ついに10月になってしまいました。今年も2ヶ月で終わってしまいます(汗)。
お久しぶりです。なかなかブログが更新できませんでした。それに時間をかけて書いていたら、いきなり消えてしまった日もあり、凹んでしまってもいたわけで。。。。情けない。。。。。
と、言うわけで、今日は、何故か画像がうまくアップできずに、画像なしで失礼します。
気がついたらもう、あれから1ヶ月以上が過ぎていたのでした。
鈴木志郎康さんのご紹介で鈴木真理子さん主催の「まりボール・まりトーク」に8月30日(土)に参加したのです。
何故、興味を持ったかをまず書きますね。(このごろ日本語さえ不自由になってしまいました)
かれこれ15年くらい前にカウンセリングのワークショップに参加したことがありました。そのとき、5,6人のグループで鉄やビニルなど素材の違うボールを、円陣になり、目を瞑ってリレーのように渡し合うということを経験しました。その後、カウンセリングの先生に、ボールを受け取ったときに、どんな感じがしたのかという感想を求められ、それぞれ言い合いました。
私の場合は、素材に関係なく、初めはとても冷たい感触を受けたそれぞれのボールが、巡る回数が増えるたびに、温い感触になりました。それは、まさに私が初めて人と出会ったときに感じる感触そのものであったことを自覚し、鮮烈な印象として残っていました。
つまり、私は、当時、ものすごく人見知りをする人で(今も、かな?)、緊張感が先行してしまうあまり、初めて出会った人をすぐに受け入れることができずに、人に対して冷たい印象を受けることの方が多くあったのでした。もちろん今はだいぶその傾向は減少してきています。そして、ものすごくスローペースで時間がかかったあげくに、やっと、その人のよさを感じたりその人に心を開けたりするのでした。
それから、やはりこれもだいぶ昔(笑)のことなのですが、英語教授法という授業を受けたときに、ビーチボールを相手に手渡しながら「How are you?」「I'm fine ,thank you」などの会話をするのです。ビーチボールを受け取ることで、相手の言葉を体で受け留めます。また、形として受け取ることができます。それは、渡すときも同様です。しかも会話の繋がりを視覚でも捕らえることができるわけです。
受け渡しをするボールは、不思議な役割をすると感じていました。
そこで、「まりボール・まりトーク」です。鈴木真理子さんは、日本語の先生で、日本語学校で日本語を教え、大学(現在は桜美林大学)では口語表現の授業をしています。
「話が思いつかない」という学生のアイスブレイキングやウオームアップとして、真理子さん考案の「まりボール」を使用するということです。
以下の文章は、真理子さんの「ライティング・ワークショップ 2008年8月までの実践報告」を参考にし、本文を引用させていただきつつ、参加した経験を書かせていただきます。
「まりボール」と命名された32面体のボール(100円ショップで売っているそうです)に自然をテーマにした言葉(春、夏、秋…風…花…、etc)、行動をテーマにした言葉(食、学、…遊…etc)などを、テーマ別に各々の「まりボール」の32面に書かれています。
はじめは、ボールに書かれている言葉とは関係なく、お互いにキャッチボールをしながら渡された相手の言葉からの連想ゲームをします。また、逆に、反対の言葉を言うバージョンもあります。それらの活動をしているうちに、自分の心がほぐれ、一緒にワークショップをしている人たちと打ち解けた感覚を抱くようになりました。
お互いに打ち解けたところで自己紹介をしました。初めてお会いした人たちばかりの中なのに、一足飛びに高い壁を越えてしまったかのように、自分のことを喋ることができました。私にとっては衝撃的な自分とのそして人との出会いでした。
また、グルーピングをしてボールをやりとりします。利き手の親指が当たった面の言葉から連想して発話します。たとえば、親指が「風」の面にあったら、風をキーワードに「今日は風が爽やかだ」などと思いついた文章を言いながら、別の人に渡す…ということを繰り返していくうちに心がほぐれイメージも湧いてくる、という活動です。これは、グループのメンバーを変更しつつ繰り返されます。
私が所属したグループでは不思議と「木」という言葉が多く出ました。(利き手の親指が当たりました。)私は「木が切られて痛い」と言いました。
感想を言い合う場面で、「木が切られて痛い、と聞いて、ドキッとした」という人がいました。それで、私は、何故「木が切られて痛い」のかを話そうと思いました。
話す内容の下書きのような簡単なメモを書き、それに基づいて、私は、「木」について、その朝目撃した出来事の話をしました。(順番がわからなくなりました。もしかしたら、はじめに話したのかも…。真理子さん、ごめんなさい)
それについてグループの人たちから、付箋に感想を書いてもらいました。切られた大木のことで頭が一杯になっていた私の気持ちを、皆さんとても理解してくれ、優しいコメントを書いてくださいました。更に、そのコメントと、コメントをいただいた自分の気持ちに基づいて、以下のような作文を書きました。
「タイトル 木が切られた
自宅近くの森がいよいよ宅地になることになった。昨日、起重機が入っていて「いよいよ」と思っていたが、今日、この「まり・トーク」に来るときに、まさに大木が切り落とされるその瞬間を見てしまった。ギィーッっと木が地面にぶつかる大きな音が出て、生生しい断面が目に入った。胸が痛くなった。現在住んでいる場所も、昔は、その森の延長であったはずだ。複雑な思いにかられる。
小さな森は、通勤時、毎朝、野鳥のいろいろな声にいやされながら、通っていた道の横にある。
木を切る、木で家を作る…こんな身近な存在である木(である)が(のに)、たった一本だけの木が切られる所を見てしまった…立ち会ってしまった…ことがどうして、こんなにも、自分の心に印象として強く残ってしまうのかと思った。」
その後、参加者全員(7人)で、お互いの作文を読み短いコメントを書きました。
私の文章を読んで、どの方も、とても細やかで温かいコメントを書いてくださいました。
そして私は最後の一言感想にこう書きました。
「木が切られることは皆もいやだと(いうことが)わかった。山の神様という言葉には自分も小さい頃に慣れ親しんだので、気持ちが動いた。一つの文章を読むにも、その人のバックグラウンドがわかると思った。植物から(木の様相から)、自分の(私自身の)人生や状況を重ねていたのだろう」
( )は今付けたしました(汗)。
アイスブレーキングそしてウォームアップをすることで、お互いに打ち解けあった雰囲気になったことで、リラックスし、自分の中でも、かなり深部にある普通だったら口にさえしなかったかもしれない心境を、作文に書くことができました。
初めてお会いした方たちなのに、とても親しい感情が湧いて、いっぺんに仲良くなれたような気がしました。
また、参加者と、打ち解けて雑談するうちに、私の出身大学の高等部に通学していた人がいたり、勤め先の関係に出向していた人がいたり、と人はどこかで繋がっていると実感しました。
人とのコミュニケーションが苦手な私なのに、いい汗かいたという爽快感を味わいながら帰路の電車に乗りました。これは、前に書いたように、かなり衝撃的で感動的な感情でした。
ところで、真理子さんは存在感のあるとても素敵な女性です。その日、真理子さんはどんぐりのペンダントをしていました。可愛いペンダントだったので、つい視線がそちらに向いてしまっていました。そういう形のペンダントを初めて見たのです。
蛇足ですが……。帰路の電車の中で、私の前に座っていた女性が、真理子さんのと比べると、ずっとシンプルな形でしたが、どんぐりのペンダントをしていたのです。今日はシンクロの連続だと思って、不思議なことは、やはりあるものなのかな…と、感じました。
☆文字数が多いためか、画面が安定せずに、今日は、ひやひやしながら書きました。不十分な部分があるかもしれませんがお許しくださいませ☆
最近のコメント