2018年2月12日 (月)

2016年8月10日のこと・・NY8日め

今から一年半前のことである。
初めに、今回の旅行で思ったのは、わたしの場合、NYに行くときの飛行機は午後につく便にのる、帰りはお昼頃出発する便にのる、ということが余裕さえあればベストかな。

NYについても時差ボケでふらふらなので、あまり動けませんし、帰国の日も時間が気になって自由に動けません。それだったら、夕方につく便、午後に出発便にすれば楽かな・・と思ったのですが。やっぱりもったいないですよねぇ~~。
やっぱり目いっぱいいたいなぁ。・・というjことですね。年齢と体力との戦いですね。sunImg_1252

NY滞在最終日となった。この日は、頑張って早めに起きて、前夜にほぼ済ませておいたパッキングをさらにしっかりと済ませてから、朝10時頃にはいったんホテルを出た。
あまり早く出すぎても店は開いていないので。朝食はいつもの通り、前夜に買っておいたヨーグルト、フルーツで済ませた。

まず、どうしてもVera Bradlyのバッグを買いたかったのだ。アウトレットに行けばありとあらゆるデザインと模様のVera Bradlyのバッグは選べるが、今回はわざわざ一日かけてアウトレットに行く余裕もその気もなく、街なかのファーマシーで扱っている店があるものの、案外、そういう店は少ないのである。
あらかじめ、NY滞在の長い友人より場所を2か所聞いていたのだが、あるけどもあるけどもその店は見つからなかった。

ホテルをチェックアウトするのは午後と決めていたが、空港までタクシーで40分~50分。時に渋滞に巻き込まれる。バスという方法もあるが空港までのバスの発着場所である42丁目のグランドセンセントラル駅まで大きな荷物を持って地下鉄に乗っていく気力もなし。おばさんは、無理はしたくないので、タクシーにした。もちろん電車は全く考えていない。チェックイン時刻は飛行機の飛び立つ時間より2時間前までと逆算すると、2時頃にはマンハッタンを出発せねばならない。
予想通り、小心者のわたしは、あまり自由には動けなかった。

旅行の日程の時間がきっちり決められていると、早め早めに行動しなければ、遅刻してはまずいという気持ちが先だって、時間が気になってゆったりできないというのがわたしの性分。慣れたNYだから、今回は大丈夫かな、と思いきや、まったくそういうことはなく、お目当ての店がスムーズに見つけられない時点で時間をものすごく無駄にしているように思えて焦りが出てきた。

Vera Bladlyのバッグは、現地で買えばお値段もとても手頃。しかも中にはポケットがいっぱいついていて整理がしやすく、ものすごく使い勝手がいい。布だから軽い。ブルーの半円形のバッグ(小さく見えるのに本も2冊くらいは簡単に入る収納のよさ)と肩からかける日本で言う手提げ袋風のバッグ。どちらも使い込んでいて、汚れも目立つしほころびも出てきた。

このブランドの欠点は、防水加工がしていないこと。手のところがすぐに汚れてしまうこと。
もうひとつ、ななめに掛けるバッグがあったらもう怖いものなしだと考えていたので、それがほしかったのだけど、1時間以上歩き回っても見つからないので、あきらめて、59丁目まで戻ってきた。そこのショッピングセンターでNY最後の食事をとることにした。
最初にきたレストランのいちばん眺めのよい席を確保してサンドイッチ定食を頼んだ。
おなかを満たしたところで、最後の小さなお土産にと、かわいいフランスのグミ屋さんで、宝石みたいに可愛いグニの箱を3個買った。
使っていたバーバリーのお財布は10年以上ものなのですが、小銭入れのところが壊れていたので、いいお財布がほしいと思っていた。
コロンバスサークルのショッピングモールでブランドもののお財布をいろいろ見たけど、お手頃価格でピンとくるものがなくて、最後まで迷って迷って、結局買わなかった。


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あとはコロンバスサークル入口から入ったセントラルパークあたりを散歩した。
うう、時間が気になって仕方がない。

ホテルの部屋に戻り荷物をまとめ、フロントでチェックオウト。この時間にアウトする人はあまりいないのか、並ばずにスムーズにできたし、宿泊料金はプリペイドだったしホテル内での飲食はカクテル一杯しかしてなかったので、支払いもすぐに終わった。

あいかわらず、いらいらして時間が気になって仕方なくホテルのロビーのソファで本でも読んですごそうかという気にもならずに結局早めに空港に向かった。

到着したのは3時間前。こんなに早くチェックインする人はいるのかしらん、と思っていたら、案外いました。

真夏で日本のお盆シーズンにかかるのか空港内はとてもチェックインカウンターにはすでに列ができていました。また出国審査もすごい列。そのため、係りの人に誘導され数列の人は、ファーストクラス専用の入り口に連れていかれました。

ま、そこで、なんとか出国審査を済ませ、いつも、ANAの搭乗口まで割に歩くのに、ANA側のレストラン近くのドアから出たので、ANAの搭乗口のすぐ近くの場所に出ました。

ははぁ。ファーストクラスの方々は、ここからして違うのねと思いつつ、時間があるので、高級ブランド店などひやかしながら、搭乗口まで歩いていこうと思っていたのですが、逆にあてが外れてしまいました。でも、まぁ、逆回りにいろいろ物色しました。


マンハッタンで最後まで買おうかどうしようか迷っていた財布。

マンハッタンよりもバーゲンで10ドル以上安く、90ドルで売ってるお財布を見つけました。もうここでは迷わず買いましたとも。色は綺麗なブルー。
でも、風水的に言うと、ブルーってとってもお金にはいけない色なんですってね。
知らなかった。ゴールドがいいらしい。

あとは、仕事場の人へのチョコレートのお土産を買いました。毎回思うのだけど、お土産って、ぴったり買っていくと必ず、あとで、あ、あの人にも・・と足りなくなったりするのですよね。そこで、ブランドは忘れてしまったのですが、一袋大目に買いました。が、結局、ぎりぎりでしたね。

記憶を掘り起こしながら書いているので、ものすごく長くなってしまってます。

飛行機は予定同り離陸し快適に帰国できました。が、初めてチャレンジした遅めの時間の日本到着。失敗でした。

いつも乗る田園都市線沿線駅行きのリムジンバスは夜の9時30分すぎには出ていませんでした。そこで、仕方なく都内の箱崎エアターミナル行きに乗り、田園都市線各駅停車でとことこ帰ってきたのですが、バスから駅までの乗換の通路が長くて、大きな旅行バッグを下りスロープを運ぶときは、重い荷物が先にスロープを転がっていってしまって、荷物に引っ張られそうになり下手したら前に転ぶのではという場面もあり、やわな乙女にはけっこう怖かったです。

というわけで、自宅到着は12時近くになってしまいました。

次回からは、気をつけねば、です。

やはり、1年半前のこととなると、かなり具体性に欠けてきますね。
すみません。反省。

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2018年2月11日 (日)

わたしが一番ノラだった。

猫話は尽きません。

思い返すと、ミュウちゃんは、NYに行ったら、餌の好みの激しさを発揮し、シチメンチョウ味が混じっているものは全く受け付けませんでした。あちらの餌にはどんなツナ味にもシチメンチョウ味が加わってます。

始めの頃は、日本から送ってもらったりもしてたんですが、そういうわけもいかず、必死で生海老だけの入った高級シュリンプ缶詰だけが食べられたので、それをまとめ買いして、毎日あげていました。2年目の後半になる頃、ドライのツナ味(シチメンチョウ味混み)も、食べられるようになってはきましたが。

で、わたしは、といえば、

はっきり言って、どこに行ってもあまり好き嫌いなく食べられるタイプ。
もちろん、ダメなことはいっぱいあるけど。ミュウちゃんほどじゃない。

NYの部屋は、ベッド、布団、ソファ、食器、鍋類などは備え付けであるのに、日本人留学生専門の賃貸ではないので、かなりリーズナブルな金額で借りていました。しかも公共料金は大家さんが払ってくれていました。

さすがにシーツ、ベッドカバー、枕カバーは買いましたが、基本は、前住人が残していったものは、そのまま活用させていただきました。

ミュウちゃんは、前住人の体臭がわかったのか、2年間、一度もわたしといっしょにベッドで寝ることはありませんでした。ぜったいに。

と、思い出して、

なんだ、ミュウちゃんより、わたしの方がよほど、野生的じゃん!と気が付いた次第です。
ちなみに、ギャルちゃん、ハナちゃんのことを家庭内ノラとか言ってますが、

わたしなんて家庭内外ノラだったsun

なんてお嬢様なミュウちゃん!

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いつ撮ったんだっけ、この写真。今年の初めあたりかな。このころは、まだ頬がふっくらしていた。。。

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猫のミュウちゃんが病気です。

Mew


どうやら腎不全になってしまったかもしれない・・

近頃、なんとなく足がふらついたり、食が細くなり、何をあげてもちょっとしか食べない割には、もっともっととおねだりだけはするのだが、いろいろスープ状のものとか高価な餌をあげてもちょっと食べては、ドライを急につまみ食いしたり・・どうしたもんかと思ってました。

よくよく観察してみると、まず痩せてきたような気がします。頬がなんだかこけてきて・・。
それで、思い切って、動物病院に連れていったところ、老猫がなる典型的な病気を患っているようだとわかりました。
来週、血液検査をします。

一昨日、昨日と、点滴を打ってもらったところ、なんだか、さわやかな顔つきになりました。
寝ているときに、人間かと思われるような鼾をかくこともなくなりました。鼾問題は他の病気もある可能性があるのですが、点滴により体力回復とともに、そちらも少し改善されたのかもしれません。久しぶりに、タタタタっと軽やかに走り、ソファに一気に飛び乗るミュウちゃんを見て、ああ、病気だったんだ、年齢のせいというわけじゃなかったんだ・・と深く反省。

腎臓病専用のフードを与えたら、少し食餌が進むようになりました。

長生きしてくれ、ミュウちゃん!!

我が家はミュウちゃんのほかに、保護したいまだにノラ率50%のギャルちゃんがいます。さらに、ノラ率90%以上のハナちゃんもいます。ギャルちゃんはハナちゃんが怖くてハナちゃんがいるときはトイレもできず、避難したベッドの下にうんちもおしっこもしてしまうので、ベッドルームにギャルちゃん専用のトイレを置いて、ベッドルームはギャルちゃん専用のテリトリーになってます。ときどきハナちゃんが体当たりして乱入してきますが、わたしの気配を感じると、逃げていきます。

さて、ミュウちゃんは、生後3週間で我が家に保護された都合上、猫関係をもつことができず、他の仔の姿を見るのも嫌な様子で、結局、今は、1階と、わたしの書斎をテリトリーにしています。かわいそうなことに、ギャルちゃんがベッドルームにいるので、わたしといっしょに寝ることができません。

ハナちゃんは家庭内完全ノラ状態なのですが、実はいちばん自由に行動しています。つまり、わたしのいない場所、いない場所と動き回っているので、我が家のすべてが行動範囲ですtyphoonま、近頃、わたしの気配を感じて逃げるにしても、やや余裕のある態度を見せるようにはなってはきてますが・・。

そんなわけで、我が家にはギャルちゃん専用トイレのほかにトイレが3つあります。
(ぜんぶで4個です)
そのなかの一つが脱衣所に置いてあり、これは一階を主なテリトリーとするミュウちゃんのトイレという設定です。が、様子を見ているとうんちも尿もすごく多くて、てっきり、ハナちゃんも、夜中はここでやっているのかと思いこんでいたし、もしかしたら、今もそうなのかもしれないのだけど。
とにかく、ここのトイレの尿の量がものすごく、ありえない、すぐに砂が尿で全面的に固まってしまうくらいなのです。
でも、わたしの思い込みで、こんなもんかと思ってたわけです。ミュウちゃんは、お水が大好きなのかと思ってもいて。

ところが、それは、腎臓病の影響のようなのです。

家庭内ノラ率90%以上のハナちゃんのトイレ事情は正確には掴んでませんが。(さっそく、追跡調査をせねばならない状況です)

一緒にアメリカにも行き、わたしにとっては途方もなく煩雑な手続きをしてようやっと日本に一緒に帰国したミュウちゃん。まだまだ元気でいてほしいです。
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ギャルちゃん。

下はようやく撮影に成功したハナちゃん。わたしが夜、2階に寝ている間は、階下に降りで過ごしているようです。朝はここで日向ぼっこ。

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ハナちゃんの顔撮影は4年間で初めて!
ゆっくりゆっくりハナちゃんのペースで暮らしてくれればいいのですけどね。

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2018年1月22日 (月)

石内都「肌理と写真」(GRAIN AND IMAGE)展に行った。

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横浜美術館で開催されている石内都 「肌理と写真」展(3月4日まで)にようやく行くことができた。

ショップでさんざん迷ったあげく、カタログを買うのをあきらめてしまったので、以下に書くことは、記憶だけを頼りにしている。また、この展覧会を見るまで、わたしはNYのMOMAで彼女の作品を見たことがあるだけで、他にはなにひとつ知らない形でこの文章を書き始めている。もう一度行けたら行ってカタログを入手すべきだと痛感しているし、何か書こうというのなら、数冊でも彼女の写真集や文章に触れたあとにするべきだったとも思うが、今、感じている感動をすぐに書きとめておきたいという高揚した気分になって、とにかく、ブログに記録として残しておきたいと考えた。

「横浜」と題された部屋では、一面塗料の剥げかかった天井、壁、火災の後であろう焼け焦げた部屋…などの写真が並ぶ部屋に初めに入った。美しくない。むしろ崩れ落ち近い将来失われるであろう光景を執拗にカメラで追っているように思えた。それらの光景を慈しむわけではない視線、むしろ崩壊しつつある光景を突き放し冷静に見つめている目を感じた。

石内都は群馬県に生まれ横須賀で育っている。そこと何か関係があるのだろうか。のどかな山間部から突然、異世界ともいえる海沿いの軍艦の停泊するヨコスカに移住した石内は米兵や海上自衛隊?の日本人がいわゆる水平さんの恰好で街を闊歩する姿を見て、かなり圧倒されたのではないだろうか。塗料がはげかけた天井や壁の醜い様子に自分の何を見出したのだろう、あるいは共感したのだろう。失われつつあるものを執拗に撮るという視線に石内都の原点があると思われる。

次は、大正から昭和初期にかけて女性たちが普段着の着物として着用した絹の生地「銘仙」をテーマにした「絹の夢」のコーナー。やはり誰かが着てかなり傷んだもの、あるいは、古くなった銘仙をほどいてさらにパッチワークのように継ぎはぎしながら作られた着物など、やはりここでも、未使用のもの、真新しいものには視線が向かない。さんざん着用されそして今では持ち主のなくなった絹たちは、それでも、夢を残滓のようにして、ひっそりと息づいているのである。

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「絹の夢」の一角。この部屋のみ写真撮影が許されていた。

石内都は人間に対しても同様な視線を向ける。目をそむけたくなるような火傷の跡や手術痕、細かい皺、黒い斑点の浮いた老いた肌、などに焦点をあてている。これらの作品は、初めは見てはいけないものを見てしまったような気がして瞬間的に目を背けるが、頭の中で作品として転換し、もう一度正面から見ようと決意させる。しかし被写体は圧倒的な存在として見るものに迫る。火傷は火傷として、傷は傷として、皺、黒い斑点は、皺として黒い斑点として、そしてそれらはぬくもりのある人体だと感じさせられるというエネルギーを発していた。

そこには「不知火」とタイトルのつけられた酷く不自然にゆがんだ手の写真もあった。初期の作品から、石内都は社会の不条理を告発しようという姿勢は当然のようにあったと感じられる。しかし、作品をそれだけで終わらせていない凄みを感じた。

いちばん驚いたのは、「遺されたもの」をテーマにした部屋に展示されていた「ひろしま」シリーズだ。

実はわたしはいまだに広島には行けないのだ。その膨大な膨大過ぎる悲惨さを正視できずにいるのだ。

だからこの写真群を見るの前は、少々憂鬱だった。

しかし、実際に作品を見た印象は180度違った。

原爆を被弾して焼け焦げたブラウスやワンピース……70年以上前の若い女性たちが着ていたそれらは、現在と変わらず、現在それらを身に着けていても何の違和感も感じないほど、とても可愛くておしゃれで、ファッショナブルであったことに驚いた。そして、血液が付着したり無残に破れたそれらは、可愛い柄やデザインのブラウスやワンピースのように、可憐な少女や女性たちが着ていたのだと感じさせる。彼女らのはつらつとした若い肌、息遣い、生命、をむしろ感じさせるのだ。生命はあまりにも惨いやり方で失われてしまったが、彼女らは、これらの衣服のなかで、今なお生きていると思わせるのである。悲惨なことを悲惨だとストレートにとらえるのではなく、奥深い「存在とは何か」「そこに希望はあるか」と問いかけている…そう思った。

メキシコの画家、フリーダ・カーロの遺品の写真も、そうした石内都の問いかけが大きく反映されているように思えた。フリーダ・カーロは、1980年代にNYで彼女の小さな展覧会を見たときから大好きだと思っている画家だ。小児麻痺を患っていた上、交通事故で大けがをしたことで、常にコルセットをしながら絵を描き続けていた女性だ。わたし自身も幼い頃にぺルテスという股関節が壊死し変形する難病を患い腰から下に石膏と皮と鉄の継ぎ目のついたごついギブスを小学校2年生までしていた経験があり、成長した後は後遺症に悩まされ続けていた(いる)ので、彼女の存在に自分を重ねて励まされていた。

彼女の大きさの違うリボンのついた可愛い靴、真っ赤な派手なブーツ、カラフルなメキシコの民族衣装…。いちばん驚いたのは、フリーダが身に着けていたギブス(コルセット)の写真だ。わたしが知っている写真は、白い石膏の?上にフリーダがカラフルに絵を描いたコルセットを身に着けベッドで微笑む写真である。しかし、ここで写されているのは、まったく違ったものだった。その仕掛けが明かされるような写真だった。わたしがつけていたギブスと同様、白い石膏と鉄のつなぎ目で作られている。しかし、フリーダのつけていたコルセットのつくりは、たとえ、それによって日ごろの痛みから救われたのだとしても、あまりにも不自由を強いるものあったろうし、また、肌と擦れて別の痛みを生じさせたものだろうとわかった。

「ひろしま」のときとは違って、石内都が「フリーダ・カーロとは何者だったのか?」と問いかけているように感じた。

やや速足で鑑賞した写真展だったのはもったいなかった。(たぶん、もう一度行くと思う)


今度はゆっくりと時間をかけて鑑賞したい。カタログはどうしても買いたい。


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入口付近に部分的に掲示されている作品のポスター化したもの。

着物を着ていくと100円割引というので、頑張って着ていった。そのときのコーディネートはこんなでしたhappy01 半襟は、絞りの地に三日月とウサギの刺繍が入ってピンクとオレンジの中間色のような色でした。今風の帯と遊び気分の帯締め、暖色の帯揚げに紺の結城紬ですっきりまとまったbleah

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ここのところ、便利さに惹かれてずっとスマホで写真を撮っているけど、遠近ともによくない。デジカメでいいから、もう少し丁寧に写真を撮りたくなった。

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2018年1月14日 (日)

隣の家のトイちゃん。

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隣の家のトイちゃんです。

我が家のあたりが主なテリトリーになっているらしく、毎日やってきます。
もともとこの仔は、我が家のウッドデッキの下で生まれた第一号です。夫が可愛がっていたらとても懐き、どうしようかな~~と思っていたころ、隣家の子どもに見つけていただき、無事保護されました。めでたし、めでたし・・。

その後、ママ猫ママの捕獲にも成功しママも避妊手術を受けさせました。

虚勢手術も受け、遠出もしないようですが、どういうわけか、我が家には毎日やってきます。
隣家と我が家の家周りで日向ぼっこを楽しんでいる様子です。

にゃん権を重んじる夫は、この仔を見るとつい可愛さのあまり、餌を与えたくなるらしく、(わたしはいつも注意してるのですが)窓の外に少しだけ餌を置いています。

たくさんは食べず、一応テリトリー確認、なのでしょうか。少しだけ口を付けて去るのが毎日のことになっていますが、よそ様の猫様であるので、無視して餌を置いておかないと、夜中でも家のインタフォンを鳴らして、要求するのです。

始めは夜中に何度も鳴らすので、通りがかりの酔っ払いのいたずらかと思っていたら、なんと、この仔の仕業でした。

あまりのすばらしい芸にほだされてしまい、インタフォンがなると、つい、「はいは~~い、トイちゃんですね~~♪」と返事をします。すると、インターフォンの映像に、トイちゃんの耳や口がちらちらと写ります。
そして、その賢さについついほだされて、わたしも餌を与えてしまっているのです。

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2018年1月13日 (土)

横浜詩人会通信にエッセイを書きました。

今週発行された横浜詩人会通信にエッセイを寄せさせていただきました。
毎月一回、代々木上原で開催される「ユアンドアイの会」での鈴木志郎康さんの発言に触発されて書きました。

以下に引用させていただきます。

            ☆       ☆      ☆      ☆

 

日本語を客観視する 長田典子      

 

 日本語を外国語のように捉え直して詩を書きたい…それが今のわたしのテーマだ。

 

 今年、日本生まれの英国人作家カズオ・イシグロ氏がノーベル文学賞を受賞した。彼は六歳で家族と英国に渡り、当時は日本人学校がなかったため現地の学校に通わざるをえなかった関係上、家族が日本人でありながら日本語を捨てることになった。そのことは彼に日本、そして日本語を言語全体を、客観視する意識を与えることになったのではないかと思う。彼がどのように英語を獲得し日本語から遠ざかっていったのかはとても興味深い。その過程のなかで彼独特の言語観が養われたのだろう。

 

ハヤカワ文庫『わたしを離さないで』の翻訳者、柴田元幸氏の解説によると、『日の名残り』で一九八九年に英国のブッカー賞受賞の際、「作家というのはいろいろな習慣を身に着けてしまうわけです。特にその書き方を、世間から称賛された場合はなおさらです。でも、これが間違いのもとになることも多いんです…何年も前には正しかった声に作家が固執してしまう。でも、それはもはや正しい声ではないのです」とインタビューに答えたとのこと。

 

 つまり、前回と同じ書き方はしない、前回と同じ書き方をしても意味がない…ということだ。ここに大きな共感を覚えた。詩も同じことが言えると思った。一冊ごとに詩集を纏めるたびに、出来上がったばかりの詩集を見るのはもううんざりだという気持ちになる。作品として世に問うという行為をした瞬間に、書いた方はもう次のステージに向かってしまうというわけだ。気持ちだけでなく書く行為そのものも、そうでありたいと願う。

 

カズオ・イシグロ氏の存在から、さらに思ったことがある。

 

 わたしたち日本人は当然ながら日本語で思考し日本語で詩を書いている。だが、日本語を客観視しつつ日本語で書いているだろうか。だからと言って過去から現在において盛んにおこなわれ流行しているような文体における関節外しはすでに古い。それでは、まさに「現代詩」だ。

 

 帰国してからすでに五年近くなるが、ニューヨークに語学留学をしていた二年目の一年間は、週に一度程度ニューヨーク大学の夜に開かれる社会人対象の詩作講座に通った。わたしは「現代詩」を直訳して「Modern Poetry」を書いていると自己紹介で言ったがどうも通じていない様子で、講義を聞いているうちに日本で「現代詩」と言われている言葉に相応しいのは「Contemporary Poetry」「現在詩」だと知り、いい表現だと思った。英語で詩を書いた経験は苦しくもあり楽しい経験だった。初めは頭に浮かぶ日本語を英語に訳すのに精一杯だったが次第に初めから英語で書くようになった。しかし今度はそれを日本語にしようとすると自分で書いた詩なのに難儀してしまうという妙な経験をした。

 しかし日本語と英語の間で戸惑い、圧倒的な言葉の壁を幼児のように見上げて茫然とするという経験は、詩人としても大きな肥やしになったと思う。できたら日本語と英語との往復で感じたこと、初めて経験した留学生の間に生じた習慣や宗教の違いによる戸惑いや軋轢なども体に取り込んだ形で、新しい詩が書けたらと願っている。
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2016年10月 9日 (日)

塩田千春展に行った。

8月の帰国日の日記を書いていない・・帰国したらもう日本の生活が翌日から始まってしまって後ろを振り返っている余裕がなかったのである。でも、必ず書きますので、お楽しみに。いろいろ実はあったんです。

                      ☆  ☆  ☆  ☆

ところで、ここのところ、急にアートの展覧会に狂おしいほど行きたい気分に胸がしめつけられ、のたうちまわるほどなのである。仕事もあるので、週に1回ほどの展覧会通いになっている。

昨日、横浜のKAATに塩田千春展を見に行った。塩田千春さんの作品には以前から、ものすごく興味をもっていて、今回こそは見逃せないと思っていた。先先週は、サントリー美術館の「鈴木其一展」に、先週は、世田谷美術館の志村ふくみ展に行った、というのは、自宅からだと俄然、東京方面のほうが行きやすく、横浜の奥地となると、かなり行くのに勇気がいるのである。

しかし、会期ぎりぎりになってしまったが行ってよかった!

大いなる刺激を受けた。ここのところ、詩を書けずに悶々とする日々が続いていたのだが、さまざまがイメージが胸に広がった。

鍵、ドア、赤い糸、と一見ステロタイプな印象なのだが、赤いウールの糸が執拗に繋がれ交差されていく作家の執念、その思い(何もないかもしれない無心の想い)が、きしきしと胸に響き、それは、波のようでもあり、悲鳴のようでもあり・・・とてつもない「無心」を感じたのだ。

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いろいろ論じるのはやめて、詩を書きたくなった。

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2016年8月10日 (水)

NY8日目は帰国です。

自宅に帰ってから、この日のことは後日書きますので、お楽しみに!!

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8月9日 NY 7日目

いよいよ、明日の夕方JFK空港を飛び立ちます。
にもかかわらず、朝??気が付いたら午後の2時を回ってましたthunderOMGwobbly

部屋で昨日買っておいたパンと果物とスタバのコーヒーで済ませ、結局午後3時半頃にホテルをでました。といっても、NYの午後は強烈に明るくて暑いです。日本ほど湿気が高くなくても、直射日光のあたる路上や地下鉄のホームは蒸し暑くて。、背中にじっとり汗をかきます。

日本では、手ぬぐいを2本、ハンカチを一枚用意して、汗をぬぐわなければならないわたしですが(子供のころから、ものすごく新陳代謝がよく汗が噴き出てきます)ここでは、そういうことはありません。トイレに入っても、手を乾燥させる設備やペーパーがあるので、手ぬぐいを使う機会はなく、来たその日から同じ手ぬぐい一枚をバッグに入れたままになってますヽ(´▽`)/

写真はコロンバスサークルにあるアメリカ大陸の発見者コロンブスのモニュメントです。

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今日まで、5番街を歩いていなかったのを思い出して、5番街まで歩いていきました。
途中、ギャラリーがあったので、ふらりと立ち寄ると、ピカソ、シャガールなどのリトグラフ(直筆サイン入り)を扱っていて、初め桁を見間違えて、あれ?と思ってたら、やっぱり100万単位でした。350万とか、150万とか・・でも、日本に比べてお安くありませんか?

ああ、わたしがトランプみたいに大金持ちだったら・・・と、さきほど、前を通ったトランプのホテルが頭に浮かびましたが、すぐに打消し、時間がないので、先を急ぎました。

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NYから帰る2013年1月頃はまだそれほど浸透してなかった自転車を貸す動きもずいぶん板についてきて、あちこちで、貸し自転車屋さんが目立ちます。いいことですね。

それにしても、なんといっても5番街の老舗は、閉店時間が早いんです。かわなくても、ティファニー(有名な宝石屋ですね)、サックスフィフスアベニュー(高級デパート)、アンソロポロジー(お気に入りの可愛いお洋服・・ちょいと高め・・と日用雑貨のお店)、アン・フォンテーヌ(フランスの高級ブラウス店)などは、どうしても歩かないと気が済まないわたしです。

時間と戦いながら、それらのお店を巡回しましたhappy01
前にアンソロポロジーで買ったニットワンピースは、日本に帰ってきても、み~~んな褒めてくれたのです。そして、また、運命の出会いがありましたtyphoon

しかし、これは、ぐっとこらえました。もう、どれもこれも可愛くてみんな着たい!!んです。

時間が限られているといえば、セントポール教会もたぶんすぐに閉まってしまうような気がしました。お友達にお祈りしてくると約束したし、自分も祈りたかったので、急いで行きました。

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ちょっと曲がっちゃいましたが美しい教会です。ステンドグラスも素晴らしいです。

ここで、友達のご家族のためと自分の家族や友達のために蝋燭を2本捧げました。

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ひざまずき、胸の前で十字を切って心から祈りました。
こどものとき、実はカソリックの洗礼を受けていて、・・記憶にないのですが、教会に入るとき、パンを神父さまからいただき食べた・・というのは、やはり洗礼も受けていたのでしょう・・実家は、どっちかといえば日本的な信仰心に篤い家だったのですが、通っていた幼稚園がカソリック教会でしたので、毎朝毎昼毎晩、ひざまずいてお祈りをささげていました。

体の奥底に当時のことがしみ込んでいるのでしょうか。。。
カソリック教会に行き椅子に座ると、なぜだか、体の奥底から泣きたくなるような心境になるのです。いつも不思議に思いますが、理屈ぬきに、湧き上がるような気持ちを感じます。

その後、ロックフェラーセンターにあるスイスの美味しいのだけど、ありえないくらい高いチョコレート屋さんで、2粒チョコを買い、ベンチに座って食べました。

もう6時を回っていました。

おなかがめちゃくちゃすいてきたので、チェルシーマーケットに行ってボイルされたロブスターを丸ごと食ってやろう!という気になりました。

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ビジネス街の50丁目のプラットホームは、スマホを見てる人でいっぱいでした。日本と同じですね。ここまでスマホをみてる人ばかりいるのを見たのはNYでは初めてのことです。

しか~~し!!地下鉄の中では、もう頭のなかはロブスター一色です。

疲れもなんのそので、チェルシーマーケットを目指しました。(けっこう歩くんですがね)

しか~~し!!!!チェルシーマーケットの入り口でアンソロポロジーの看板をみたとたん(そうなんですよー、ここにもあるんですよ)、頭の中で、何かがぷつっと切れるのがわかりましたhappy02
はい、洋服って、なんでこんなに好きなんだろう、とおもうほど、こだわりを持っているわたし。アンソロポロジーは、まったくもって、わたしの好みそのものなのです。

結果、わたしにとっては、爆買いしました。青いバラの刺繍が前にも後ろにも施されているジーンズがめちゃめちゃほしかったのですが、サイズが大きくて、あきらめました(いや、まだまったくあきらめられてません。あんなにエレガントなジーンズをわたしはかつてみたことがない!買ってサイズを直そうか・・・)とも思ったのですが、すでにJ CREWでジーンズを買ったばかりだったので、涙をのみました。

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(この時計のある場所、好きだな~~。)

そして、そして、一直線にロブスター丸ごとボイルしてくれる店へと向かいました。

OH、MY GOD!!
時間が遅くてすでに、売り切れ、店もクローズされていました。店の前で

オーマイガァ~~~~~~~!!!!!!と叫んでいたのは、わたしです。crying

隣のロブスターロール(サンドイッチ風で中にロブスターがマヨネーズやスパイスなどで味付けされているもの。くやしいことに、こんなものが高くてあたまにきながら)をビールとともに買いました。

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たしかに、あふれるほどのロブスター。でも、わたしが食べたかったのとはと違うの
(。>0<。)贅沢かな。いや、3年半ぶりなんだもん、食べたかった!!

ついでに、別の店で生牡蠣を、その場で選んでさばいてくれるので、3個買って食べました。牡蠣は、しみじみ美味しかったです~~~。

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注文した牡蠣を二人の人が割ってくれています。

3種類違う牡蠣を頼みました。

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美味しかった~~~。ここでようやく満足できました。

次は、チェルシーマーケットの東がわの突き当りにあるジェラート屋さんで、しっかりデザートたべました。

やはり、チェルシーマーケットもずいぶん変わっていて、前からあるお店もありましたが、さらに、ずいぶんお店が増えていて、以前はただの通路だったところが、アーティストプレイス?だったかな?可愛い天然石のアクセサリー屋さんはじめ、手作りの面白いお店がたくさん出店していました。いろいろ見ているうちに9時近くになり、どんどん閉店になってきたので、ふたたびマーケットのもとのとおりに戻りました。

以前はトイレが少なく、長蛇の列だったのですが、トイレがしっかり整って、安心できるようになりました。

9時半頃に地下鉄に乗って、ホテルに向かいました。

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2016年8月 9日 (火)

8月8日 NY 6日目

ああ、やはり、実質、中6日の滞在はかなり短い(;-;)

今、TVをつけながら、これを書いているのですが、とりあえず、大統領選、クリントンの支持が伸びたとのことで、最悪の事態は避けそうな雰囲気になりましたね。正直、他国のこととはいえ、ほっとしています。

今日は、1年8か月、通学したニューヨーク大学付属語学学校の先生に会いに行きました。
先週の金曜日に受付のドアマンが夏のセメスターはすでに終わってるといってたのを信じていたのですが、今日、行ってみたら、実は今週まで夏のセメスターはあるとのことです。

今日の午前中はラストエキザムで、午後はふつうに授業があるとのことで、お昼休み前が始まる時間に行ったら先生たちは、バタバタ動き回っていました。

楽しかったコンテンポラリーアートのジュディス先生、午前の文法のリン先生(この方は、YOSHIKOの個人レッスンをした人で、、めちゃめちゃ文法の教え方がうまいです!)、それから、とてもまじめに、教えてくれ、いつもやさしく接してくれた若いメーガン先生にも会えました。
どの先生も、あ、NORIKO!!とわたしを覚えていてくれて、心から感動してしまいました。

この学校に入ってから初めに午後のクラスで教わり、次のレベルでも、午前の総合的な英語学習と、午後のクリエイティブ・ライティングを教わったマーク先生が、月曜日なら、いらしているというので、メールを送ってアポをとり、デリカテッセンで一緒にランチができました。

マーク先生はハードスケジュールの中で、2学期間にわたり、クラスの文集を編んでくださり、大変熱心に指導してくださいました。クリエイティブライティングの授業では、書いたものをチェックしてもらったあとは、必ず読んで発表する時間があるので、マーク先生に読んで音声を録音してもらい、送ってもらっていました。それを、聞きながら、数え切れないくらい練習して授業で発表したのでした。

ヘブライ語のCD音楽の話が出てきた時も、興味あると言ったらすぐにCDを焼いてくださいました。本当にお世話になった先生です。

とても忙しいはずなのに、一緒のランチを快諾してくれて、心から感謝!!です。

その後、学校のあるウルワースビルの近くのワールドトレードセンターに行きました。ツインタワーの一つは昨年に完成していたので、さっそく、展望台に上りました。留学中は、少しずつ高く高く建設されていくタワーをよく見上げ、いつ出来上がるのかな~~と思っていたものでした。メモリアルパークが完成したときも、夜の特別授業で出かけました。入場する前にズッカーリパーク・・・日本ではたぶん、ゾコッティパークと言われていたようですが、わたしは、音から入ってきたので、どうしても、スッカーリパークなのです・・・当時プロテスターたちが99%を主張し、デモはじめ活動の拠点となった公園で、インタビューをするように言われ、わたしは、何か聞いて、まくしたてられるのが恐ろしくて、何も話しかけることができなかった思い出があります。

夜のメモリアルパークはライトアップされて哀しく美しく、静かに祈ろうという気持ちが自然に湧き上がってくる場所でした。

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新しくできたタワーからの眺望です。360度の眺望が望めます。

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メモリアルパークです。ツインタワーの跡地がこのように慰霊の場所になっています。当時は周囲に囲いが施され、中に入るのに、空港並みのセキュリティーでした。今は、とても開放的になっていたので、驚きました。夜はライトアップされて、さらに厳かな気持ちになります。

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ワールドトレードセンターから道を隔てて川沿いにある施設なのですが、名前を忘れてしまいました。ここは前もありましたが、この広場の雰囲気がめちゃくちゃ好きです。

この後、18丁目の6アベニューにあるベッドバスビヨンドに行き、日本には売っていない安い椅子カバーを買いました。その後、思いついて、ユニオンスクエア近くのPETCOという大型ペットグッズの店に行き、CATNIP(またたび)を猫たちのお土産に買いました。

ミュウ猫姫は完璧に爪とぎ器を使えるのですが、他のハナちゃん、ギャルちゃんは、ところ構わず爪をとぎまくるので、我が家のソファ、カーテン、壁の角はじめ、ことごとく被害にあってます。そこで、日本にはこれほど大量には売っていない、またたびを買い、爪とぎのしつけに一役かってもらおうというわけ。ミュウちゃんがこっちにきたときに、買ってつかったら、失敗なく覚えました。キョーレツ!!ですね。

その後、グランドセントラルで、最後3か月通ったマンハッタンランゲージという学校で会った、ウズベキスタン出身の女子と待ち合わせをして、日本料理店に行きました。

とても人柄のよい大変美しい女の子で今は大学で看護学を学んでいます。

ウズベキスタンとニューヨークのマグネットをプレゼントしてくれました。

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感動しました、これはわたしのお宝になるでしょう。

彼女といろいろなことを面白おかしく話し、すばらしい時をすごすことができました。

子どものとき、家族で日本の「おしん」を毎朝みていて、とても感動し涙をながしたとのことです。

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