。

昨晩は近頃アルコール類を控えていたので、少し飲んだだけなのに夜中に頭痛がして起きてしまった。それにしても、「シメイ」とかいうベルギービールは口当たりがよくまろやかで飲みやすかった。

10時ごろに友人を送り出した後、再び、眠り込んだ。ちょっと寝てからいつも行くマッサージ店に行き、筋肉をほぐしてもらいたいと考えていたが、結局夕方まで、ぐっすり眠ってしまい、夫の作った豆ご飯の夕食をありがたくいただいた(笑)。そういえば昨晩も夫が美味しいスープスパゲッティを作ってくれたのだ。しかも、夫はほとんどアルコールがダメな人なのに、友人が来るからビールを買ってきて、と頼んだという、何だか暴君ネロのような私である。ま、ウチは草むしりや庭木の剪定などの力仕事は私がやっているので(笑)。

入浴後、送っていただいて、読みたい読みたいと思いつつ、読めなかった同人詩誌『フットスタンプ』14号をやっと読むことができた。池田俊晴さん、遠藤誠さん、小島浩二さん、白鳥信也さん、田辺武さんらの5人の、毎号、誠実な詩誌つくりには頭が下がる。

今号も、充実した詩、散文、などが掲載されている。前号の招待詩人・川口晴美さんの詩「寝台」をめぐって、川口さんも交えて座談会も行われている。同人の皆さんが大変誠実に川口さんの詩を読み解いているのがわかり、好感がもてたし、私もまた一緒に参加しているような臨場感をもつことができた。

また、今号の招待詩人は西元直子さんで、また来号は、同じようなことが行われるのだろうか。期待してしまう。

「障害者プロレス観戦記念フットスタンプ座談会『どうじょうの、はくしゅは、いらないのですね』」が、とても印象的だった。

座談会でとりあげられている北島行徳氏著『無敵のハンディキャップ』に書かれていたという「キレイごとの世界」の意味合いには、少々抵抗を感じた。

キレイごと??そう思う人がいるんだなぁって…。相手が誰であろうと最終的には人間対人間の付き合いになる。障害を飛び越えていくことになる…という気がする。結局、同じようなことを語っているようではあるのだが、キレイごと、という言葉でくくってしまうことに問題を感じる。「…身体は不自由でも心は綺麗で一生懸命生きている障害者…まじめで心優しいボランティア…養護学校の先生…」などの言葉が出ているが、それらのイメージは、あまりにも観念的ではないかと思う。実際に、障がい(害…とかくのはあまり好きではない)のある人と人間として接する機会が少ないから、こういう言葉が出てきてしまうのではないかな…と感じる。

おそらく北島行徳氏自身が最終的に、垣根のなさを感じたことによって始めた興行であることは理解できる。しかし、それが、プロレスとは…。考えさせられる。極端ではないか。しかし、出演している人たちはそこに自分の生きる意味を見出してやっているにちがいないのであるから、それはそれでいいわけなのである。だが、それだけではないだろう。たとえば、あの『五体不満足』の著者の乙武氏は、現在東京都の区立小学校の教師として働いていると言う。そのようなことが、もっと一般的に行われていいのではないのかと思う。

飛躍しているかもしれないけれど、一般社会の労働の場に、様々な障がいを持つ人たちが入り込みにくい、という現状が、こういう「キレイごと」という架空の概念を生んでしまいがちなのかもしれない。共生、という言葉がよく聞かれるけれど、現実は、共生できてはいないのである。

身障者プロレスを映画にした監督もいたなぁ…などと思いつつ、読ませていただいた。

入社研修の一環として、施設や養護学校などで一緒に暮らすことを位置づけたらどうかな?なんて、ありえないことを考えたりしてみた。っていうか、たぶん、これは、子どもの頃から経験して、色々な意味での垣根のなさを経験することが大事なんだろう。

ごめんなさい。ちょっと言葉尻をとらえてぐちゃぐちゃ書いてしまいました。私って小さいなぁ。(汗)。

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2007年6月 8日 (金)

詩集を買った。

Myphoto_1256 フェイジョアの花。

前から読みたいと思っていた須永紀子さんの『中空前夜』小長谷清実さんの『我が友、泥ん人』が、注文していた書店に届いたというので受け取りに行った。そして、野木京子さんの『ヒムル、割れた野原』を注文した。

なかなか落ち着いて詩を読めない日々が続いているが、大事に読んでいきたい。

写真のフェイジョアは、実がなって、ジャムができるというので購入したのだが、綺麗な花を咲かせてくれるものの、今のところ実はなっていない。

雨が降れば水遣りを少しさぼれるかなぁ…と期待していたが、降らないので、夕方遅くなって水遣りをした。ついこの前、蕾がだいぶついているので楽しみにしていたフェイジョアが一気に花を開いた。昨年は実を期待していたのだが、今年は、たくさん花が咲いたので、多少手折ってもいいかな…と思い、下の方の枝を2箇所手折り、猫のミュウちゃんの攻撃を避けるため、トイレに飾った。トイレの一角が、華やかになって、うきうきしてくる。

6月の一月で2篇くらい詩を書きたいと思っている。できるかな?

今日の神奈川新聞の文化欄で金井雄二さんが、私の詩について少し触れてくれていた。ありがたい。しかし、だから次も同じように書けるという保障はどこにもない。体の中に言葉やイメージが湧いてくるように、精神のベクトルを詩に傾けなければ。

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2007年6月 2日 (土)

『ひょうたん』32号・合評会

Hyoutann602 新宿で『ひょうたん』32号の合評会があった。同人7名が参加して、真剣で高度な話し合いがなされた。『ひょうたん』初期からのメンバー、柏木さん、小原さん、中口さんたちが、冷静に対処してくださるので、とてもいい距離を保ちつつ、忌憚のない意見交換ができた。

今回の参加者は、小林弘明さん、小原宏延さん、中口秀樹さん、水嶋きょうこさん、柏木義高さん、村野美優さん、と私だった。

新宿のジャズの流れるちょっとお洒落な喫茶店で3時間、たっっぷりと話した。今回の『ひょうたん』は散文詩形式の作品が多かった。散文と散文詩との違いはどこにあるのか…が話題になった。ボーダーレスな時代の中で、詩と散文の間にもそのような空間があるという思いがすると同時に、詩の形式性のようなものについて、改めて考えさせられた。

いつものことだけど、帰りの電車は自己嫌悪に陥る。親しい感じの人としゃべるのは嫌いじゃないので、私はいつもしゃべりすぎてしまう。反省。

村野美優さんから、先週の横浜詩人会主催の石原吉郎についての講演会がとてもよかったと聞いて、行けなかったことをとっても後悔した。地道に続けられている横浜詩人会の講演会は、いつもとても内容がいいと思っている。なかなか行けなくて残念だ。

柏木義高さんが詩とエッセイで触れていた吉村昭著『破獄』を読んでみたくなった。

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2007年5月28日 (月)

『るしおる』64号

Myphoto_1241 中村葉子さんからいただいて寄せ植えしたケイトウ。色がとても鮮やかで綺麗です。

書肆山田から発行されている『るしおる』を定期購読している。朝ポストを見たら64号が届いていた。とてもずっしりしていて分厚い号だ。

表紙に「<るしおる>は今号を以ってしばらく翅をたたみ、新たな飛行に備える模索の季節に入ります」という文が目に飛び込んできた。

商業主義に走らずに発行されている思いが誌面に繁栄されていて、毎号、充実した内容の大好きな詩誌だから、とても寂しい気持ちになった。

皆さん、『るしおる』64号を買いましょう!!

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2007年5月25日 (金)

低気圧の影響で欝っぽくなる。

Myphoto_1176 お外に出たいっ!!part2

朝からけっこう激しい雨が降っていた。雨は気分が落ち着くが、時々、低気圧のせいか欝っぽくなってしまう。

先日、急激に暑くなった日にTVの天気予報で、こういう日は気圧の影響で怒りっぽくなるので注意してください…と気象予報士が話していた。

その日、怒るほどのことはなかったが、確かにいらいらした。

今日、なぜか仕事場のスポーツ大会に燃えてしまった人が多くいて、お揃いのTシャツをつくろうではないか…という話が持ち上がった。げっ、…生理的に、嫌だ、と感じた。

中学生のときにジャンパースカートの上にブレザーというダサイ制服が嫌で、自分なりにアレンジして少しでも友達と違う格好をしようと試みていた。貧乏な家の子だったから、せいぜいブラウスの変わりにピンク(!!今考えると、こっちの方がダサい!)のハイネックのセーターを着てみたり、白い普通の靴下の変わりにハイソックスを履いててみたり、肌色のストッキングにしてみたり…と、実にせこせこしたものではあった。

思い切って上着を脱ぎ、白っぽいセーターを着て、晴れ晴れとした顔つきで登校していた不良少年・少女に、内心エールを送っていた。高校になると、制服のダサさにはもう諦めていたが、3年生になって、突然思いつき、制服の縫い目を全て解体し、自分の体型によりフィットする形に改造した。一晩徹夜してやり、やっと午後には登校できた。何のことか忘れてしまったけど、その日に予定されていた、自分では重大事と思える議案の生徒総会に出席することが目的だった。

で、結局、大人になってまで、勝手に好きな格好していいはずなのに、わざわざ、制服みたいなものを着なければならないのが、とってーーーーも、嫌なのだ。たとえ隅の隅の隅での活動でも表現者としての魂とプライドが許さない。その後に、とって付けたように、独裁的だとか全体主義だとかいう言葉が頭に浮かぶ。

しかし、社会人として、みんなとソツなくうまくやるためには、やっぱり、2300円払ってTシャツそろえなきゃなんないのかなぁ。ムカツク。買って、一度だけ着た後はハサミで切り刻んでしまおうか…。それほど嫌なのだ。しかし、こういう提案に乗っていかないと、ただでさえ異端児なのに、あまのじゃくの異端児と自ら表明するようなものだ。色々考えると、ひどく憂鬱になる。低気圧のせいだろうか…。

今日、あざみ書房の同人詩誌情報コーナーに『KO,KO,DAYS』を紹介していただきました。そちらもごらんくださいませ。

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2007年5月22日 (火)

素敵な日になりました。

Myphoto_1226 花籠をいただきました。

20日のブログで書いた詩人であり小説家である中村葉子さんから素敵な花篭をいただいてしまった。私がちょっとした体験談をお伝えしたことによって、中村さんが大きな希望をもつことができたと言ってくれた。そして、そのお礼にと、沢山の著書とお花をいっぱい送ってくださった。

こんな私のようなささやかな人間のちょっとした体験を、「希望」と言ってくださったことが、私にとってMyphoto_1230 は、とても嬉しく、少しでもお役にたてたことが、自分にとっても、また希望となり、またまた今日もうるうるしてしまった。

中村さん、希望を与えてくれたのは中村さんの方ですよ。

中村葉子さんの近著は『ロビンソンくるぞ』(ポプラ社)。また昨年は同じくポプラ社から『夜、ながい電車にのって』という素敵な写真と詩の本が出版されている。

他にも小説『トンちゃん』、』詩集『泣くと本当に涙が出る』なども是非、購入して読んでいただきたい本です。

下の写真は花篭に添えられていた妖精。可愛いっ♪大事な大事な記念品として、お気に入りのイギリスアンティークの飾り棚に収めた。

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2007年5月19日 (土)

現代詩の会

My_003_2 生まれて半年くらいのミュウちゃんです。 今、見るとたとえ猫でも幼い顔をしています。

午後になって妹夫婦がスズランやスミレなどの花の株を持ってきてくれた。嬉しい。狭い場所だが工夫して植えようと思う。

夕方になって、渋谷で行われた現代詩の会に出かける。土曜の渋谷駅前は人の数が尋常ではない。その人ごみを縫うように歩いた。少し遅刻してしまった。

今日は、川口晴美さん、北爪満喜さん、薦田愛さん、辻和人さん、水嶋きょうこさん、森ミキエさん、山本洋介さん、そして私の8人だった。

作品も沢山提出されていて、レベルが高く、多くの刺激を受けることができた。7時から10時まで、みっちり合評会をした。その後も場所を変えて11時まで合評会の続きのような話し合いをした。いくら話しても話しきれない気持ちのまま、帰宅時間になってしまう。時間制限をしないで話し続けたらきっと3日経っても詩や芸術の話を続けているのだろうな…という気がした。

いつもながら、皆さんの作品に対する厳しい姿勢にはっとさせられ、自戒する。自分に対して甘い私には、とても大事な時間である。

今までは2時間の設定で行われていたが、次回から3時間の設定で行うことになった。この熱い時間が続いて欲しいと思う。

蛇足ですが…、皆さん年齢不詳の人々で、実年齢よりもずっと年下に見える。現代の有り様に向かいながら詩を書き、新しい芸術にアンテナを張っているという生との向き合い方が、フレッシュな風貌に影響しているのだろうなぁ…と思った。私も、後に続きたいと、まじめに思う。

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2007年5月15日 (火)

ジシバリ・サラサドウダン・アッツ桜

Myphoto_1150_1

再びジシバリです。

クレマチスの花びらが、まるで腹ペコあおむしくんに食べられたように、食べ跡がついて悲惨だ。犯人は誰だろう。家族に虫の駆除の話などしたら、初めから猛反対されるので、家族の知らない間に害虫の駆除をしなければ。家の中でもやしのように上へ上へと育っている植物もやはり反対にあって放置したままだ。まるで「ジャックと豆の樹」の樹のように階段の上を目指して伸びている。まぁ、これは、けっこう面白く様子を見ているが。

Myphoto_1161_1 またまたサラサドウダン

今日の横浜の天気は気まぐれそのもの。晴天、雷を伴う雨ザーザー、晴天、そして冷たい風。喉の腫れが収まらない。したがって咳も続いている。外に出したままの植物の水遣りはせずにすんだから、雨が降ったのはよかったけど。

是非とも、お礼のお手紙を書きたい人がいるのだけど、このように体調の悪い疲れたときに書いても心がこもらないように思えて先延ばしにしている

Myphoto_1197_1アッツ桜その後。

元気に地を這って増えていくジシバリに励まされる思いがしながらも、もう2ヶ月も続いている咳と喉の痛み(っていうか、口の中全体が舌を含めて腫れている感じ)に悩んでしまって気持ちがまとまらない。今日、ご訪問いただいた方には申し訳なく思う。

今日はお花の写真を楽しんでくださいませ。

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2007年5月14日 (月)

井川博年氏『幸福』を読んだ。

Myphoto_1195 アマリリス。この花を見ていると何故か壁にかけていた時代の電話を思い出します。生まれて間もない頃の記憶です。誰かがそんな形の黒いものを耳にあてて話をしていました。明治生まれかと思われそうだね。

第44回藤村記念暦程賞、第16回丸山豊現代詩賞とダブル授賞した井川博年さんの『幸福』(思潮社)を読んだ。

とてもわかりやすい言葉で、日常のことを散文形式で描かれている。しかも、読む、というよりも読まされてしまうユーモアとペーソスにあふれた詩集だ。何篇かの詩は、読んでいる途中で思わず爆笑してしまう楽しさ。しかしそこに、人間の生きる悲しさがあらわになっている気がして、もの哀しい気持ちにもなる。

あんまり楽しかったので、日頃、詩など興味のない家族に「これ読んでみて」と薦めてみると、やはり同じようにくすくすにやにやしんみり、そして爆笑しながら読んでいた。

いつかこんな詩を書いてみたいなぁ、と思うが、やはり井川さんならではの詩なのだろう。それでいて何回となく読み返してしまいたくなる奥深さ。いい詩集だった。先日ハードカバーの本の購入は控えていると書いた私だが、何度となく書店で開いては我慢し開いては我慢し…という涙ぐましい我慢を重ね、ふと見た値段が2000円。2300円は買いづらいけど2000円はいい、と、訳のわからぬ納得をし購入した詩集である。でも買ってよかった。タイトル通り「幸福」を味わえる詩集だった。

ところで、5月8日付けの金井雄二さんのブログでMY個人詩誌『KO.KO.DAYS』NO. 1 のゲストの栗原洋一さんや私の詩について触れてくださっています。是非、そちらもお読みくださいませ。

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2007年5月11日 (金)

細野豊さんの「赤と黒」

Myphoto_1132 踏まれても踏まれても毎年謙虚に咲いてくれるアッツ桜。

なかなか考えがまとまらずに、いつも日記に終始しがちで反省している。

3月6日発行の「詩人の輪」通信ー「九条の会」アピールする詩人の輪ーに掲載されていた細野豊さんの「赤と黒」という詩がとてもいいと思った。細野さんはJICAにお勤めだった頃、南米に長く在住されていた。

「赤と黒」はボリビアの近代美術館で観た絵画から日本の東京へと思いを馳せ、そして平和への願いを詩にしているが、大声でアピールする、というのではなく自然に内心から湧き出てくる思いを描かれているところが、詩をより高みへといざなっているように思った。

赤と黒

                 -ロルヒオ・バーカの絵の前でー

スクレの近代美術館で

ぼくは彼に会った

彼は絵であった

山であった

赤い色

あれは山肌から

あふれる血

イエス・キリストの胸

槍は斜めに天を指していた

高射砲

光の十字架

そうだった

一九四五年三月のあの夜

どこからも血は流れず

空と都市がただ赤く燃え

翌朝東京は壮大な墨絵であった

樹木 煙突 ビルディング 放送塔 

建っているものはすべて黒く

人々は黒く焦げて

樹のように

横たわっていた

その後ひとりの日本の画家は

黒い絵を描く

すべてがただれた黒色だ

ここボリビアでは

絵から血が流れる

緑の山々から人間の歌が

赤い川となって流れでる

              ロルカ…ロルヒオ・バーカ  ボリビアの画家

                     スクレ…ボリビア共和国の憲法上の首都

地球の裏側のボリビアで絵を見たときに、ふいに日本のある光景が浮かんだ。その広さがとてもよかった。

最後の2行は、少々観念的かなぁ・・・どっかで、そんな労働の歌が歌われていませんでしたっけ?みたいな感想をもった。やっぱり東京でも大量の血は流れたんだろうな…とも思ったのだけど、私たちにとって未知の大地、「南米」から東京に思いを馳せる、というスケールに詩がすいっと掬い挙げられているような気がした。

中口秀樹さんの『一寸』や佐藤勇介さんの『水兵リーベぼくの船』についても後日書かせていただきたいと思っている。

      

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2007年5月10日 (木)

谷内修三さんのブログ

Myphoto_117_2 昨年写したアマリリス。まだデジカメに慣れずに、ピンボケ状態。でも感激的にエロティックで自分では気に入っている。

寝る前の呪文のように、就寝前に色々な方々のブログを読む。

谷内修三さんの『詩はどこにあるのか(谷内修三の読書日記)』もその一つで、毎日詩論を展開されている真摯な姿勢に頭が下がる思いで読ませていただいている。

今日もまた谷内さんのブログを訪問したら『KO,KO,DAYS』の「また来てね」を5月10日付けで取り上げてくださっていて、やったぁ、万歳!!という気分だ。

とても丁寧に分析し論じてくださっている。

最後の方で「長田のことばはことばになる前の躓きをたくさんかかえている。・・・・今躓かなければならないという不思議な不気味さをもっている。正直さをもっている。躓いて、そこから立ち上がる不恰好さと痛さのようなものが、躓いてすり切れた膝の傷のように見え隠れして、思わず立ち止まってしまう。」と評してくださった。

嬉しい。谷内修三さんの『詩はどこにあるのか(谷内修三の読書日記)』まだ訪問されていない方は是非訪問してみてください。とてもいい(・・・と生意気にも言わせていただきますが)ブログです。

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2007年5月 7日 (月)

金井雄二氏個人詩誌『独合点』89号を読む。

Myphoto_1168 再びホウチャクソウです。思いのほか元気に増え続けビックリ。

金井雄二さんの個人詩誌『独合点』89号を読んだ。手作りの雑誌にも関わらず、ここのところ速いペースで発行され続けている。近頃は、1ヶ月か2ヶ月に一度の割で発行され、もうすぐ100号!!を迎えそうな勢いである。

まず、その粘り強い詩誌つくりの姿勢に脱帽する。

金井雄二さんには、MY個人詩誌『KO.KO.DAYS』NO. 1 の製作にあたって大変お世話になった。実際に自分で手作りで製作してみて、手にしたらささっと読めてしまうような拙詩誌でも、こんなに面倒な工程を辿る必要があったのか…と驚いた。版下つくりに始まって、せっせっ、せっせっと紙を折ったりホチキスで留めたり(これがなかなかうまくいかず、成功率5分の1くらいでした!)、まるで内職のような作業を独りで続けるのは、独特の楽しみと出来上がった後の達成感が感じられたが、時間がかなりかかった。初めてで慣れないことが大きな要因であったが。

金井さんは、この作業を89回もやったわけで、とにかく、スポ根並みの根性のある人にちがいない(そーいえば、中・高と野球部だったとか)。

しかし、金井さんの詩の、とても柔らかい優しい言葉に癒されることも多い。

今回は、新詩集作成中ということで、まるで金井さんの心中を表しているような詩であった。また新しい岐路に立って、どういう詩を書こうとしているのかという決意のようなものが現れていた。

89号のエッセイで相模原市のことを、サガミッパラと表現していたところが、ものすごく懐かしかった。サガミハラではなく、私たちが育ったり学校に通ったりしたところは、サガミッパラなのだ。それだけで、共感できた。

金井さんの詩を読むと、時々、考えこんでしまうときがある。詩って、こんなにストレートで無防備でいいのかな、と。私が詩について考えていることと、金井さんの詩の創作への考えは、たぶん対極にあると思う。いい詩って、どんな詩のことを言うのだろう…。金井さんの詩を読むといつも考え込む。

金井さんの詩やエッセイは、HP『独合点』で読めます。

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2007年5月 6日 (日)

『壁』創刊号を読む

Myphoto_1167_1 雑草のジシバリです。田舎から母が大事にしていた野草を持ってきたときにくっ付いてきました。母も大事にしていたはずなので、繁茂させています。

成美歳広氏、武藤雅治氏の『壁』創刊号を読んだ

詩だけでなく批評やエッセイ、短歌が掲載されていて、楽しく読ませていただきました。

平居謙の「『新世代=廃墟』史観を吹っ飛ばせ!-山村由紀『風を刈る人』小論」の中で、80年代を「シリアスな状況に向き合わず葛藤が無かった」と論じている人がいることを読んで驚いた。

80年代といえば、女性詩という言葉が盛んに扱われ女性だけの詩が掲載される『ラ・メール』という雑誌も現れた時代。伊藤比呂美氏を筆頭に多くの女性詩人が世に出て活躍し、『ラ・メール』からも多くの女性詩人が誕生し現在も活躍している。

要は、自我の意識が大きく変貌した時代であったということである。自我が個人の内面へと向かうにつれて、個人の希薄さ、という空白に気がついた時代である。そこからも多くの優れた詩が現れている。

80年代も他の時代に劣らず大きなポイントであったと私には思える。そこから90年代、2000年代と個人が追求されるようになってきた。その証拠に同人詩誌は大人数のものから90年代に入ってから2人誌や個人誌が認められるようになり、そして2000年代に入ってからは、それが当たり前の状況となってきた。

大きなウエーブがあれば必ず揺り戻しがあるのは当然のこと。「シリアスな状況に向き合わない」という表現の方が私には脳天気と思える。

誌面の都合かもしれないが、詩が2段組にされているのは残念だった。

鳴海宥氏武藤雅治氏の短歌にも刺激を受けた。短歌にはあまり詳しくない私だが、武藤雅治氏の「鏡の家」の

ぼくの胸の上のあたりにうっすらと霧のやうに広がるいちまいのガーゼ

が、とても素敵なイメージを受け心に残った。

いつも個人名を挙げさせていただくときに、敬称になやんでいます。お会いしたことのある方にはつい「さん」で書いてしまいますが、いつもそのときの気分で違ってしまいます。ごめんなさい…。あ、それから、次回から個人名をゴシック太字にするのやめようかなぁ・・と思っています。何となくせっかくなので読んでくださった方にアピールしたいという気持ちからだったのですが。やっぱり、何となくやめたほうが…と思い…。ご了承くださいませ。

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2007年5月 5日 (土)

『ぶらんこのり』Vol.3を読む

Myphoto_1155 大好きなクレマチスが今年も綺麗に咲いてくれた。

坂多瑩子さん、坂田燁子さん、中井ひさ子さんによる『ぶらんこのり』Vol. 3 を読んだ。

全体的にとっても洗練された感じの同人詩誌である。カットもとても素敵。

坂多さんの「再会」「廃屋」ともに面白く読んだ。日常に潜む狂気のようなものを、さりげない言葉で表現されていた。特に「廃屋」は狂気プラス悪意が感じられ、不安定に揺れ動く心理がささっといとも簡単なことのように描かれている。そして、最後は「外は/晴れている」としめくくられ、読む方も、安心して着地できるという行運びだ。

この最後の行で、ほっとできるかもしれない。しかし、ほっとさせられなくてもいいから、もっと狂気や悪意を感じてみたい人もいるかもしれない。私はどっちかというと後者。もう少し粘って坂多さん独自の世界をもっと見たい、と感じてしまうが、いかがでしょうか。

廃屋(タイトル)   坂多瑩子

もう 燃やしてしまおう

棚の上には

セルロイドのものさしや

色えんぴつがあった

カップラーメンもあった

ラベルが黄ばんでいるから

賞味期限はとうにすぎているはず

壁によせて

木の棚がぎっしり

薄暗く かび臭く

アリもいない

ゴキブリもいない

春だわ

と思っても

ちっとも楽しくない

新聞紙をまるめると

ひらひらと燃えた

燃えかすが

黒い蝶みたい

鼻がむずむずする

鼻をこする

やぶれた窓の下に

ガラスの破片が

その重なり具合が

何かを

思い出させようとする

燃えればいい

この家に

残っているすべてのガラクタ

外は

晴れている

新聞紙が燃えて、ガラスの破片の重なりが尋常でない心情の発露を思わせる。現実の主人公は、春で鼻がむずむずしながら片付けをしているらしい。「燃えればいい」という激しい感情があって、さぁって、次はどうなるのかな・・・と思っていると、外は晴れている、と肩すかしをくらってしまう。何となく、肝心なところに行く前に、詩の終了ボタンを、そそくさとクリックしてしまった、という印象が残ってしまう感じがして、私には残念に思われる。気持ちよく終わった、と感じる人が多いことを承知であえて言わせていただくことにする。

ガラクタ→晴れ、という移行の仕方は、確かにいい。でも、ガラクタから、もっと内心に潜むガラクタのようなものに踏み込んでもらいたい、と思った。その上で外は晴れていても遅くはない。これは、エッセイの「悲しみもネンキが入ると」に通じているような気がした。「本当の悲しみは・・・しゃべらない」。本当のところを覗きたい読者もきっと多い。

今日は、昨日に引き続き剪定作業。それから、今の家に引っ越してきたときに気張って買ったベランダのキルコダン(北欧製)のテーブルと椅子にチークオイルを塗った。日本の気候、そしてそこから育まれた文化には木の机や椅子を野ざらしにするのは、合わないことをつくづく実感しながら。んったく、木は木だよ、雨にさらされればすぐに腐っちゃうんだよぉ・・・などと、独りぶつぶつ言いいながら。あーあ、気張るんじゃなかった。プラスチックで十分だったと預金通帳の残高(そんなものはない!!)を思い浮かべた。

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2007年5月 4日 (金)

山崎純治さんの第2詩集『完璧な通勤』を読んだ。

Myphoto_1171 サラサドウダンです。またまた下から覗いちゃった!!

山崎純治さんの第二詩集『完璧な通勤』(ミッドナイトプレス社)を読んだ。

山崎さんとは20代からの知り合いだ。有名な大手企業にお勤めし、相模原→山口→中国→相模原・・・と転勤を繰り返しながらも地道に詩を書き続けている。一年に一度くらいの割合で、当時の仲間数人(・・・と言っても、限定5人衆プラス山崎夫人)と町田で飲み会を開く。あの頃は、どっぷり文学青年?文学少女?であった人も今ではすっかりその世界から足を洗い、普通人として生活している人が多いなか、数少ない今も根気よく詩を書いている人だ。一年に一度会う山崎さんの印象は、出世して管理職であるらしい人なので「会社人間」というイメージが強い。

しかし、この『完璧な通勤』の内容は、山崎さんの意外な面が現れていたので驚いた。そして、それぞれの詩の完成度の高さにも感心した。社会人として生きていかねばならない葛藤、抵抗が鮮やかに、そしてあるときは生々しく、詩で表現されていた。ああ、山崎さんて、本当はこういう人だったんだぁ、と改めて知った。知ってよかった。

詩集の中で数回出てくる「薄笑いを浮かべ・・・」という表現。飲み会でも薄笑いを浮かべ飄々としているけど、本当は激しい人だったんですね。

完成度の高い詩が多い中、私が一番気に入った詩を紹介したい。

水の肉(タイトル)

ヨコハマみなとみらい21

コンクリート岸壁に吹き寄せられた

数千匹

廃油の澱んだ波に

ゆらゆら上下する

半透明の水の肉

隙間なくぎゅうぎゅうに詰め込まれ

置を変えることもできず

見たくないのかもしれない

触れたくないのかもしれない

満員の通勤電車から吐き出され

ゆらゆら歩いている

ぶ厚い舌で

ぬめりとした唇をくっきりさせ

いつまでも漂っている

野菜屑やビニール袋や洗剤の泡にまみれ

じりじり照りつける日射

干涸びそうになると

水面やや低く傘をすぼめ

また開き

肉を濡らし

膨らみきった欲望

表面をテラテラさせながら

ときおり裏側の柔らかい部分をさらけ出し

着信音が鳴るたびに

何が何だかわからないまま

歩いていく

人混みに紛れて

ぶよぶよ

顔を晒し

歩いているだけでいい

それだけでいい

ひたひた吹き寄せる波に漂いながら

それだけでいい

異常発生している水母の様子とご自身を重ねて、前述した行から反転するように行が進行しねじれていくところがとても鮮やかで素敵だ。最後は「それだけでいい」と肯定しているところに、逆にシニカルな薄笑いを感じる。あるいは、会社では、人間ではなくモノと化している自分を冷静に受け止めていると思える。読者の胸にぐさっとくる言葉として生きている。

今日は、1メートルを超える程度ではあるが植木と呼べる木の剪定をした。ただ植木バサミで闇雲にチョキチョキと込み合っている枝を摘んだ、という程度だが、思いのほか枝のごみは嵩張ってしまいゴミ袋3袋になった。ラベンダーの花を摘んで束ねて日陰に干した。自動車がすぐそこをゴウゴウと音をたてて通るのが気に入らなかった。ここが、草原の、または森の中の一軒家だったらなあ・・・などと思った。

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2007年5月 2日 (水)

ラベンダー

Myphoto_1149 今年はよく咲いています。

例年になくラベンダーの調子がいい。近くにあるギボウシやフクシアを凌駕する勢いである。園芸の本を見たら、花が満開になる前に剪定を・・・ということだった。今年は、ドライフラワーに挑戦してみようかなと思っている。

昨日『KO.KO.DAYS』を速達で送った詩の師匠の鈴木志郎康さんからメールで感想をいただき、とても感激した。ブログは毎日読ませていただいている。お体の恢復を心よりお祈りしています。33歳のときに、鈴木志郎康さんにお会いできたことで、今、詩を書いている私がいる、と言っても過言ではない。言葉に対するストイックなほどの厳しさを学ばせていただいた。詩を書いて推敲しているときに、どこからか、ここは・・・という先生の声が聞こえてくるような気がするときがある。

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2007年3月18日 (日)

現代詩の会

Neko_3_1 真冬に逆戻りしたような寒風の吹く日だった。

渋谷のいつもの場所で、2か月に一度の現代詩の会があった。

体力を回復させるためにも階段の上り下りなど積極的にしなければと出かけて行った。

久しぶりに半蔵門線から宇田川方面の階段を上ったら、太股の筋肉が悲鳴をあげた。ショック。完全に運動不足である。このくらいの階段は難なく昇降するくらいの脚力が欲しい。

今日の現代詩の会は、川口晴美さん、白鳥信也さん、辻和人さん、水嶋きょうこさん、森ミキエさん、と私の6人だった。互いに、作品を読み、批評し合い、あっというまに時間が過ぎてしまった。作品のレベルの高さは言うまでもないが、互いの的確な読みとアドバイスが、非常に刺激的だ。皆さんの妥協しない作品への取り組みの姿勢にも、いつもながらはっとさせられる。

会の後、喫茶店でも現代の詩のありようについて話がはずみ、注目すべき詩集の情報など聞けてよかった。私ひとり、今ハマっている占いやスピリチャルブームに話を持っていき、皆さんの貴重な時間を無駄にしてしまって申し訳なかったと反省している(汗)。

書くことでも、自分を甘やかしてしまっていることに気付かされ、大切なアドバイスをたくさんしてもらい、いい日だった。

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2007年3月13日 (火)

金井雄二氏個人詩誌『独合点』88号

金井雄二氏個人詩誌『独合点』88号が届いた。表紙の達磨の写真に片目が塗られていないのが、何だか切実な思いにかられる。きっと、素敵な願い事があるのだろう。

今回はゲストを呼ばずに、ご自身の散文詩が載せられている。金井氏の詩で散文詩というのは、少ない。しかし、今までとは、また違う形態を選択し、2行ごとに22連にわたって「顔」という題で書かれている。作者の新たなチャレンジと喜びたい。これからの展開も楽しみだ。

エッセイで、詩について「詩のモチーフはできればさりげないものがいい。素通りしてしまうような事柄がいい。だれでも必要としているものであるにもかかわらず、見過ごされているものを発見するのがいい。発見されたものの中から読み手が自由に発想できるものならなおいい」と書かれている所がとくに心に残った。詩を書く原点が、ここに書かれていると感じた。

その原点から、どこに向かって、どんな形式で書いていくか・・・書き手にとっては、ここが第二の問題となる。

88号まで継続している粘り強い詩誌つくりは賞賛に値する。

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2007年3月10日 (土)

同人詩誌『ひょうたん』31合評会

Photo_34 同人詩誌『ひょうたん』の面々。ご本人たちの

諒解を得て載せさせていただいています。

渋谷で同人詩誌『ひょうたん』31号の合評会があった。体調を崩し気味の私だが、時には、足腰のリハビリのためにも外出した方がいいということで、参加でき、うれしかった。

同人7名が参加し、白熱した議論が3時間にわたってなされた。

一篇の詩作品に対し、色々な角度からの読み方があると気付かされ、自分の読み方とは違う意見をうかがうたびに新鮮な気持ちになった。いつもながら、刺激的で濃密な時間だった。また自分の作品について改めて客観的になれる場でもあった。ベテラン詩人の方々の深い読みと鋭いご意見をうかがうことができ、とても勉強になった。ありがとうございました!!私も、こういう場で、お世辞だけは言いたくないと思い、拙い意見を述べさせていただいたけど、生意気だったかなぁ・・・とか、ストレートに言い過ぎてしまったかなぁ・・・とか、今になって、くよくよ反省し、悩むこともあった。でも、いい汗かいた時間だった。

Photo_35 猫的風呂蓋浴??

なんで、お風呂に入ることがわかるのだろう。猫って、案外賢い。

今日も、ミュウちゃんは、沸いたお風呂の蓋の上で気持ちよさそーに、寝そべっていた。しかし躾けにはよくない。私は、長湯はしないタイプなので、ミュウちゃんが、うとうとし始める頃には上がってしまう。服を着てから、蓋にへばりついたミュウちゃんをはがそうとするが、蓋から離れようとしない。力を入れてミュウちゃんを蓋からはがしお風呂の外に出す。不憫な思いと危険なことはやめさせねばという思いで、胸がちょっと痛む。

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2007年3月 4日 (日)

タイトル 「まなざし」

まなざし

わたしの肌はいまだ黄色く

一族の刻印をうしなうことはない

日 一日と 澄み渡る空を 瞳の隅に映し

口と手と足を亡くした人が白い病室で横臥している

トーヨーの 細長い島の あの山の狭間で

「お か あ さ ぁ - ん。」

                                         (段落が変わります)

一年中暑い大地で わたしは水と格闘する

サイクロンが上陸するたびに

街は水没し 飛行機も洗われる

半年もたてば あなたの島にも

収穫した穀物が飼料となって運ばれるだろう

イネ科 トウモロコシ わたしの肌の色は薄まらない

                                    (段落が変わります)

わたしが はじめて

三つ先の駅に移り住んだとき

「そんなに遠くへ行かないで」 と あなたは泣いた

残されたふたつの瞳を青い空に映し

あなたは きょうも わたしを探している

慈愛に満ちたまなざしで

                                   (段落が変わります)

サイクロンの去った 大空

ヘヴンリー・ブルウの瞳よ

わたしを映せ 映し出せ

十月 わたしの黄色い肌は いつも

濃い影を深める葉の色に近づく

あの山の種族のものである。

                                    1999年神奈川新聞初出

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2007年1月14日 (日)

現代詩の会

Myphoto_555 今日は現代詩の会があった。

電車に乗ったり人混みの中を歩いてみるのも体力作りの一環である。

今は、ちょっと歩くだけで筋肉痛になってしまうので、とにかく機会を利用して体力をつけていかなければならない。巷に蔓延するウィルスを避けるために、マスクをして完全防備で出かけて行った。

14時からと知っていたはずなのに、何故か昨日あたりから勘違いをしていて、てっきり14時半~と頭の中で切り替わってしまっていた。会場に着いたとたんに、あれ、14時からだったのでは・・・と急に正気になった。こういうのを健忘症とかボケとか言うのか。それとも頭の体力まで失われてしまったのか。自分でも驚いた。

今日は北爪満喜さん、川口晴美さん、薦田愛さん、毛利珠江さん、山本洋介さん、森ミキエさん、と私で7人だった。全員が作品を提出していたので1時間ほど延長して5時までやった。とても刺激的な、いい作品ばかりで、熱く、緊迫した時間であった。互いに尊重し合いながら合評できる関係がとてもいい。

帰りの電車で、それとなく私に視線を向ける人がいた。今の時代、帽子にマスクといういでたちは、周囲にそれとなく警戒心を抱かせるものらしい。寒いし、マスクをすると喉が楽だから、やめるつもりはないけど。

電車の中で、高校の修学旅行で東北に行ったとき、前日検診の医者の指導で、マスクをはずさないようにと言われ、どの写真も顔が埋もれるようなマスクをして写っていたことを思い出した。何ヶ月も気管支喘息を患っていたのだった。マスクの効果があって、修学旅行中から、嘘みたいに快方に向かった。マスクと言えどもあなどれない。

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2007年1月 2日 (火)

『gui』78

Myphoto_525

ダンボールハウスで。

朝起きたらすぐにTVをつけて箱根駅伝を観た。

その後詩誌、というよりも総合文芸誌の『gui』78を読んだ。昨年秋に奥成達氏が送ってくださった。いつも綺麗な記念切手を貼ってくださるお気遣いがとてもうれしいし、ありがたいと思う。大勢の同人を抱えていて、詩だけでなく、小説、批評、エッセイ、そしてモダンアートというべきイラストが楽しめる。ながたはるみ氏、岡村昭和氏、濱條智里氏らによる素敵なイラストはA5の紙面では、もったいないなぁと感じることも多いが、分厚い本なので、文字の他に、目だけで楽しめ触発される空間となっている。奥成達氏の「アイ・ガット・リズム」は61回目となり、いつも刺激を受けている。高橋悠次氏のコンサートに一度御伺いしてみたい気持ちになった。

同人住所録の最後には同人のホームページのアドレスが載っており、ようやくPC術?に慣れてきた私も、いろいろお邪魔させていただこうと思う(楽しみ♪)。というか、

遠藤子瓔子氏の「きものであそぼ」はすでに訪問してしまった。

着物には目がない私なので。

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2007年1月 1日 (月)

詩誌『六分儀』

今年もどうぞよろしくお願い申し上げます。2007.1.1.長田典子(おさだのりこ)Myphoto_505_1

Town in full night by Ton Schuten Calendar

2007年一日目の朝はモーツァルトの「アイネクライネナハトムジーク」で迎えた。

午後になって古谷鏡子氏が送ってくださった同人詩誌『六分儀』をじっくり読んだ。小柳玲子氏、鶴岡善久氏、島朝夫氏、林立人氏、夏目典子氏、樋口伸子氏などベテラン詩人による同人詩誌である。

一度お会いしたことのある古谷鏡子氏の「秋の日の」はMyphoto_507 訪れ観た阿修羅像と秋の日のすがすがしい気持ちを重ね合わせ

スパッと断面を開いて見せてくれたような簡潔でいて奥深い詩だ。

他の方々の詩もとてもすばらしく味わい深かった。

また、『六分儀』の詩人たちは絵画について毎回論じており、とても勉強させていただいている。美術評論家の鶴岡善久氏が天一美術館所蔵の岸田劉生の「麗子像」について、小柳玲子氏がテオドール・ジェリコーについて論じている。古谷鏡子氏がイブ・ボヌフォア『ミロ』の翻訳をし、夏目典子氏が「モロッコ、フェズからタンジェ周遊ードラクロワの道とマチスの光ー」というエッセイを書いている。

いつもたくさんの発見と感動をもって読ませていただいている。

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2006年11月27日 (月)

『伏流水通信』

Myphoto_294 この時期になると飾るブリキのお人形。

それほど軽くないのだが、昨年悪戯盛りのミュウちゃんに蹴られ、

実は満身創痍のサンタさん。

横浜詩人会でお世話になっている、うめだけんさくさんから『伏流水通信』が届いた。

隅っこの方で細々とやっている私などに、詩集や詩誌を送ってくださる方には、ただただ感謝の気持ちでいっぱいになる。こんな私を詩人として認めてくださり、大切な本を、高い送料を払って送ってくださるなんて・・・。ポストに詩集や詩誌の入った茶封筒を発見するたびに、手を合わせて拝みたくなる気持ちになる。ほんとです。

『伏流水』では、ベテラン詩人の長島三芳氏の詩が読めて、いつも楽しみだ。今回の詩の中でも古い横浜の情景が織り込まれている。うめだけんさく氏の詩にもやはり古きよき時代のようなことが書かれていて楽しかった。私は、ハマっ子ではないが、子どもの頃からハマで育った人たちの横浜への愛着の深いことに、いつもはっとさせられる。

めったに出かけることはないが、MM21など私は大好きなエリアなのだが、古くから横浜を愛する方々は、皆さん憂えていらっしゃるようだ。近頃は山下公園の方まで地下鉄が伸びて、私としては、すごく便利になってよかったと思っているのだが・・・。(まだ1度しか乗ったことないけど)

ところで、昨晩夜中に起きてトイレに行こうとしたら、単純に足を滑らせ転んだ。ねぼけてはいたものの、とっさに身体を右に捻ったようだが、顔の右側を床にぶつけてしまった。たんこぶや痣を作ったわけでもなく、怪我もしなかったが、人生思いがけないときに思いがけないことが起こるものだと、身をもって感じた次第である(笑)。

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2006年11月25日 (土)

坂多螢子氏詩集『スプーンと塩壺』

Myphoto_287 今朝見たら咲いていた。

文字通り古株のセントポーリア。10年一緒です。

坂田螢子氏詩集『スプーンと塩壺を読んだ。

日常から少しはみ出てしまった心の世界を、著者は見逃さず独特な視線で捉え、詩に表されていて、時に楽しく、時に立ち止まり考えさせられ、時に一緒に不思議な時空をさまよわせていただいた。

「失せもの」では、現在の自分の家族の状況と、見つからない預金通帳の表紙の絵「・・・手を重ね/家族みんなが幸せだった/そんな絵のついている・・・(本文抜粋)・・・」とうまく対比し、それを探しているという展開になっていて、最後に、あっ、と思わせる仕掛けになっていた。

「ヤギ」では、アパートの自分の部屋に入ろうとするが、ヤギが邪魔して入れず焦っている状況を詩に書かれている。ヤギは比喩と捉えず、そのまま読んでそのまま不思議な世界を楽しめばいい、と思わせてくれる詩であった。こういった、焦りってわかるなぁ・・・と読者に共感を与えることと思う。そういえばヤギの瞳はマイナスの形になっている。わたしは、あの目をみるたびに落ち着かない気持ちになる。そう、そんな落ち着かない気持ちを著者は詩で表現されているように思えた。

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2006年11月24日 (金)

禿慶子氏詩集『我が王国から』

禿慶子氏詩集『我が王国から』を読んだ。とても気品のある詩集だった。

緻密に選ばれた言葉で、イメージを手堅く語り表現されていた。

特に凄味を感じたのは「対話」という詩で、詩の主人公が「おじさん」に会い色々と心の対話をするのだが、予感しつつ読み進めていくと「おじさん」は実は蛇であることが最終連で明かされる。最終連のみ抜粋させていただく。

  「 ある朝高い木の枝に

   きらびやかな光の帯が掛かっていた

   背中の縦縞も鱗もなにひとつ損なわれない

   半透明の抜け殻だった

   それが完全な裏返しであることに気付いて

   感動にふるえた

   暗示として受け止めたから

   子供からの脱皮を試みる荒い波間で

   おじさんは

   畏敬する大事な友達だったのだ」

蛇の抜け殻の鮮烈なイメージが伝わってくる。「おじさん」の主人公への語る言葉に惹かれた。「人間の思い込みほど怖いものはないよ・・・・・いちばん傷つくのは思い込みに根差した理屈だ/これに正義が重なるともっと怖い・・・・人々がかたまっての思い込みや/それに権力が加わったり・・・」読んでいてとても共感できた。

集中の多くの詩は、著者の幼い頃の思い出が鮮烈な物語として語られているように感じた。

それぞれテーマはちがうが、「水の花から」「飢えのかたち」「ほおずき」などの美しかったり、残酷だったりするイメージが特に心に残った。「ほおずき」は最後の行が痛々しく、胸に突き刺さった。

Myphoto_280 通路で見かけた。

植えたばかりの鉢植え。

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2006年11月23日 (木)

本多明氏詩集『虹ボートの氷砂糖』

本多明さんの詩集『虹ボートの氷砂糖』を読んだ。

児童文学執筆が本業の方のようで、言葉の運びがとてもスムースで手馴れており、また魅力的だった。

この詩集には色々な人物が登場し主人公をさまざまなファンタジー的世界導いていき、登場人物との出会いや思い出が語られているような感想を抱いた。著者のここに至るまでの、培われてきた深さが時にユーモアと哀愁を込めて表されている。私は「豚と真珠」がすごく好きだと思った。「鯉の行方」「二色の海」「賢治で往復書簡」なども心に残った。

後半になると著者の意識は、固有の哲学的思想に発展していき、私はこちらの方がとても惹かれた。「五月の樹下に」「誕生」が特に好きだと思った。

長編詩が多く144ページもある、とても読み応えのある詩集だった。

Myphoto_283_1

サンタクロースが飛行機に乗っているオーナメント

昨日読み始めた『イビサ』(村上龍著)は感性が合わずに読むのを辞めた。1990年前後のバブル期に書かれたもので、あの特殊な時代だからこそ、大衆に受け入れられた本だったのかも知れない。

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2006年11月20日 (月)

『独合点』87号

今日は歯医者に行った。少し歯茎が傷んでいるとかで薬を塗ってもらった。修理していた歯の治療が終わってほっとした。歯軋りがひどく寝ているときに装着しているマウスピースが、歯の修理によって合わなくなったので、持っていったら、その場で形が合うようにしてくれた。また新たに作り直さねばならないのかと心配していたので、ほっとした。強烈な歯軋りのため、マウスピースをしないと歯が不自然に磨り減ってしまうのである。以前住んでいた場所でも、地元の歯医者さんに、ストレスのためか強烈な歯軋りだと言われた。年を重ねるにつれて、あっちもこっちもガタがきて、少々気分がふさぎこんでしまう。

やっぱり南の島でゆっくり暮らすのが自分には一番合ってるのかな。・・・そんな優雅な日はいつになることやら・・・。

また、今日は金井雄二さんの個人誌『独合点』87号が届いた。

こつこつと地道に続けていらっしゃって、継続は力なり、と脱帽する。

「白桃」は、切羽詰まった苦しい気持ちとエロチックな空想が交錯している重厚な詩だと思った。白桃のイメージと女性の身体のイメージを重ねているようだ。後半にいくにつれてややイメージが掴みづらい気がしたが・・。特に最後2行は誤解を招きそうな2行だと思ったが・・・。どうだろうか。

ゲストの金井裕美子さん「ベッドを噛む」も、エロチックで完成度の高い、いい詩だと思った。男と性行為をしているときに、ふっと子どもの頃の記憶が蘇り、そして現在の位置に立ち返るあたりは、とても見事である。詩の行では何も明らかにはしていないが、そういう情景が浮かんだ。

お二人の詩に、少しだけ共通して不満を持った。思わせぶりに隠すことがいいことだろうか?伝えるべきところは、詩とはいえどもきっちり書くべきではないか・・・ということなんだが。詩を書くときは、いつもこのあたりで誰もが悩んでいる所だと思う。説明になってはいけない。あくまで詩的表現で勝負しなければならないから、詩って、難しい。お二人とも、あと1行だけ、もう少しだけ開いて欲しい、と感じた。

Myphoto_274

小さなオーナメントを買いました。

Myphoto_273

伊東屋のショウウインドウの飾りもクリスマスに向け、バージョンアップされていました。

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2006年11月15日 (水)

詩 羽根

Myphoto_239 Myphoto_240           夕方、

   真っ暗になる前の一瞬の空のカタチ

羽  根 

    

夕刻の 信号待ちの交差点

二対の手が 羽ばたくように交信している

指の軌跡に灯った 柔らかな焔に近づき

わたしは 冷えた頬を そっと 温める

背の高い男をまっすぐに見上げ 彼女は

何度も 人差し指を立て 手首を

もう一方の掌に打ちつけ 音を鳴らす

合間に男とキスを交わしながら

スキナノハ アナタダケ ホントデス

そんな風に言っているのだろうか

眉間にすこし皴を寄せ 手は一途に話す

                                           (1行空き、連が変わります)

今朝も 交差点に続く地下鉄の階段で

いっしんに駆け降りる彼女とすれ違った

凛と張りつめた横顔は わたしの胸を貫き

遠い日 外国の駅で見た

壁画に描かれた痩せた少女を想った

コマ割フィルムのように横に並ぶタイルの中

華奢な手指を前方に伸ばし 連続して走る

青い少女の横顔とそっくり

あの壁画から抜け出してきたのだろうか

                                         (1行空き、連が変わります)

青信号を待ちながら わたしは 思わず

自分の掌を開いたり閉じたりしてみる

コレハ 羽根デス  ドコニデモ  行ケマス

                 神奈川新聞2006年3月5日(日)初出

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2006年11月12日 (日)

『空に咲く』

五十嵐倫子(のりこ)さんの第一詩集『空に咲く』を読んだ。若い女性の心の出発点となるような詩集だと思った。

通勤途中や仕事帰りに感じたことを、とても素直な言葉に表現している。爽やかな読後感を得られた。

働いてお金を稼ぐことって、ほんとに辛くて大変なことだと改めて思ったりする今日このごろ。五十嵐さんは、そんな現実から解き放たれた後の帰り道に月を眺めたり、出勤前のバスの中で見かけた風景などを元に、詩に向かわれている。

五十嵐さんとは、鈴木志郎康先生・川口晴美先生が講師を勤める東急BEのカルチャーセンターの詩の教室でご一緒したことがある。

鈴木志郎康さんが講師のときに通い始めてから早や17年である。この教室からは、多くの詩人が巣立っている。私の場合、途中かなりブランクが空いた時期もあったが、いつまでたっても自立できないでいる。今期はお休みしているが、不安になったり、思うところがあったり、是非アドバイスをしていただきたいと思ったりするたびに、古巣に戻るような気持ちになって、お世話になっている。)

教室で五十嵐さんが「出発」という亡くなられたお母様について触れられた詩を音読されたとき、私は号泣してしまった。実母を3年前に亡くしていてまだ立ち上がれずにいた私にとっては、五十嵐さんの静かに抑えた口調の言葉が悲しみをいっそう際立たせ、一行一行がリアルに胸に迫ってきた。人が詩を読むのを聞いて号泣してしまったのは、そのときが初めてだった。

詩集の中では、母を「エマ」と呼び、自分から突き放した形で客観的に書かれている。だから読者は著者に寄り添って読み進めていかれる。

特に好きだと思った詩は「おかえり」だ。「身を尖らせ」仕事に向かい帰宅するまでの心の動きを短く鋭く表現している。

3部構成となっているこの詩集は、最終の詩「ネーブル」で爽やかに、そして前向きに、空に浮き上がっていく、ネーブルを探して坂を上っていく。おばさんの私としては、月並みな言葉ではあるが、思わず、頑張ってね!と応援したくなった。

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今日の椿。横から写したら薔薇のようにきれいだった。

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名前の分からない赤い花。夏の終わりに380円で買った。いまだに毎日花を咲かせて楽しませてくれる。

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2006年11月 1日 (水)

フットスタンプ団

Dsc00704

写真は、この夏、初めて花を咲かせてくれたアバガンサスの花の現在の姿。

夏に青くて球状の花火のような美しい花が3つ咲いた。すごくうれしくて、花が散った後もずっとそのままにしておいたところ、写真のようにストロー状になり、さらにそのままにしておいたら、今日誤って自分で1本踏み潰してしまった。

慌てて残りの2本を手折り、家の中へ。その辺においておくと、猫のミュウちゃんのおもちゃになってしまう危険性があるので、トイレに避難させた。

アバガンサス様、臭いところでごめんなさい。換気には十分気をつけますので。。。。

この株が家に来て2年がすぎた。初めの夏は花が咲かずに心配していたが、今年は咲いてくれて感動!!来年も咲いてくれますように・・・。来年は美しい青い花をこのブログでお見せできますように・・・。

ところで、今日は、白鳥信也さんから『フットスタンプ』第13号が届いた。毎号充実した紙面で読み応えがあり感心する。

書き手の白鳥信也さんはじめ、池田俊晴さん、遠藤誠さん、小島浩二さん、田辺誠さん、そろって達者な方たちばかりで、緩みなく言葉を発していて緊張感の伝わる刺激的な詩誌である。1年に1度朗読会を開催してらっしゃり、団結力も抜群のフットスタンプ団である。

10月30日に書かせていただいた川口晴美さんの『やわらかな檻』をめぐって座談会をされていて、それぞれの方の深い読みに、なるほど、なるほどと相槌を打ちながら読ませていただいた。それに、今号招待詩人として巻頭に川口さんの新しい詩で、幻想的で、長い時の流れを感じさせてくれる『寝台』が載せてあり、読む方の立場になった心配りがいいなぁ、と思った。

また、「におい」をテーマに、同人がそれぞれエッセイを寄せている。

白鳥さんの各家庭に違う匂いがするという文章に共感した。つい自分も、幼い頃のお泊り会のようなときに、よその家の居間のにおい、布団のにおいに、どうして、ここの家はこういうにおいがするのかなぁ・・・などと布団の中で考えながら眠りに入ったことなどを思い出した。小島さんの、モンスター類について、植物のモンスター化は圧倒的に東洋に多いという考察は、語り始めたら終わらない奥深さを感じた。田辺さんは、鼻の手術をしたということで、詩にも病院での経験をリアルに書かれていて尿管の苦しさは、私も経験があり、よくぞ、詩にしてくれたと思ったが、においの感じ方にも色々あるのだなぁ、と思った。池田さんはジャコメッティ展の感想から言葉へと思索を移行させ、詩を書く現場について言及されている。遠藤さんは夏目漱石の「それから」について後記で触れられている。

ブログを始めて今日で10日目である。

悩むのは文章の長さ。もっと突っ込んで詳しく書きたいなぁ・・・と思うときもあるのだが、あまり長く書くと、最後まで読んでもらえないんじゃないかと心配で、ついつい中途半端な書き方をしてしまっている。

うーん。自分のブログなんだから気にせずにやればいいんだ。と、また独り合点したという次第である。

今日は字の色を黒にしてみた。

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2006年10月30日 (月)

『やわらかい檻』

今日は川口晴美さんの『やわらかい檻』について書きたい。この詩集は5月に書肆山田より発刊され、繰り返し読んでいる。

すでにあちらこちらのメディアで、好評を得ている。

この詩集は母と娘の難しい関係について、書かれている。昔から父と息子の関係についてはよく書かれているが、母と娘の関係については、なかなか書かれない。

息子は父という壁があるらしく、そこの関係が大変らしいが、娘と母の関係は、むしろ複雑である。

ジェンダーだのという難しい問題に触れなければならないのかもしれないが、少なからずとも、その辺でややこしい関係が成立することがある。

ここに登場する女の子は母の愛情としての干渉を「やわらかい檻」と呼ぶ。素敵な言葉だ。まさにやわらかい檻だ、と私も納得する。女の子は母の干渉から逃れる方法として「睡眠」を選ぶ。眠ってしまえば母の小言や指示を聞かなくてもいい。そして見る夢からまた別の物語へと派生していき、わくわくしながら読み進めててしまう。

そのことは「サスペンス、ワイド、いつか」や「小鳥屋」に色濃く表されている。

しかし、この詩集で、とても魅力的なのは、登場する主人公の深い孤独だ。

本の構成も見事である。

はじめの行分け詩「disー」で、序章のようなこと、場面が書かれており、最後のやはり行分け詩「最初からどこにも繋ぎとめられてなんかない」で、自分の現在の存在について「・・・そんなふうに 生きているのだ・・・」と言い、現在を生きている希薄な生のあり方について、鮮明に書かれている。

登場人物の夢と現実の境界のなさ、一篇の詩のはじめと終わりの曖昧さは、現代の個における曖昧さ、希薄さに通じる。

細部にまで緩みなく描かれているホラー小説のような優れたこの詩集は、とても読み応えがあり、何度読み返しても、どこかしら腕からするりと抜け出しまた読み返さねばと思ってしまう。完全に川口さんの掌の上で転がされているかのようだ。

そう。この詩集を読むことは、読者がまさに『やわらかい檻』にからめとられてしまうのである。また、細部にまで、きっちりと筆を緩めずに書く筆力は凄い!の一言である。

川口晴美さんの散文詩を読んで、小説のようだと思う人がいるかもしれないが、川口さんの散文詩は、完全に詩だと言うこともできる。文章の底に川のようなゆらゆら揺らめく心情が流れ、感じることができるからだ。

まだ、読んでいらっしゃらない方は、是非この『やわらかい檻』に閉じ込められ楽しんでいただきたい。

頂き物の洋ナシ

すてきなフォルムに、つい、うっとり。Dsc00695

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2006年10月24日 (火)

秋本番

3日前はあっつーい!と扇風機の前にいた私。

今日外に出たら、ほどよく冷たい風が吹きつけ、秋本番を告げてくれた。

今年いちばんの寒さとか。

この適度な空気の乾燥、そして肌寒さ。うれしいっ!大好きな季節の到来です。

一年中こんな気候だったらいいのに・・・などと思ってしまう。

街はオレンジ色のハロウィーングッズにあふれている。この時期になると英会話教室主催のハロウィーンパーティに参加するためか、母親に手を引かれ着ぐるみを着て仮装した子どもの姿をちらほら見かける。また今年も可愛い仮装姿が見たいなぁ。

クリスマスやハロウィーンなど、宗教に関係なく、楽しいことはさっさと受け入れる日本人の商魂の逞しさとド根性、こだわらなさ、・・・けっこう好きです。欲を言えばインドやネパール、フィリピンなど、アジアのお祭りもどんどん広めていただきたい。既に一部の都市で始まっているニッポン無国籍化(多国籍化?)は近い将来必ずやってくるのだから、商店街の皆様方、がんばってください!!

日本人のこういう面でのこだわらなさは、もともと古代からの自然信仰、八百万の神信仰の血の流れかと思う。このおおらかさは是非とも大切にしていきたいと思う今日この頃である。

本日、現在京都在住の詩人大谷良太さんの第一詩集『薄明行』が届いた。この詩集は今年度の横浜詩人会賞を授賞した。学校や社会に折り合いをつけられない息苦しさ、切羽詰まった感情がみずみずしい言葉で書かれていて引き込まれるように一気に読み共感する。ここに表されている大谷さんご自身の青春の苦悩は、年齢を超えて、ひりひりと胸に迫ってくる。Myphoto_197_1

写真は、私のストレス解消グッズ、バスエッセンス。心身ともに疲れ果てているときに、1粒か2粒お風呂に入れて、しばし香を楽しむ。赤が薔薇で黄色がカモミール。ちなみに近頃はストレスのない平安な日々をすごしている。

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2006年10月23日 (月)

詩  針都(tear drop)

蝉の死骸があった

狭く 仕切られた

草叢の中に

ひっそり

錆びた鉄屑みたいに

崩れて

黒土に染みていたが

羽根だけはもとのままだった

パズルから抜け落ちた破片がひとつ

葉裏で冷やされた風に震えながら

まだ 生きている

尖って 痛い

三角形

丸く蕩けながら歪んでいく太陽

tear drop  苦くて吐き出す

高層ビルの突き刺さる 寒い針の街が

赤々と 溶解しても

君は死なない

ひらひらの

羽根としかいえない三角形は

それでも銀色に輝いているから

飛べ

飛び立つナイフだ

夏の

厚い布を

不可聴の高音を上げながら

白く

引き裂いていく

           『独合点』47号初出

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