福間健二監督『岡山の娘』1月10日(土)より横浜でロードショー!!
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もう2か月くらい前のこと。トルコキキョウを買った。母がとても好きな花だったと妹から聞いた。一月以上遺影の横で綺麗に咲いていた。これまでは、庭に咲く季節の花を一輪摘んで捧げていたが、このことが良いきっかけになって、また新しい花を買って飾っている。この季節は、切り花でも、とても長くもつので嬉しい。
福間健二さんが監督した『岡山の娘』をポレポレ東中野で観た。
映画に中に詩人の北川透さんが出てきたり、福間健二さんの詩や鈴木志郎康さん、三角みず紀さの詩が引用されていた。
上映前に沖島勲監督とのトークの中で、詩集を出すことと同じくらい映画を作ることに情熱をもち、これからは映画と詩集を交互に作っていくことになるかもしれないと語っていたのがとても心に残った。
母を亡くした若い娘が突然一人で生きていかなければならなくなり、自分の生い立ちについて考えたり、母親の生前について思いをめぐらせたりして、何とか現実を突破しようとしている話に思えた。そういう状況のなかで、登場する人たちは皆それぞれの現実を突破しようとしている人物として描かれているように思えた。
映画のはじめの方では、普通の娘さんだった主人公役の女性が、どんどん存在感を与えるようになり、ラストは間違いなく女優さんとしての光を発するようになってきたので、不安定に心が揺れる人々のなかで、彼女の存在そのものが不思議な安定感を与えたように思う。主人公の逞しい成長が、観るものに安定感を与えた、ということにもなるのだろう。
ラストに近いシーンで、主人公が川を見ながら言う詩がとてもリアルで、後でパンフレットを見て、福間健二さんご自身の詩だとわかり、ちょっと驚いた。映画の中では亡き母の書いた詩を娘が思い出している情景だった。いい詩だと思って、家に帰ってから、パンフレットを開いて、読み返した。
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早めに帰宅したつもりが、はっとしたら10時になっていた。
偶然つけていたNHKで、知的障がいのある子を施設から引き取り里親になった女性と引き取られ現在は成人している男性とのドキュメンタリーを放映していた。
家族の愛情とは何かと問うものだった。
男性が「これからでも僕を産んで欲しい」と言っていた言葉が胸に熱く残った。男性は、里親に関する録画映像を好んで見、登場する人が「また生まれ変わったら今度は(今のお母さんに)本当に自分を産んで欲しい」と語る場面や似た場面を、繰り返しリピートし見続ける姿にも感動した。きっと彼の気持ちを代弁しているのだろう。彼はその場面を繰り返し見ることによって、言葉や言葉に纏わる感情を獲得したり確認したりできるのだろう。
たとえ障がいをもって生まれても、自分の居る場所が確かにそこにあると感じることは、その人の個性を生かした社会的な位置を獲得することに繋がる。況やそれは、全ての人にも言えることだ。
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BSハイビジョンでカンヌ映画祭でグランプリを授賞した河瀬監督の『もがりの森』を観た。
山中の森林の風景や茶畑の風景がとっても綺麗だった。死んでしまった家族との向き合いがテーマのようだった。
映画が終わった後、河瀬監督が、ご自身の叔母から自分、そして子どもと、血脈を引き継ぐ…という内容の話をしていた。子どもを産まなかった自分には、ズキンとくる内容だった。今まで、子どもを産まなかったことに負い目を感じたことは一度もなかった。むしろ、私の場合はいなくて正解…と思っていた。
『もがりの森』は、いまいち未消化なので、もう一度観てみたいと思った。
ここからは、映画の内容とは関係ないが、死後の世界も今生の世界と同じように重んじる風土では、血脈を封じる…という生き方は、あまりなじまないのかもしれない。しかし、ま、色々な生き方があっていい。自分が自分らしく生きられればそれでいい…。中学生のとき、卒業文集に書いた言葉だ。ふむ…、なかなか頑固な私である。
頑固ついでに…、仕事場でのおそろいのTシャツは、やっぱり拒否しちゃった。みんなと一緒にしないと、自分で苦しむのでは…と心配したけど、はっきり拒否して、かえってさっぱりした気分。ちなみに、注文しなかったのは私一人だけだとか。いいじゃん、いいじゃん、こんな私って、けっこう好き♪(自画自賛です)
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